帰郷
夜も更けて行き、普段なら人も街もすっかり寝静まっているような時間だ。今年もあと僅か、首都圏を抜け出した車の波はこの時間になってもなかなか減らず、深夜と思わせない交通量だ。各車目的地は違うはずなのにどの車も高速道路を西へ西へ進んでいる。朱音は一旦その波から外れ、サービスエリアに立ち寄った。
「こんな時間でも案外人がいるんだ」
朱音たち三人は空いてた椅子に並んで座り、視界に入る人の流れをそれとなく見ていた。
「家族連れとかが多いね」
「ホントだね、みんな帰るところがあるんだ」
「うちは車では行けないからなぁ……」
テレビでしか見たことがなかった帰省の生風景。それについて思い付く事や自分達の事を比較しながら三人の四方山話は続いた。
「そういや三人だけで出掛けるのって今までなかったんとちゃう?」
陽人がふと呟くと姉妹は静かに頷いた。確かにきょうだいだけで出掛けた事はない、家族で旅行をしたのも遠い記憶にある程度だ。陽人が小学生の頃祖父母のいるアメリカに行ったのが最後だろうか。その頃から今までの家に関する記憶は途切れ途切れだ。その中には意図的に切断したものもあれば、都合ですり替えたものもある。そこに三人に共通する出来事はあっても、今この時のように、同じに感じた記憶は一つもなかった。
「正直に楽しくない?夜中にきょうだいだけで東京くんだりまで来てさ……」陽人が笑い出すと、二人も許されたかのように微笑んだ。それを見て陽人は三人が同じ心境でいることを確信した。「でも、いつまで続くんだろう……」
陽人は眼鏡をテーブルに置いて、腕を頭に組み遠くを見つめた。視点は定まっていない。
「陽人も来年は受験やしね……。考えとう?」
「……うん」陽人は姉の顔を見て、すぐに視線を元に戻した「行けるなら行ってみたい。どっちにせよ高校出たら一人立ちしなきゃ……」
「悠里は嫌だよ。一人に戻りたくない。今が、今が続いて欲しいよ……」
悠里が見せるいつもの笑顔が急に曇った。この場で三人が思っている事を末妹が一言で表した。
「悠ちゃん……」朱音は左手で悠里の右手を取った。「大丈夫よ。私たちはどこへも行かないよ」
「嘘だ、お姉ちゃんだって……」
「えっ?」朱音は反論出来なかった。悠里も言い過ぎたと思ったのかそれ以上話す事はなかった。
「悠里……」朱音の動きを察した陽人が悠里を振り向かせた。「お姉の言う通りや。俺だってどこにも行かないよ」
「どういうこと?」悠里は眼をぱちくりさせた。
「あの時には戻らないということだ、ちゃんと保証する」悠里の両脇で二人が頷いた。
悠里は前を向いて俯いた。ここにいる三人は離れて暮らした事は一度もない。なのに自分はさっき『一人に戻りたくない』と言った。それが出鱈目な事でないのは両側にいる二人の反応で分かる。確かに一人だった、あの時は。自分だけでなく、ここにいる三人も。
悠里は朱音の方を向いた。優しい眼でじっと自分を見つめている。その眼差しから自然と数時間前に別れた篤信の事が頭に浮かんだ。朱音は何も言わなかったが、さっき『どこにも行かない』と言った意味が分かるような気がした。
「――お姉ちゃん、ごめんなさい」
「いいのよ」朱音はにっこりと微笑み返した。
「私たちだって今が続いて欲しいわよ。ねえ、陽人?」
そう言って悠里の左肩に手を回した。
「ああ。もっかい言うけど楽しいやん。きょうだいだけで遠いところまで来てさ!」陽人も悠里の右肩に手を回した。
「うん、楽しいよ」悠里は両肩に乗っかった腕を取り両脇に抱えると、朱音と陽人は中央に引き寄せられた。「だから、どこにも行かんとってね」
年の離れた姉兄は、妹に取られた腕を振りほどこうとはしなかった――。