帰郷
8 頑張らないこと
「特に勧めないよ、時間が合うなら来てみてよ」
陽人が篤信に渡した一枚のチケット。高校生バンド、ギミックを含むライブのそれだ。
陽人は先日、姉の朱音から篤信の近況を聞いた。自らを律するために大学を卒業するまで神戸に帰らないと朱音に告げていたが、現在卒業を前に神戸に帰って来ていること。そして何日か前に朱音と篤信は二人で会っているが、その時にすれ違いがあったとのことらしい。以上の話で陽人は、朱音と篤信は二人の決めごとがあるほど大事な存在であり、篤信が帰郷しているのは彼の本意でないことが想像できた。
滅多に見ない姉のヘコみようを見て弟なりに考え付いた方法が、篤信をギミックのライブに招待することだった。大事な兄貴分である篤信に何か吹っ切れるきっかけを提供したかったのだ。
先日篤信の母で、陽人にピアノを教えたママ先生を訪ねた時に、篤信にチケットを託しておいた。
「陽ちゃんも立派になったわねぇ」
ママ先生は教え子のチケットを見て感心して言う。陽人が演奏するのはピアノではなくてドラムであるが、ママ先生はそんなことは気にしていない。
「音楽は楽しむためのものよ。使う楽器は何でもいい。それに陽ちゃんの書く曲は優しいから私は好きよ」
ママ先生はジャンルを問わずに音楽を好む。ピアノは音楽を楽しむきっかけにしてくれればいいと常々教えている。だから陽人たちの活動を応援しており、ギミックがCDを出した時も進んで買ってくれた。教える側の人だから耳は当然肥えており、陽人の作品を「優しい」と評した。そのほとんどががなりたてるような曲なのにママ先生は優しいと言う。
「基礎はしっかりしてる。喧しいだけの音楽じゃこうはできないわよ」
そう言いながらママ先生は自宅の教室で陽人が書いた曲のフレーズをピアノで弾き出した。原曲とは違う、ママ先生のいう「優しい」曲が流れる。
「陽ちゃんは歌わないのね?コーラスは聞こえるけど」
アルバムの中には陽人がボーカルをしている曲もあるのを受けて指摘する。
「いろいろあるんだ」
「いろいろって?」
「ドラム叩きながら歌ってもバンド全体で目立たないし、少ないんだ、ドラムする人って」
「それじゃあ陽ちゃんが器用貧乏ってことじゃないの」ママ先生は別の曲を演奏し始める。
「他のメンバーが理解あるなら陽ちゃんは独立すべきだと思うわ。あなたにはそれだけの技術はあるわ」
ママ先生には、ギミックが解散することもそれぞれに齟齬が出てきた事も話してない。ただ、ギミックは個別に活動し、陽人自身は新たなメンバーを探した方が良いと言う。
ママ先生はいつもおおらかだが、ピアノの先生だけあって見る目は結構シビアだ。その上、日本に帰って来てからの陽人をずっと知っているので、陽人が何を考えているのかを見抜いているようだ。
「篤信が行かないなら私が行っていいかしら?」
考え込んでいる陽人を見てママ先生は話題を変えて問い掛けた。
「先生には畏れ多いよ……」陽人はふと我に返り照れ笑いをする。冗談には聞こえないし、ママ先生に来られたらこっちが緊張してしまう。
「とにかく、無理にとは言わないよ。気が向いたらでいいから篤兄に渡してよ」
そう言って託したチケットだった。