帰郷
6 基本
「やっぱり変わらないね。やり直し」
神戸の元町にある翻訳を請け負う小さな会社。そこで英訳を担当する朱音は上司から今日二度目のダメ出しを宣告される。
「ちゃんとマニュアル読んどう?」
「はい――」
ここ数日環境の変化があって浮き沈みのある毎日を送る朱音は力ない返事をする。マニュアルなんて普段から退屈で読まないのに、リズムが会わないときはさらに読む筈などない。
「何かあったの?今日は一段と不調みたいやけど」
朱音は口にはしなくても大体の事は顔に書いてある。両親が離婚した時もそうだったが、調子が悪い時は特に顔に出るようだ。
幼馴染みの篤信が神戸に帰郷してからは彼女の頭から彼の存在が離れない。会えて嬉しかったり思い通りに進まずもどかしかったり、心配したり……。気になるあまり仕事にも精細を欠いているのは自分でもわかっているが、止める方法が分からない。彼女にとって初めて体験する種類の悩みであることは自分自身が認めていないようだ。
「あー、駄目。今日はどん底だ」
重い足取りで電車に揺られながら今日一日を回顧する、自分なりには奮起しているのにうまくいかない。膝に乗せた持ち帰りの宿題の山が気分とともに重くのしかかる。やるせないのか、今日はヘッドホンのボリュームがいつもより大きい。
今日はクリスマス、同乗しているカップルが否応なしに目に入る。つい先日は微笑ましく見えたその光景が今日はいたく恨めしい。こんなことなら同期の智香が主催するクリスマスパーティーに参加しとけばよかった。
「第一マニュアル書くのにマニュアルがいるなんて……おかしくない?」
自分に対する言い訳をしながら電車は進む。つい先日までうまく行くかに見えたリズムが崩れているだけにその反動も大きい。駄目だ、考えがネガティヴだ。こないだと同じことを言われたのに今日は特にこたえる。朱音は席から立ち上がり、視線を車内から六甲の山並に移してヘッドホンのボリュームを最大にあげた――。