帰郷
陽人は自分の部屋でギターを掻き鳴らしている。本人はノリノリの様子であるがヘッドホンを付けていて、ギターの生音だけが部屋で小さく鳴っている。学校も今日で終わり、特段にすることが無いときはいつもこんな調子で楽器を鳴らしている。
高校二年生の陽人と小学六年生の悠里は同じ部屋で生活している。2DKの文化住宅で家族四人で生活する方が無理があるのだが、両親が離婚してこうなっている現状に逆らう余地は二人にない。しかし住んでみれば案外住み分けはできるもので、二人に不便はあっても不満はない。それも家庭が荒れていた、あの時と比べたらよっぽどマシと思うのが共通した意見だ。とはいえお互いに年頃なので、部屋の真ん中にカーテンがあって一応仕切る事が出来るが、これも悠里が着替えをする時くらいしか使われていない。
悠里が部屋に入ってきた。陽人は後ろから肩を叩かれて初めて妹がいるのに気付き、掻き鳴らす右手を止めた。
「ごめん、うるさかった?」
陽人は後ギターをスタンドに立てて後ろを振り返ると、道着に袴姿の悠里が首を横に振って立っていた。
「あのね、稽古に行くからって言おうと思っただけなんやけど――」
悠里は五歳の頃から剣道を習っている。当時高校生だった篤信の練習を見て道場に通い始めたもので、かれこれ六年以上続いている。家も引っ越して、学校も変わってしまい、道場も少し遠くなったが、これだけは今も変わっていない。固くなった左手のマメが日頃の成果の証だ。体は小さく、見た目も濃い茶色の髪に白い肌をしているのだが、剣道着を着て胴垂れを着けている悠里の姿に違和感がない。
「悠里も長いこと続いとうよな?」
「お兄ちゃんこそ帰ってからずっとじゃない」
悠里は陽人のギターを担いで、弾く真似をしながら今日の帰宅してからの兄を総括する。袴姿にギターを持つ小学生、何とも滑稽だ。
「だから逆だって、悠里」
陽人はエアギターで説明する。悠里は左利きなので、楽器を持たせたらいつも逆向きになる。
「いいの。こっちの方が」
一通り弾く真似をしたあと陽人にギターを帰す。悠里は今日も元気そうだ。学校が冬休みに入り、暫しの間学校でのストレスから解放されたところか。
「じゃあ、行ってくるね」
悠里は防具と竹刀を背負い込み、玄関の扉を開けようとしたところ、外側から扉がひとりでに開いた。
「あ、お姉ちゃん。お帰りなさい」
目の前に、明らかに不機嫌な様子の姉が立っている。悠里はその顔にたじろいで玄関から中への道を後退りした。
「お姉、お帰り」
陽人も朱音の声を聞いて、部屋から出てきた。
「二人とも今日は早いね。学校は?」
朱音の口調で不機嫌なのがよく分かる。
「今日で終わりだよ。見る?成績表」
陽人は学校から渡された通知簿をちらつかせる。学校での事は姉に対しては普段からオープンにしており、陽人は特段に疚しい事はない上、成績も然程悪いものでもない。
「今日は一杯宿題あんだね」
朱音の持っているカバンに目が行ってしまう。見た目と持ち物の大きさが不釣り合いだ。弟の何気ない言葉に朱音はムッとする。陽人は姉の顔を見てさっきの台詞を後悔した。
「ゆ、悠里は稽古に行ってくるね」
空気を察した悠里は防具袋を背負って足早に家を出て行った。階段を駆け下りる靴の音が部屋の中でも聞こえた。