帰郷
先日朱音は幼馴染みの篤信と食事に出掛けた。陽人にすれば、その日は朱音の異様にウキウキした表情と、その日の食事当番を回された事でよく覚えている。そして、怒っているとも失敗したとも取れる複雑な表情で帰ってきた事も。
「ところでさぁ、お姉は篤兄と付き合ってるの?」
弟の単刀直入な質問にたじろいだ、姉弟で恋愛話などしたことがないが、朱音にはその手の問題が不慣れなのは様子で分かる。
「難しいね。どこまでを付き合ってると言うんだろ」朱音は砂浜を歩き出す「小さい時からずっと側におったからね、アメリカに住んでた時も篤信君はホームステイとかしてたし。付き合うとか、そんな言葉が出ることも無く現在に至る、ってカンジかなぁ?」
「ふーん」陽人は一口飲み物を飲んだ。
「正直わからない。でも『大切な人』であるのは確かよ」
朱音はこう結論づけた。自分だけでなく、篤信についてもわからないと言った。陽人には言ってないが、一昨年の夏に朱音は篤信の下宿を訪ねた。その時の様子では、以前と変わらぬ感じであったし、他の女性と付き合っているような感じもなく、神戸に帰って来た現在も変わっていない、朱音はそう思う。
陽人にしても、知る限りでは姉に付き合っている人がいないし、過去にもそんな話はなかったと思っている。弟から見ても姉の見た目はそこそこ綺麗だと思うし、そんな話があってもおかしくないのだが、家庭の不和や年の離れた自分や妹の世話もあり、恋愛に時間を割く暇はなかったように見える。さらに西守篤信という幼馴染みの存在があったからそんな話がなかったとも考えられる。
ただ、朱音の言うように、篤信と付き合っているかと言うと、陽人から見ても正直わからない。兄妹のような感じで、一般的にイメージするカップルとは違う感覚は確かにある。
「東京行ってからも、連絡取ってたんでしょ?」
弟は一つずつ質問しながら姉の様子を窺う。
「陽人には言ってもいいかな」朱音も一口、飲み物を口に含んだ。
「連絡はね、ちゃんと取り合ってたのよ。といっても月に一回くらいやけどね。篤信君は学校大変やし、うちも家があんな調子やったでしょ」
朱音は今までの家庭不和を話題に挙げて説明する。
「でも、ウチが滅茶苦茶やったんは言うてないでしょ?」
「うん」朱音は躊躇いながら頷く。
「言いにくいよね、やっぱり。篤信君心配するやろうし……」
「そりゃね、篤兄ビックリしてたよ。うちの近況話した時」
倉泉家の離婚は陽人と妹の悠里から篤信の耳に入った。思えばあの時の篤信のショックは陽人より近い存在である朱音から聞かなかったことにあるのとさえ陽人は思った。
「篤信君がヘコんだ感じするのはそれだけじゃ、ないよ」
朱音はたどり着いた防波堤に腰をおろす。
「篤信君はね、大学卒業するまで神戸に戻らないって言ったのよ、あの時。でもさ――」
「今帰って来とうよね」
「そう、何かあったんかな?と思ってさ。今までそんな事なかったから――」
朱音の知る篤信は、自分に厳しい課題を出して自らを律する。人が見ても難しいことをやってのけて来た。陽人もそれは知っている。だが、朱音は篤信が失敗するのを今回の帰郷以外に見たことがない。それが気にかかるというのだ。
「篤兄も言いにくいんじゃない?お姉が心配するから」
陽人はその場から立ち上がる。
「篤信君にはね『何でも力になりたい』って言ったんよ……、だけど実際ちょっと自信なくて」
座ったままで朱音は陽人を見上げる。陽人が見る姉の表情は家が離婚の危機にあった頃の、心配そうな表情だった。
「伝わらなかったんやろうね、多分」
陽人は砂をかき集め、飲みきったペットボトルに入れる。
「あ、こらっ、陽人」
陽人は地面に置いた砂入りペットボトルを勢いよく蹴飛ばした。ペットボトルは大きな弧を描き海面にゆっくりと沈んで行く。朱音は沈むペットボトルが見えなくなると陽人を一言叱りつけた。
「相手に届く言い方でないと伝わんないって」
陽人は朱音の方に向き直った。
「二人とも同じやん。気ぃ使いすぎて自分が参ってる。自信ないのが見えるんだよ、篤兄には」
陽人は、二人がお互いの事を痛いほど考えているのが分かった、聞いてる方が照れるくらい。自分も大切な人にそんなに思われてみたいと少し嫉妬した。しかしそれは口に出して言わなかった。
「陽人――」朱音も立ち上がる。「アンタも一端の事言うようになったね」
朱音は弟の肩をポンと叩いた。
「参考になったわ。アリガト、弟」
「大した事言ってないよ、僕は」
朱音は止めた単車の方へ歩き出した。
「帰ろっか、悠里も待っとうし」
陽人が気付いた時には朱音は何歩も前を歩いていた。揺れる長い茶色の髪がさっきより少しだけ軽く見えた。
傾き始めた陽を背中に、二人が乗った単車は家路に向かう。朱音は大事な人の力になりたいとは言ったが、それを受け止めらる自信がないことが相手に伝わっていることを弟に教えられ、反省した。
「今度は私が聞いてあげなきゃ……」
朱音は疾走する単車にまたがってそう言ったが、後ろでしがみつく陽人には聞こえなかった――。