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涼子あるいは……

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亭主は、何かの心得を示すつもりか、カウンターの右端のくぐり戸をくぐって右奥の椅子に坐った。
山崎は、勝手にカウンターの中に入って、冷蔵庫からビールを三本も持ってきて自分の前に並べると、一本の栓を抜いた。うれしそうに自分のグラスに注ぐ。ビール瓶を持つ手がさっきよりさらに震えていた。
金吾は、上体をねじってあらためて亭主と山崎を見た。左手前の山崎、右向こうの亭主、ながめて比べてみると、この二人の面相がよく似ている。山崎は五十後半、亭主は八十以上。ちょうど親子の年齢差だ。まさかとは思った。アルコールのせいで暗示にかかりやすくなったと反省し、冷静になろうと、トイレに入った。
狭いトイレは汚かった。床は水浸しで、トイレットペーパーの芯が二つ三つちらばっていた。壁は何度も白ペンキで塗りなおされてはいたが、そのペンキの下に、反帝反スタ、とか、主体の共産主義化、とか、第二第三のベトナムを、とか、一点突破、全面展開、とかなんとか書かれていた。対立する党派のスローガンが並べて書いてあるのはおかしいと思った。内ゲバが激化する以前は牧歌的な棲み分けが成立していたのだろうか。飲み屋では休戦するという習慣があったのだろうか。それらの文字は、ペンキを透して、遠くの暗雲のようにかすんで見えた。
再び、いやいやながら山崎の隣に坐った。
いやでも何でも、この男と話さねばならん。やつらがなにをたくらんでいたか、涼子をどう利用したか、どんな結末をつけたのか。やつらがやった可能性は極めて高い、眼の前にいるこの山崎が首謀者だったかもしれない。具体的にどうやったのか。証拠を握らなければ。こいつにしゃべらせなければ。
山崎の横顔をうかがった。
上手く誘導して白状させよう。もうすぐ山崎は泥酔し居眠りを始めるだろう。今が、秘密を知るチャンスだ。
ところが金吾のほうがここで突然クラッときた。寝不足と空きっ腹のせいだった。いかん、と思ったが睡魔が襲ってきた。
「状況証拠、ひとつぅ」
金吾は目が覚める。山崎はカウンターに胸をへばりつけて、裁判官のように厳かに、しかし、大音声のざらざら声で叫んだ。
「山岸はねえ、われわれのオルグをあっさり受け入れた、あんなに簡単に落ちた新任はいなかったねえ」
山崎はついに涼子のことを話題にし始めた。金吾は自らを叱咤し、全身を耳にして聴き入る。
作品名:涼子あるいは…… 作家名:安西光彦