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帰郷

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 陽人は篤信の目をじっと見つめた。
「篤兄が東京へ行ってから今までの間にいろいろあったんだ。だって、5年半だよ、5年半」
 陽人はインタビューに答えるように淡々と説明を始めた。「姉ちゃんとの間では『暗黒の四年間』って言ってんやけどね――」
 篤信の上京後、陽人は六年生、悠里は一年生。一年ちょっとは家庭も円満で、篤信の知る倉泉家だった。そして、それからである。父がアメリカに拠点を移すこととなり、それから日本に帰ってくる機会がめっきりと減ってしまった。以後陽人の言う暗黒の四年間が始まる。
 父は半ば別居、母は仕事に重点を置くばかりで家庭は放ったらかし、残された子供たちはどうなるか?想像に難くないでしょう?と陽人は篤信の目を再び見る。
「僕の知らない間にそんなことがあったなんて――」篤信の顔にショックが見える。それを見た上で陽人は続ける。
 陽人は多感な中学生の頃だ。受験に失敗したストレスもあり、この頃は両親はおろか、今横に座っている悠里には辛く当たり、口を聞いた記憶がないくらいだという。強いて言えば年の離れた姉がかろうじて陽人の暴走を繋ぎ止めていたくらいか。しかし、相手をしてくれる人もいなかったことから、無気力な奴になってしまったかな、と陽人は冗談混じりに言う。
「その『四年間』の後は?」
「あまりいいことじゃないけど」今度は悠里がが口を開いた「今年の夏にね、お父さんとお母さん、離婚したの」
 言いにくそうに、でもしっかりと言う。陽人の言う『暗黒の四年間』はここで終わる。それから父はアメリカへ、残された家族四人は家を引き払い、近くのボロ文化に引っ越し、現在に至っているのだという。
「そうか、確かにいろいろあったんだね……」篤信はさらっと近況を報告する兄妹に驚きの色を隠せない。篤信にしてみれば人生を変えるような出来事を経験してるのに、ケロっとしているように見えるのだ、篤信には。
「私はね、離婚することは良いこととは絶対に思わない、でも――」悠里は少し俯いて、テーブルの上を見る。
「離婚があったからきょうだいの距離は近くなった。もしあのままやったら、こうしてお兄ちゃんとも話してないと思う」
悠里が言うには、離婚を機にきょうだいはお互いに協力するようになり、横にいる兄とも接する機会も増えたという。
「悠里とは部屋も同じだし、ケンカもしてらんないでしょ?」
陽人は悠里について話を続ける。
 どう考えたって悠里が一番可哀想だったと思う、あの「暗黒の四年間」みんな好き放題ほったらかしだった。悠里は当時まだ二年生だった。頑張っても認めてくれる家族もおらず、それでも彼女は毎日一生懸命だった。授業参観だって、運動会だって両親が見に来た記憶がない。思春期だったとはいえ、今まで辛く当たるか相手にもしなかった妹に対して罪悪感のような何かが陽人の心に残っていることを篤信に語る。
「みんな、今まで辛かったろう」
 篤信は二人の顔を見ようとした。二人の顔は対照的で、全く表情を変えない兄と奥歯を噛みしめ目を大きく見開いて一点を見つめる妹と。
「――ところでさ、答えにくい質問なんやけど」
篤信は陽人の方を向いた。陽人はそれだけで篤信の真意がわかったようで、
「原因でしょ?」一度深く息を吐いたあと、悠里と一度目を合わせて話を続けた。
「僕たちにはどうでもいいことだし、それについては考えないコトを僕らきょうだいで決めたんだ」
「どうでもいいことって――」
「僕たちにはどうすることもできない出来事だった、だから考えても変わらないことでしょ?」
陽人は大きく息を吐いた。そしてしっかりとした口調で「おこってしまった事よりもこれからを良い風に考えたら良いと思う」と言った。
「お父さんとお母さんのせいにしても何にもならないよ」
悠里も人を責める事は無益であることを言いたいようだ。
 篤信が最後に見た陽人と悠里はまだ小さい子どもだった。悠里は小学校に上がる前だったし、陽人は今の悠里を男の子にしたような、きょうだい構成も重なり、女子的な一面がある近眼のピアノ少年だったが、今は二人ともしっかりとした眼光をしている。辛い経験が二人の芯を強くしたことはよくわかる。
「お姉ちゃんは、篤信兄ちゃんに心配させたくなかった……」悠里が呟く。
「もしくは言えるだけの整理が出来てなかったんじゃないかな」陽人が付け加えると篤信は無言でゆっくりと頷いた。篤信が帰郷を決めた理由の一つが解決する感触を得た。今まで重い表情をしていた篤信は徐々に元気を取り戻していた。
「そういや、お姉ちゃん……いや、朱音ちゃんは?」
篤信は陽人たちの姉の所在を恥ずかしながら聞く。
「元町で翻訳の仕事してるよ」
「もうすぐ帰って来ると思うんだけど――」悠里はチラッと壁の時計を見た。辺りは暗くなり始めていた。しばらくすると玄関前に繋いでいるドンの吠える声が聞こえた。



作品名:帰郷 作家名:八馬八朔