風鳴の祭
うす暗い店内には、確かに不思議なものがところ狭しと並べられていた。
何に使うのか、計器の類が前面のパネルにぎっしりと並んだ装置の類、針金を編んで造った不思議な形の造型物、見たことのないしなやかな材質の皮に覆われた、恐らくはワイヤーの類、そして細かい目の金属の網をかぶせて、華奢な作りの支柱に支えられた円筒形の不思議な物体……。
その、どれもが古びていて、そこにそうして留まっている年月分の埃と煤をかぶってくすんでいる。
キサは座り心地の悪いスツールの上にちょんと腰を下ろし、カニス老人の顔を見つめていた。
キサの周りには老人と呼べるほど年老いた者がほとんどいない。彼自身、これまで口を聞いたことのある老人といったら、死んだ彼の祖父しかいなかったから、カニスのことがとても珍しく感じられたのだ。
いったい、どれほどの年月を生きればこんなにたくさんのしわが出来るのだろうか? 頭髪も豊かに貯えられた顎ひげも、まるで汽車の外装板についた朝霜のように白く輝いている。
老人は水煙草の煙管をくわえ、ゆっくり煙を飲み込むと、大きくため息をつくように吐き出した。まろやかな甘い香りが室内に立ちこめる。
キサは煙草を吸う大人を他にも知っているが、それはこんな形の煙草ではないし、香りも全然違う。
「ほうほう、風流しのお守りを、のう」
カニス老人はなんどもなんどもうなずくと、細い目を少しだけ見開いた。
「残念だが、わしの店には置いておらんでの。メデックの雑貨屋ならあるかもしれんが」
「あの……」
「なんだい?」
老人が顔を寄せてそう言ったので、キサは気恥ずかしさを覚え、うつむき加減で答えた。
「ここは……なんのお店なんですか?」
ここは彼が知っているどんな店とも違う。特に、ウィンドゥに飾られている、あれは一体……。
「ここに置いてある物はの、はるか昔、遠くの星々に住む人と語り合うために使われたものなんじゃよ」
「遠くの、星に住む人……?」
キサは首をかしげた。
「星ってなんだろう?」
「星っての空で輝いている光の固まりみたいなものなんだってさ。そうだね、じっさん?」
「太陽みたいなもの?」
「ほっほっほ。まあ、太陽も星には違いないがの……そうじゃ」
老人は緩慢な動作で立ち上がると、ウィンドゥからあの皿のような物を取り上げて戻ってきた。
「これは星図盤といってな、星の位置を調べるものなんじゃ」
老人は天井に向けて星図盤をかざしてみせた。明かりを通してみた星図盤は、よりいっそう輝きをまし、キサの心を捕らえた。
「この街の上に広がる空にはの、この星図盤に穿たれた星と全く同じ形で星がならんでいるのじゃよ。今はもう、すっかり空が雲に覆われてしまったから見る事もかなわんが……」
「星は、雲よりも高いところにあるの?」
「ああ、そうじゃ。雲よりもずっとずっと遠いところ……光の速さでも何年もかかるところにあるんじゃ」
「光の速さで、何年も……」
なんて不思議な言葉を喋る老人なんだろう?
光の速さがどれほどのものか、キサは知らなかったから、彼は老人の言葉がほとんど理解できなかった。ただその口調から、星というものが気が遠くなるほどここから離れた場所にあるのであろうという事だけは彼にも分かったが。
キサは、見ず知らずの人と親し気に話している自分に気が付いて驚いた。彼がこれまで話したことのある大人と言えば両親と亡くなった祖父、それに学校の先生くらいのもので、全く他人の大人と話をするなど、考えもしなかったことだ。炭鉱夫たちから年中脅かされているせいもあったが、なにより彼自身、見ず知らずの他人と話すのが苦手なのである。
「あの……その星図盤、もう一度見せてもらえませんか?」
「ああ、いいとも」
老人から星図盤を受け取ったキサは、そっと腕の中に抱きながら見つめた。
空の彼方、あの雲の向こうのずっと遠くに、こんな美しいものがある……キサの胸はそのことを思うだけで、はちきれんばかりに膨らんだ。
「キサ君と言ったかな。よほど、その星図盤が気に入ったようじゃな」
「……ええ、とってもきれいだから……」
「なんなら、おまえさんに売ってあげてもいいんじゃが、どうするね?」
「これを、僕に売ってくれる!?」
カニス老人の言葉に、キサは思わず大きな声を上げて驚いた。
「なにも驚くことはないわい。ここは店じゃからの、売り物をお客に売るのが、わしの仕事じゃ」
キサは右手を外套のポケットに突っ込み、母親から受け取った銅貨を握りしめた。ぎゅっと握った掌が汗に濡れてくるのを感じる。
店の中の空気は蒸気暖房のおかげで充分暖かいが、汗をかいているのは部屋のせいではない。
「……欲しくないのかね?」
黙り込んだままうつむいてしまった少年の顔を、カニス老人が覗き込んだ。
キサは唇をぎゅっと噛み締めたまま、真剣な表情で何か考え込んでいたが、やがて顔をあげると真剣そのものの眼差しで老人を見かえした。
「あの……いくらなんですか、これ?」
「本当だったら2500フロスは戴くところだけどね」
キサの顔に落胆の表情が浮かび上がる。ゆっくりと右手をポケットから差し出し、老人の顔の前で指を開いた。
「100フロス銅貨……」
「これしか、ないんです」
がっくりと肩を落とし、いまにも泣き出しそうなキサの顔を見つめていたカニス老人はほぅっと大きなため息を吐き出し、キサの掌から銅貨を摘まみ上げると傍らに置かれていたロッキングチェアに腰を下ろした。
「よろしい、100フロスでお売りしよう」
「え……!?」
でも、と言いかけたキサを、老人は手を上げて制止した。
「わしがそうする、と決めたからそうするのじゃ。ここは”上”とは違う。自分のことは自分で決める。それが文化地区のルールじゃわい」
ロッキングチェアを揺さぶり、からからと愉快そうな笑い声を上げる。
「それにの、品物というものは、本来それを本当に必要とする者が持つべきなんじゃ。品物は、そうした出合いを待つために、ウインドゥに並べられ、自分を買っていってくれる人を待っているんじゃよ。その星図盤には、たった今その出合いが訪れた、というわけじゃな」
「僕に、必要なもの……? この星図盤が……?」
老人の言葉の意味が分からず、キサは問い返したが、カニスは背もたれにもたれ掛かって水煙管をくわえたまま目を閉じてそれ以上何も言おうとはしなかった。
「うまくやったね、キサ」
そう声をかけられるまで、キサはすっかりカッツェのことを忘れていた。
「え……あ、う、うん」
「僕も以前からそれが欲しくてたまらなかったんだ。君は上手くやったよ」
その時、店の表玄関が乱暴に開けられて、ナユタが姿を現した。
「キサ、カッツェも、こんなところにいたのかい。早くお守りを買って帰らないと遅くなるよ」
「うん、今いくよ」
キサは老人に向かって頭を小さく下げるとそそくさと店を出ていくナユタの後を追いかけた。
歩きながら店でのいきさつをキサから聞いたナユタは、呆れたように答えた。
「バカだなぁ、キサ。そんなものに有り金全部使っちゃって、お守りはどうするんだよ?」
「……あ!」