愛を抱いて 14
「しかし、ゴムを着ける処って、性行為の中で一番間抜けな場面だよな。
あれは何とかならないものだろうか…?
できれば、消して終いたいシーンだ。」
「この前、口内射精させてもらったら、えらく彼女がむせてな…。」
「ちゃんと教えてやれよ。
あれは口の中で一度溜めてから、飲み込むんだ…。」
私と柳沢は、東急ハンズで、固い方眼紙と様々な種類のレタリング・シートを買って帰った。
夜、トレーナーのプリントの図案を、全員で考えた。
図案はスムーズに進行したが、トレーナーの色については、大変揉めた。
「黄色いトレーナー、俺、沢山持ってるんだよな…。」
「私、緑は厭よ…。」
結局、色はワイン・カラーに決まった。
最後の1人は、「ヒロ子」という女性が、買ってくれる事になった。
─ 夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい… ─
誰よりも懐かしい人は、あの街の空が好きだった。
私が彼等を愛した様に、今、彼等がまた誰かを愛しているとしたら、 ああ…、時は、さらさらと流れているのだ…。
─ そっとそこに そのままで 微かに輝くべきもの… ─
〈二七、夏の終わりに〉
※引用:オフコース「夏の終わりに」
28. 秋の気配
9月20日、私は横浜でみゆきと逢った。
二人は、石川町で電車を降りた。
元町の商店街を抜けると、右へ折れ、坂道を登った。
その辺りは、洋館と緑の多い、静かな処だった。
「あれよ…。」
通りを少し入った処に、フェリスの校門が見えた。
外人墓地の前を歩いて、我々は「港の見える丘公園」へ行った。
「秋の気配」を唄いながら公園を散策した後、二人でベンチに腰掛けた。
その日、私は彼女に語るべき言葉を持っていた。
─ 美穂を失った事について、私は私なりに反省をしてみた。
柳沢は云った。
「女はさ、たとえどんなに歯の浮く様な台詞であろうと、付き合ってる男に、自分を愛しているという意味の言葉を聴かせて欲しい、と願うものさ。
言葉を聴くまでは、どうしても確信できないんだ。
お前は彼女に愛を語ったか…?」
私は美穂に「好きだ。」みたいな事を、はっきり云った覚えはなかった。
昔から私は、余程必要に迫られない限り、自分から真面目に愛を語る男ではなかった。
逢い続けていれば、事は足りると思っていた。
「一度でいいから、付き合ってる女には『好きだ。』と云っておくのが望ましい。
たった一度でも、女はそれを覚えてるものさ。
そうしておけば、わけもなく男を捨てたりはしない…。」
柳沢は最後にそう云った。 ─
「『港の見える丘公園』なんてさ…、」
私は云った。
「…凄く景色の良い様な名前を付けといて、実は全然違うよな。
俺、初めて来た時、詐欺に遭った気分だった…。
『工場の見える丘公園』に変えるべきだ。」
彼女は「そうね…。」と云って笑った。
二人はしばらく黙って海を眺めた。
「ねえ…。」
私は重そうに口を開いた。
「なあに…?」
小さく脚を振りながら遠くを視ていた彼女は、私の方へ顔を向けた。
「あのさ…。」
予め、シナリオは考えてあった。
「何…?」
「実は…。」
海の方へ視線を向けたまま、私は云った。
彼女も前を向いて、聴く姿勢を取った。
「実は俺…、今まで、わざと云わなかったわけじゃないんだけど、…好きな人が、…いるんだよね。」
彼女は前を向いたまま、黙っていた。
「君に、やっぱり、全てを云うべきだと思ってさ…。
俺、今、好きな女性がいるんだ。
それで…。」
私は言葉を切った。
「それで…?」
彼女は姿勢を崩さずに、微かに云った。
「それで、その女性の名前は…。」
私はまた、言葉を止めた。
彼女は声を出せずに、ただ小さく頷いた。
「女性の名前は、『広田みゆき』って言うんだ…。」
彼女は黙ったままであった。
ここまでは、シナリオ通りだった。
私は彼女の表情をうかがった。
彼女は下を向いていた。
そして、声をつまらせながら云った。
「ごまかさずに…、ちゃんと云って…。
その人、何ていう名前なの…?」
私は愕いた。
「だから、『広田みゆき』って言う…。」
「いいのよ…。
本当は…?」
展開は全く予想を裏切るものだった。
「本当さ。
好きな人って云ったのは、君の事さ。
君が好きなんだ…。」
彼女は顔を上げて、私を視た。
赤い眼をしていた。
坂道を下って公園を後にしてから、元町の「友&愛」という喫茶店に入るまで、私は何度も、彼女に説明を繰り返さなければならなかった。
「『好きな人がいる。』って聴いた時、『ああ…、この人は今日、お別れを云いに来たんだ…。』と思って、私、一生懸命覚悟を決める努力をしたのよ…。」
みゆきは、アイス・ティーを飲みながら云った。
そう思わせる様に私が仕組んだ事で、それは計算の内だった。
「酷い人ね…。」
まだ少し疑いの残っている様な、どこか哀しい表情を彼女は見せた。
女性が、「好きだ。」という言葉を聴く事を喜ぶのなら、その前に眼一杯哀しくさせておけば、喜びは一層大きなものになるだろうと考えて、私が練ったシナリオは、空前の駄作に終わった。
「友&愛」を出て、中華街で夕食をした。
彼女が餃子に箸を付けなかったので、私はホテルに誘った。
「今日は御免ね…。」
歯を磨いてベッドに戻ると、私は云った。
「もう、いいのよ…。」
「君が感動してくれるものとばかり思い込んで…、全く俺は馬鹿だ。
何度も経験してたはずなのに…。
予め考えておいて云った台詞が、女の子にうけたためしはないんだ。
いつも、うけるのはアドリブだった…。」
「そうなの…?」
「そうさ。」
「好きだって云ってくれようとした事は、やっぱり嬉しいわよ。
でも、女はね、言葉なんかなくても、その人と何度も逢っていれば、本当に自分を好きかどうかぐらい、解るものなの…。
私は、愛の言葉を何十回聴くより、相手が自分を愛してくれてるって、感じる事ができる方がいいわ。」
私は柳沢を少し恨んだ。
「俺の場合は、逢っていて、どうだい…?」
と訊いた瞬間、初めて私は、ある恐ろしい仮定に気がついた。
そして、全てを後悔した。
「そうねえ…。
どうなのかしら…?」
彼女は、はっきり答えなかった。
声の調子は明るかったが、その瞳は公園で視た、そしてその後もしばらく消えなかった、あの哀しい瞳と同じに見えた。
私の心は狼狽した。
彼女の眼は、恐るべき仮定を肯定していたのだ。
(そうだったのか…。
本当に俺は馬鹿だ…。
彼女はこれまで俺と逢っていて、俺の心をある程度感じ取っていたのだ…。
そして多分、俺には他にも付き合っている女がいる事も、薄々解ったのだ…。
だから今日、公園で彼女は…。
彼女はきっと、『ああ、やっぱり…。』と思ったに違いない…。
しくじった…。
藪蛇…。)
私は柳沢を大いに恨んだ。