帰郷
散歩に出る前に篤信は一度自宅に入った。西守医院の二階がそれだ。ピアノを教える母が部屋を一つ教室にしているほかは、篤信に兄弟がいないので部屋数も同じ街区と較べて多くない。篤信の部屋は奥の洋室で、主はいないが母が綺麗に掃除しており、上京したときのままだ。
今日は母も外出しているようで、家には篤信一人だ。篤信は荷物を下ろし、机に腰掛け、大きく深呼吸を一回した。本棚には大学受験でお世話になったボロボロの参考書、テレビ台の上にはお気に入りのカメラ、机の横には竹刀袋…。そして壁に掛かってある額の写真。額の中に数枚の写真が重なりあって飾ってある。それもそのままだ。
篤信は写真の前で固まった。額にある写真は、古いものでは篤信が五歳くらいのもの、一番最近の物では高校の頃に剣道の試合に出た時のものだ。どれもいい顔をしている、篤信だけでなく、一緒に写っている人も。
地元の中学高校では成績は常にトップ、運動では剣道部の主力を張り、一番でなくとも鍛えた体力と精神は申し分ない。いってみればこの額は神戸にいた篤信の挫折のない歴史である。しかし、額の下枠に篤信が書いた、
「立派な医者になってやる!」
という意気込みが目に入り、篤信は少し恥ずかしく、そして空しく感じた。
それから篤信は横にあった竹刀を袋から出しては構えたり、カメラを手に取りレンズを覗いたり、そして写真の方を見たり、自分の時計を逆戻しした。
「みんな、どうしてんだろ……」篤信は自分ではなく、一緒に写っている人に目を遣った。
「帰ってきたけど、その話し相手もいるのかどうか……」ネガティブな独り言を言って、時間が徒らに過ぎそうになったところを、家の外で待っているドンが篤信を現実世界に引き戻した。
「あ、いっけね……」
篤信は急いで階段を降りて、外へと駆け出して行った――。