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帰郷

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「悠里ぃ、もういいぞ」
二人の姿が見えなくなると、陽人は悠里の肩をポンポンと叩いた。普段なら元気な返事が返ってくるのだが返事がない。
「本当に少し気持ち悪い……」
 陽人たちは、朱音と篤信を二人にしてやろうと一芝居打ったのだった。二人だけなら言える事があるだろう、そう思った。普段は押しの強い性格の朱音であるが、その様子が微妙に違っているのを二人は感じていた。
「ホンマかいな。少し風に当たった方がいいよ、何かいるか?」
 陽人は妹の目を見てそれが冗談でないのが分かり、少し心配になった。芝居を打たなくても篤信の運転は悠里の頭を揺さぶるのに十分だったようだ。
「お兄ちゃん……」悠里は目で何かを訴えかける。
「何だ?」
「寒い、上着貸して」何を言うかと思うと、悠里は陽人が着ているベンチコートの袖を引っ張る。
「えーっ、そんな無茶苦茶な――」
「いいやん、悠里寒いもん」
「――やれやれ」
半ば奪うように悠里は陽人のベンチコートを着込む。サイズが合っておらず服が歩いているようだ。
「どお?あったかいよ、これ」
悠里はゆっくりと立ち上がり、両腕を横にして一回転した。さっきの表情がウソのようだ。
「調子いいな、悠里は」
上着を取られた陽人は寒そうな様子で縮こまり、悠里の前を歩き始めた。
 掬星台の展望台。昨日の雨があがり、空は雲一つ無く満天の星空が見え、夜景は遥か大阪の方まで遠くの光が瞬いている。夜空と街との光、そして目の前に見える山の闇と神戸港周辺の海の闇がとても対照的な雰囲気を出す。
「わぁ、キレイ!」
悠里は夜景が目に入ると、陽人を追い抜いて展望台の柵の方まで駆けて行った。
「悠里、待ってよ」寒そうな様子で、陽人は後から追い駆けて悠里を捕まえる。
「すごいよ、めちゃキレイ、ほら」
「ほんまやねぇ」素直に感動する妹の顔を見る。さっきの車酔いが嘘のようだ。
「こうしたらもっとスゴいぞ」
陽人は笑いながら悠里の眼鏡を奪い取った。悠里の視界は一瞬にして、滲んだキラキラに変わる。
「あ、いやっ」悠里はビックリして声をあげた。
「……でも、慣れたら面白いかも、これも」
 イタズラのつもりが予想外のリアクションに拍子抜けし、陽人も思わず眼鏡を外してみる。
「そうかぁ?」陽人はすぐに眼鏡をかけ直した。妹は何にでも喜ぶんだな、ということが分かった。
「やっぱ目は見えた方が綺麗やね」
二人は並んで夜景の方を向き直す。
「ねえ、お兄ちゃん」悠里が陽人の腕を叩くと、陽人は返事をして悠里を見る。
「あっちにお姉ちゃんたちいるよ」陽人の後ろ、少し離れた、二階の展望台にいる二人を指差す。
「ああ、でも僕らはもうちょっとここにいようか」陽人が切り返すと、悠里は黙って頷いた。
「篤兄はね、姉ちゃんに会いたかったんだよ……」
「悠里もそれはわかる」
 悠里も朱音が小さい頃は家よりも西守医院にいた時間の方が長かったくらいだという話を朱音や先生たちから聞いた事がある。篤信にとって姉の朱音は重要な存在で、自分達は「朱音の弟と妹」という位置付けであるという認識は二人とも同じようにあった。
 静かな時間が流れゆく。町の光も、星の光も今日は優しく瞬いている。
「でもね、篤信兄ちゃんって悠里たちの従兄弟に当たるんでしょ?」
悠里は不意に陽人に問い掛ける。
「どこまでを親戚というのかは知らんけど、血縁的には繋がりはなかったはずだよ」
「そうなん?」
「うちの伯母さんの旦那さんが西守先生のお兄さん……やったかな?従兄弟の従兄弟で、伯母の甥っ子で……」
「全然わからへんよ」
「まぁ、とにかく篤兄は『他人』ということになるんだ、血縁的には」
「へぇ、悠里はずっと親戚やと思ってた」
「うちの家系にそんな優秀な人おらんで。篤兄はね、高校でもずっと一番やったんだって。うちの高校では有名な話なんだ」
陽人は遠い記憶を辿りながら説明する。二人とも自分の家系について親から詳しく聞いていない。それだけ家庭内が疎遠になっていたことが二人の心に浮かんだ。暫しの沈黙、夜の闇が二人を包む。
「篤信兄ちゃんは卒業したら神戸に帰ってくるのかな?」
暗い話題になりかけたところを悠里がうまくカバーする。
「医学部の学生は卒業したらどこかの病院で研修するらしいよ」
「どこの病院で?」
「知らない」
「ふーん、お医者さんになるのってホントに大変なんやね……」
「それは本当だ。尊敬しなきゃ」
「うん。そして大変やね、お姉ちゃんも」
さっき知った事実を思い出し悠里は思わずそうこぼし、もう一度陽人の後ろに目を遣った。妹の視点が変わったのを見て陽人もその視線の先を追う。遠くに見える姉とその幼馴染みは何を話しているかは聞こえない距離にいるが、その雰囲気はこの距離でも伝わってきた。
「はは、確かにそうだ」
「今までずっと待ってたんだよ。お姉ちゃん――」
悠里はまだ小学生だ、異性というものを意識した経験がないが、寒い星空の下で彼女の目に映る年の離れた姉を見て、その気持ちが分かるような気がした。朱音がいつもより綺麗なのが近眼の悠里でもはっきりと見えた。篤信と朱音、幼馴染みの二人がこれからもうまく行くことを悠里は疑わうことなく信じ、自分もあんな出会いをしてみたいと心をときめかせた――。


作品名:帰郷 作家名:八馬八朔