帰郷
暫しの間三人が固まっていたところに、一階の西守医院の方から内線で電話がかかってきた。
「もしもし、どうしたの?」
篤信が受話器を取ると西守先生が慌てた様子で、そこに朱音がいるなら電話を変わって欲しいと言う。
「何だろう?」篤信は受話器を朱音に渡す。
「朱音ちゃん、ちょっとヘルプ」
「え、なになに?ああ。いいよ」
朱音は何度か頷いて、笑顔を浮かべながら篤信の父と会話をしたのち受話器を置いた。以前から二人は親子のように仲がよく、篤信は口に出さないけれど、ちょっと嫉妬するくらいだ。
「何でもね、日本語が全くわからない患者さんが来たんだって」
「それでヘルプか」
篤信は父はある程度英語を理解するのは知っているが、決して得意でないことも知っている。
「アンタも来なさい。先生が困ってるのよ」
朱音は陽人も一緒に来るように腕を引っ張る。クォーターである二人の英語レベルは殆ど変わらないからだ。
「失礼しまーす」
朱音につられて篤信と陽人も1階に下りて来た三人は、受付の裏からその患者を探そうと、待合室を見回した。
「あ、あの子は……」篤信が最初に声を出す。
「さっき言ってた悠里ちゃんのクラスメートだよ」
待合室に一人座っている、一見して明らかに外国人と見える少女を目で差す。受付の窓口は狭いので、向こうはこちらには気づいていない様子だ。
「え、そうなの?」
あの子が妹を悩ませる存在の一人かと思うと朱音の腹の底にあるものが沸き上がって来る。
「あの子は付き添いの子よ。患者さんは中にいるよ、お父さんちゃうかな」
受付の女性が説明する。
「じゃあ私があの子から話聞くから、先生のヘルプは……よろしくね、陽人」
「え、俺が?」
陽人は驚きながらも診察室へ入っていった。朱音のしたいことがすぐに分かったので、陽人は逆らわなかった。
「突っ込んだこと聞いたら悠里ちゃんが……」
「分かっとうよ。探りだけだから」
朱音は待合室で一人座っているサラのもとへ歩み寄った。
「こんにちは」朱音は英語で話し掛けた。後々のことを考えながら気持ちは穏やかにと自分に言い聞かせて。サラは自然な様子で朱音の方を振り向く。
「どこか具合悪いの?」
「いえ、お父さんの付き添いで来ただけです」
多少の訛りがあるが典型的なアメリカ英語が返ってきた。
「あなたは合衆国の人ね?」
サラは自分と同じような訛りの英語を聞いて、即座に同じ匂いを感じて振り向いた。
「私、サラと言います」
サラは朱音を同じ系統の人物と判断したのか、自己紹介を始め、朱音が差し伸べた手を握った。
朱音は彼女が妹の同級生であることを知っているが、敢えて知らないフリをしてサラの英語を聞く。日本に来たのは今年の4月で、それまでの日本語は日本人の母から教わった程度だそうだ。朱音が感じたサラの第一印象は、言う程悪い印象はしない。むしろ自分と同じ系統の雰囲気で、昔の自分を見ているような感じがした。
「私もね、あなたぐらいの時に日本に帰ってきたの」
「そうなんですか?」
「学校、大変でしょ?言いたい事がなかなか伝わらなくてね……」
朱音もサラの話を受けて、自身の苦労話をする。帰国当初は言葉もおぼつかなく、友達も出来なかった事や、見た目や言葉から自然に接してくれなかった事などを。
するとサラは「私も同じだ」と言い出して朱音の目を見た。サラも日本に来て1年弱、朱音と同じよにうに困難な時期があった話を始めた。
「あなたは友達、いるの?」
サラの表情が一瞬曇った。
「いるよ。でも何か一緒に扱ってくれない――」
探りを入れるつもりが朱音は逆に、彼女の悩みを聞いているような気になった。サラも朱音を信用しているのか、次々と質問をして時折笑顔さえ見せている。二人には共通する事が多いようだ。
朱音は妹の仇を取ってやる、当初はそう考えてサラに声を掛けた筈だったのだが、逆に打ち解けてしまった。というよりも朱音は、サラ自身もかつての自分のように困っていて、話し相手を求めていたような印象を受けた。帰り際に
「話聞いてくれてありがとう。また聞いてくれる?」
「もちろん、この病院に来てくれたらいいよ」
サラは丁寧にお礼を言って病院を出ていったのだった。一部始終を後ろから見ていた篤信は唖然としていた。