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帰郷

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 用意のできた篤信と悠里は柴犬のドンを連れて家路に向かう。篤信はさっきの夕飯を提げ、悠里はリードを持ってドンをひいている。ドンも散歩に連れていってくれて嬉しそうだ。
「送ってくれてありがとう」
「暗い道の独り歩きは危険だからね」
 歩いても10分ほどの距離なのに送ってくれるその気持ちが悠里にとって暖かく感じる。それは顔に現れ、横にいる篤信に伝わった。
 悠里の家の前には小さな公園がある。辺りは寒く、暗くなって来たからか、公園で遊ぶ子供はいない。自分の家を見ても灯りは付いていない。でも今日はちょうど一回り年上の篤信が家まで送ってくれたから淋しくない。
 このまま家に帰ろうとするとドンが怒るので、悠里はドンの首に繋いでいるリードを外し、さっき篤信に貰った竹刀を出して素振りを始めた。
「そういや、ドンっていう名前は誰がつけたの?」
公園を独り占めに走り回るドンを見て悠里は篤信に質問する。
「実はね、ドンは陽人君が名付けたんだ」篤信は転がっている木の枝を拾ってきた
「本当はね、陽人君は『純』にしたかったらしいんだけど……」
といいながら純の字を地面に書く
「ところが、糸偏を金偏に間違えて」
純の字の糸偏を金偏に書き換える。
「あはは、ホントだ『鈍』になるね」
「朱音ちゃんが面白いからってそのまま採用されたって訳」
 悠里は屈託のない笑顔を見せる。彼女のいつもの表情だ。背景は決して楽しい事ばかりでないにも関わらず、悠里の表情からはその背景は見えない。
「悠里ちゃんはいつも笑ってるね」
「そう?」
素振りをしながら答える。
「いつも笑うようにしてるの。泣くより笑う方が、いいよね。あんまりできてないけど……」
悠里はいつも明るいが、怒ったり泣いたりすることも多い事を自分で認めている。
 篤信は何気なく言った。篤信にしてみれば、厳しい家庭環境の中でも健気で逞しいことを言いたかったのだが、目の前の悠里は篤信には予想しなかった微妙な表情の変化を見せた。
「一人でいるとやっぱり淋しいよ。どんだけ強がっても一人は嫌だ。一人じゃ笑えないもん……」
悠里の竹刀が下段で止まる。篤信は表情が明らかに曇った悠里の顔を見て、何気に言った自分の言葉を恨んだ。気丈に見えても悠里はまだ小学生の少女だ、家庭や学校で悩みがないわけではない事は篤信もよく知っている。
「学校、面白くないんだ。いつも一人だから」
 悠里は大きな溜め息をついた。篤信は知っていたとは答えなかった。何かフォローになるような言葉を探したが見つからない。自分自身も東京では一人ぽっちだ。悠里の気持ちは分かるのに、何も言ってあげられない。 
「でもね」悠里は再び構えを上げる。
「今は家族がいる」
悠里の意志が竹刀の先に移る。かわいい顔をしているのに眼光が鋭い。
「前は家でもね、一人だった。お母さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんも……」
悠里は手を止めて、篤信の方を向く。家庭の不和でおよそ四年を誰にも相手にされずに過ごした事は何度も聞いた
「あの時辛かった事を思いきってお姉ちゃんとお兄ちゃんに言ったら、二人とも『一緒だった』って……」
孤立した三きょうだいがの距離を縮めたのは、悠里が姉兄に告白したこの一言から始まったのだと篤信は思った。
「悠里は、大切にされてると思う。それが嬉しい」
 悠里は笑顔を見せた。普段見せる笑顔ではなく、辛さを努力で乗り越えたとても静かなそれだ――。篤信が言えることは、その笑顔は自分にはできない。そう思うと負い目を感じ、背筋が丸くなった。
「学校が面白くないのも、悠里が何も言わないからいけないんだ」
 悠里が言っている事は、自分から働きかけないと事態は打開出来ないと言うことだ。だから、学校が上手くいかないのも自分の体たらくだと悠里は言い切る。
 その言葉が篤信の胸に刺さる。篤信は自分に言われているようで、悠里に目を合わせられなかった。その言葉は今の自分にすべて当てはまるではないか。
 篤信はベンチから立ち上がり、垂れている悠里の竹刀を手にすると悠里の手から自然に外れた。
「悠里ちゃんは力強いね。僕も見習わないと、いけないね」
 篤信は短い竹刀を中段に構える。
「悠里は強く――、ないよ。一人ではなんにも出来ないもん」
 篤信はさっきの言葉を思い出した。悠里は年の離れた姉兄に大切にされている。つまり一人じゃない、だから笑顔でいられると言いいたいのだろう。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんも、悠里にとっては一番大切な人……。何でも言えるし、何でも聞いてくれる」
篤信は悠里の話を聞きながら2、3回竹刀を振り下ろした。しかし、その振りに元気が無いのは悠里にもハッキリ分かった。
「篤信兄ちゃんの一番大切な人はお姉ちゃんなんでしょ?」
悠里は、篤信の鈍い表情を見て、何かに悩んでいるような感じがするのを悟った。
「確かに大切な人、だよ。とってもね。でもね、がっかりさせたく、ないんだ――」
 篤信は力なく答えた。下に垂れた竹刀の先から、悠里に視線を移す。すると、さっきの笑顔とはうって変わり眼鏡の奥の大きな目が潤んでいるのがわかる。悠里には篤信が何か悩んでいるのが分かるようだが、それが何かわからないから目に堪えきれない感情が現れていた。
「違うよ。篤信兄ちゃん」悠里が篤信の話を遮った。「お姉ちゃんはね、ガッカリはしないよ、絶対に」
「えっ?」
篤信はびっくりしたように悠里の顔を見た。
「一番大切な人だもん……、お姉ちゃんの――」
 二人がお互いに意識しているのに相手をがっかりさせる事をひどく怖れて強がり、そこに壁ができている。悠里はそれを上手く説明することが出来ず、悔しくて堪えてきたものがポロポロとこぼれ出した。
「篤信兄ちゃんが来てからの最近は、お姉ちゃん様子が変やもん。急に喜んだり、急にしょげたりして……。それってものすごく気になってるからなんだと思う」
 二人はお互いに思っているのが分かる、なのに壊れ物に触れそうな感じで互いに警戒している。異性を意識した事がない少女にはそれがもどかしくてならなかった。
「大切な人なのに、何で、何でお兄ちゃんは強がるの?それじゃあお姉ちゃんが、お姉ちゃんが……悲哀そうだ――」
 悠里は立ちすくんだまま、眼鏡を外して顔を覆った。その光景に狼狽して動けない篤信よりも傍にいたドンの方が心配して悠里の膝を前足で叩く。
「ゆ、悠里ちゃん――」
 篤信は小さな肩をしゃくる悠里を見て、思わずその小さな肩に手を置いた。普段は笑顔の悠里が泣いている。学校帰りのあの時でも気丈に見せなかった表情が篤信の眼前にある。
 今の悠里がある意味で本当の姿だ。正直で、素直な気持ちが見える――。勿論、普段の笑顔も嘘ではないが。篤信は悠里の姿を見て、自分が大切に思われていると感じた。この感覚は東京での独り暮しでは決してなかった暖かいものだ。
 自分が傷付くのを怖れて本当の自分を出さないことは相手の距離を遠ざけるということを、自分より一回り年下の悠里が教えているのだ。
作品名:帰郷 作家名:八馬八朔