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つばめが来るまで

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   つばめが来るまで

第1章 路面電車の走る街

 青天の霹靂だった。
学校を卒業してから10年間勤めていた会社が、4月のある日、突然倒産した。大きな会社ではなかったが、家族的な温かさのある、とても良い会社だった。社長が、無類の御人好しだった。それが災いしたのかもしれなかった。
 初めて、ハローワークに行った。余りの人の多さに驚いた。職員の人はみな親切だったが、職を求めてきている人たちには、生気が感じられなかった。みな、失業手当をもらいに来ている様な感じがした。空いている端末で、求人情報を探してみた。求人は意外にたくさんあったが、どの求人も自分に合っているものは無かった。とりあえず、失業認定の申請をしてハローワークを出た。
 街に出ると、今までとは違った景色が見える気がした。今まで、毎日電車に乗って会社に通う事が、憂鬱であったり、面倒であったりした事もあった。でも、毎日自分の行く場所があるという事が、これほどありがたい事なのかと、今になって気が付いた。

 一週間前、社長は突然言った。
「皆さん。申し訳ありません。今まで、何とか頑張ってみましたが、もう駄目です。これ以上、会社を存続する事が出来ません。」社長は肩を落として、みんなを見た。今まで、給料の未払いも無く、赤字ではあったが何とかやっているものと思っていた。しかし、実は我々の給料は、社長の個人の財産を売り払って支払っていたのだった。それも底を付いてしまい、もう無い袖は振れない状態なのだという。
「社長、我々は今まで社長と一緒に頑張ってきたのですから、たとえ数ヶ月間給料が払えなくても構いません。何とかできないでしょうか?」古参の河口さんが言った。
「ありがとう。河口さん。でも、これ以上営業を続けると、赤字は膨らむ一方です。どの銀行からも、融資を断られました。今が潮時です。本当は、皆さんに形ばかりでも退職金をお支払いしたいのですが、もうそれすら出来ません。本当に申し訳ない。」社長は肩を落として言った。誰も社長を責める者はいなかった。みんなで笑顔で解散しましょうと、河口さんは言った。
 みんなが去った事務所で、河口さんは一人机に座って外を見ていた。河口さんは、僕に気付いて言った。
「俺は情けないよ。社長が、あんなに苦しんで、あんなに頑張っていてくれたのに、それを知らなかった。会社の創立当初から居て、社長と一緒に戦ってきたつもりだったが、気付けば社長一人が先頭に立って一人で戦っていた。俺たちが仕事しやすい様に、いつも笑顔で見守っていてくれた。そのぬるま湯の中で、俺はぬくぬくとしていただけだったんだなぁ。」
「僕も同じです。社長は、いつも笑顔で親父ギャグを飛ばしながら、僕達の仕事を暖かく見守ってくれました。でも、本当はその裏側で、一人で苦しんでいたのですね。」
「ありがたいけど、水臭い気もする。俺は何だったんだろうって。」
「社長はいつも言っていましたよね。『技術者は、金の事を気にしてはいけない。会社の事なんか考えずに、日々技術を向上させる事だけを考えろ。それが、結果として会社の為になる。』と。」
「ああ。俺はそれを真に受けて、本当に会社の事なんか考えずに、日々技術を向上させる事だけを考えていたんだなぁ。」
「それで良いんじゃないですか?それが、社長方針だったのですから。社員は、社長命令には忠実に従わなければならないものです。」僕は言った。
「そうなんだけどな。」河口さんは寂しそうに言った。
 数日後、新聞の隅に社長の失踪の記事が小さく載った。

 僕は、ハローワークを出た後、行く当ても無いまま、なんとなく駅に向かって歩いた。まだ、定期券があるのでとりあえず改札口を入り、気の向く方向へ行ってみようと思った。平日の午前中のホームは、乗客はまばらで、朝のラッシュ時とは別世界のようであった。無意識に電車に乗っていると、つい、いつもの会社への道を辿ってしまう。会社のあった五反田の駅で、いつもの様に降りると、さてどこに行こうかと辺りを見回した。ホームのベンチには、おばあさんが一人、一点を見つめて座っていた。
僕は、特に行くところも無いので、とりあえずベンチに座って、反対方面に向かう電車を見ていた。その時、横に座っていたおばあさんがぽつりと言った。
「つばめはどこ?」
「え?何ですか?」僕は思わず聞き返した。
「つばめはどこ?」
「ツバメですか?」僕は、ホームの屋根や空を見回した。ツバメがどこかに飛んでいるのだろうか?そろそろ、ツバメが来る季節であった。でも、見当たらなかった。
「ツバメはいないですね。」僕は言った。おばあさんは、それっきり何も言わなかった。
 電車が入って来た。おばあさんは乗らなかった。電車に乗ってくる誰かを待っているのだろうかと、僕は思った。
 それから、僕は駅を出て何となく映画館に入った。平日の映画館は、とても空いていた。映画を見て、お昼を食べて、やる事もないので家に帰ることにした。駅に着いて電車に乗ろうとして、ふとホームを見ると、驚いた事におばあさんはまだ座っていた。午前中に僕が話しかけてから、すでに4時間は経っている。家に居場所が無くて、ここで時間を潰しているのだろうか?もしかして、ホームレスのおばあさんだろうか?でも、それにしては身なりがきちんとしている。僕は、妙におばあさんの事が気になった。
「おばあさん、大丈夫ですか?」僕は、声をかけた。
「ああ、あなた、まだ居たの?」おばあさんは言った。「まだ居たの?」はこっちのセリフだよと思いながら、
「僕は、用事を済ませて来たんですよ。おばあさんは、ずっとここに居たのですか?」と僕は言った。
「そうだねぇ。随分長くいるねぇ。つばめはまだ?」おばあさんは言った。
「ツバメですか?そろそろ、来る頃だと思うのですが。」僕は言った。4月上旬だから、もう直ぐ、ツバメがやってくるだろうと思った。
「そうかい。じゃあ、もう少しここで待っているよ。」おばあさんは言った。
「え?ツバメが来るまでここで待っているのですか?!」僕は驚いて言った。
「そうだよ。」おばあさんは言った。僕はその時思った。このおばあさんは、もしかしたら認知症なのではないか?
「おばあさんはどこから来たのですか?」僕は聞いた。
「電車が走ってる街だよ。」おばあさんは答えた。電車が走っている街など、東京中にたくさんありすぎる。むしろ、電車の走ってない街の方が珍しいのではないか。しかも、都内とは限らない。もしかしたら、神奈川かもしれないし、千葉や埼玉かもしれない。聞き方を変えてみた。
「お住まいは、どちらですか?」僕は聞いた。
「そういう難しい事はわからないねぇ。」おばあさんは答えた。完全な認知症だと、僕は思った。おそらく、自分の家がわからなくなってしまったのだろう。交番に連れて行った方が良いだろうか。
「家には一人で帰れますか?」
「もちろん、帰れるよ。毎日帰っているからね。」
それなら、どうせ時間があるのだから、家まで送ってあげようと、僕は思った。
「じゃあ、僕がお送りしますよ。おうちに帰りましょう。御家族も、心配して待っている事でしょう。」僕は言った。
「汽車に乗って帰るんだ。」おばあさんは言った。
作品名:つばめが来るまで 作家名:夜汽車