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帰郷

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「お姉――?」
ちょっと言いすぎたかなと思い、陽人はすまなさそうに姉の顔を見た。カミナリが落ちるかと覚悟していた陽人だったが、朱音の表情は一転して元気が無さそうで、大きな溜め息を一つつきながら、重たそうなカバンを床に置いた。
「――元気そうやね、悠里は」
「冬休みで学校ないから――」陽人はそれ以上言わなかったけど、朱音にはちゃんと分かった。
「どうしたの?今日は一段と調子悪そうやけど」
 朱音は食卓の椅子に腰掛けた。そしてもう一度大きな溜め息をつく。
「また駄目出しされたんよ。向いてないんかな、私」
 朱音の言葉が英語に変わる。
「まあまあ、そう言わないでさ」
疲れた様子の姉を気遣い、陽人は湯を沸かし始めた。
「みてよ、これ」
 朱音はそう言いながら鞄から大量の宿題をテーブルに出す。
「これが宿題、年内に何とかしたいんだけど……」
 テーブルに積まれた日本語の書類と、朱音が書きかけた英語の書類。陽人が見てもあと一週間で掃ききれる量でないのは分かる。
「翻訳も楽じゃないね」
「ホント、日頃話するのとは全然違うよ、翻訳って……」
「だろうね、何となく分かるよ」
陽人は台所で作業をしながら、朱音に背を向けて答える。入れたての熱いお茶を姉に差し出して正面に腰掛けた。
 陽人は翻訳が楽でないのはよく知っている。陽人にしてみれば、日本語を英語に替えて理解することもなく、その逆もない。わざわざ違う言語に置き換えるような面倒な事はしない。あえて訳すと変な表現になる。日頃の生活で言葉が混ぜこぜになることは姉との会話の中で多々あるが、その中でも翻訳という作業はない。その混ぜこぜ
をも理解できるからだ。
 弟から見て、職業として翻訳をしている姉は素晴らしいと思っている。自分には出来そうにないと思うからだ。
「へえ、これお姉が訳したの?」
陽人は二つに分けた資料の、手書きの殴り書きで埋められている方を手に取ってみた。
「そうよ、ほんでこっちが元の文」
朱音はもう片方の山から資料を取って弟に見せると、陽人はそれを受け取って眼鏡のこめかみに手を当てながら両方の文章を順番に見出した。
「ちょっと、陽人?」 
 陽人は小声で英語を口ずさみながら書類を読んでいる。朱音は家の中でも決裁を受けているようで少し嫌な気分になった。
「お姉」
 朱音は上司に呼ばれたかのように反射的に返事をして陽人を見た。
「これじゃあ物語みたい。」
「物語?どういうこと?」
 陽人は当てはまる言葉を探すが見つからなかった。
「だから苦手なんだって、翻訳とか違う言葉で言い換えるのが」陽人は上を向いて何やら考える仕草をした。
「ちょっと部屋に来てよ」
 陽人は自分の部屋に入り、朱音にも入ってくるよう促した。部屋の奥には二段ベッドがあり、その横には机が二つ、一目で男子用と女子用というのが分かる。
「そこ座ってよ」
 陽人は悠里の椅子を朱音に勧めながら、ギターやアンプのセットを始め、何やら準備をしている。
「なになに?」
「音楽でも同じ事が言えるよ」
陽人は朱音にヘッドホンを渡して、耳に当てるよう身振りをする。
「まずは、こう。」陽人はギターを掻き鳴らす。朱音が耳に着けているヘッドホンからは雑音が聞こえる。
「なになに、ちょっと喧しいよ」
朱音の声が大きくなる。
「次は、こう――」
陽人は手を止めて、テープレコーダーの停止ボタンを押す。そして今度はギターで4唱節ほどのメロディを弾く。
「どうだった?二つ比べて」
「全然違うじゃない、比べるも何も」
陽人は頷く、さっきのテープレコーダーを巻き戻してもう一度同じフレーズを重ねて弾いてみたところ、朱音は声をあげた
「はあ、スゴい。曲になっとう」
「基本ってのがあって、それができてないと雑音になる。パート毎に聞いても分かりにくいよね。お姉の翻訳は僕には分かるけど、『取説』って感じじゃないし、分かる人にしか分からないんじゃないかな?」
 弟の説明は具体的ではないが、会社では聞いたことがないものだった、それだけに朱音には新鮮なものに感じた。
「じゃあ基本って何だろう?」
「それがマニュアルとちゃうの?」
朱音が積み上げた書類の横にある、あまり読まれていない冊子を指差す。
「基本を網羅した上で個性を出すと斬新なものになると思う。先に個性を出すと取っ付きにくくなるよ」
陽人はギターをかき鳴らした。弾いてる楽器は違えど、弟は小さい頃から鍵盤とずっと向き合っていたのを知っている。基本ができているということなんだろう。今までこの部屋から漏れてくる生音に目くじらを立てることが時折あったが、今日はそう思わない。
「確かにそうだ。私らの英語を基準に考えるから他人には変に見えるんかな?」
「だとしたらそうやね。僕らの英語は砕けすぎと思うよ。第一完全な母語でもないし、取説は話しコトバでもないんやからさ」
「そっかぁ……」
 朱音は自分の言葉について考えた。確かに日頃の会話では冗談もアドリブも自在なのに、仕事になると上手くいかないのが分かるような気がした。少し自惚れがあった自分を反省し、取り敢えずはあまり読まなかったマニュアルにアイデアを求めて見る気になった。

作品名:帰郷 作家名:八馬八朔