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風鳴の祭

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「カッツェ……カッツェだろ?」
 ナユタは人影に向かって声をかける。人影は、ちょうど屋根の穴から差し込む光の輪の中で立ち止まった。
 長身の少年がそこに立っていた。
 銀の刺繍で襟首やそで口を飾った黒い詰め襟は駅員の制服に少し似ている。しなやかに動く両腕と、すらりと伸びた両足。やや細面の、形の良い顔。きれいに刈り揃えた銀色の前髪の下から二人をじっと見つめる切れ長の目、黄金色の瞳。
 キサがいままで見たことがないほど、それは美しい少年だった。
「カッツェ、いるなら返事してくれよ」
 ナユタがほっとした様子を浮かべ、少年に声をかけた。
 やはり、彼がカッツェなのか……
 キサはカッツェを食い入るように見つめていたが、黄金色に輝く瞳を向けられて再び身体を硬直させた。
「君一人が来ると思っていた。人影が二つ見えたから、様子を見ていたんだ」
 流麗で美しい声は容姿に相応しかったが、どこか冷たさを感じさせる響きも含まれている。
「ああ、ごめん……こいつはキサ、友達なんだ。おとなしいヤツだし、口も固い。だから連れていっても構わないだろ?」
 ナユタの言い訳を聞き流しながらカッツェはキサをしばらく見つめていたが、やがて踵を返すと奥の暗がりへと戻っていった。
 二人はどうして良いものか判らず、しばし躊躇していたが、やがてカッツェがレールの上を何か大きなものを押しながら戻ってきた。
「これは……」
「見ての通り、トロッコさ。小さいけどちゃんとエンジンも付いている」
「でも、こんなものどうするんだい?」
「乗るんだよ。文化地区にいくのだろう?」
 言うが早いか、カッツェはしなやかな動作でトロッコに飛び乗った。
「急いで、もう時間がない」
 二人がトロッコに乗ると、カッツェはスターターの紐を勢い良く引く。車体が一回、ぶるんと震えると、トロッコは軽快なエンジン音を響かせながら、ゆっくりと走り出した
「これで途中のポイントを切り替えながら、文化地区までいくんだ。居住区を抜けて行くより目立たないはずさ」
 ナユタが不安げに尋ねる。
「けど、危なくないか? 汽車が来たら……」
「ダイヤグラムで確認してある。ちょうど汽車の運行間隔をぬって走っていけるよ」
 基本的に閉鎖区画である文化地区には汽車の軌道以外に住人の出入りのためのゲートが数カ所存在するが、そのいずれにおいてもカッツェの姿は目撃されたことがないと言う。彼がどうやって文化地区から出入りしているのかは謎とされており、それが彼の神秘性を高める一つの要因になっている。まさかこうして線路づたいに移動しているとは誰も思いはすまい。
 キサは自分がカッツェの秘密のひとつを知ることになったことに気づき、興奮を抑えきれなかった。きっとこの美しい少年は他にいくつもの秘密を持っているに違いない。僕たちが全然知らないような、素敵な秘密の数々。それを知る機会は今後あるのだろうか……?
「さっきから静かだね。どうしたんだい?」
「……?」
 カッツェの思わぬ質問に、キサは困惑した。頬が上気するのを自分でも感じる。しかし彼の口から発せられたのはそれまで思っていたのとは違う疑問だった。
「カッツェって、珍しい名前だな……って。そう思って」
「猫って意味さ」
「え?」
 キサにはカッツェの言葉の意味が理解できなかった。
「古い言葉で、猫という動物の意味らしい。死んだじいさんがそう言ってた」
「そうなんだ」
 キサは猫という動物がどんな生き物なのか知らなかった。しかしカッツェに似ているのなら、きっと美しい生き物だったに違いない。彼はそう信じて疑わなかった。

 街の外周に沿ってトロッコはゆっくりと下層区画へ向かって走りつづけた。途中、いくども列車に追いつかれそうになったが、カッツェは巧みにポイントを切り替え、幹線と支線をうまく渡りながら進行していった。
 街の外周に造られた補修用の単線を走行するトロッコの上から、キサは生まれて初めて見た街の外の景色を食い入るように眺めた。
 見渡す限り広がる荒涼とした山の峰。そして線路の下に口を開いた底の見えない奈落のような谷間。街が多重構造を成す高層建築と幾重にも重なる立体交差の線路から成っていること位知っていたが、こうして街を外側から見てそのことが初めて実感できた。
 天を覆う分厚い雲の向こうに弱々しく輝く太陽の姿が見える。かつてはこの大地にありったけの熱を注ぎ、大気を暖めていたという太陽。しかしこうして雲に覆われおぼろにしか見えないその姿をみる限り、そんな話は想像もつかない。
 陰鬱で単調な風景を眺めるうちに、キサはもうどれほどの間このトロッコに乗っているのか判らなくなっていることに気づいた。確かに文化地区は彼らが住んでいる居住区から見れば大分下層に位置するが、これほど遠いものだったろうか?
「どうした、キサ?」
 キサの表情にどこか不安げな様子を感じ取ったナユタが尋ねる。キサは慌てて答えた
「なんでも……なんでも、ないよ」
「そうか? それならいいけど」
「心配ない。外周に沿って走っているから遠回りになっているだけだ。もうじき、文化地区へ入る」
 カッツェがナユタを振り返ってそう言った。
「ごめん、こいつ、心配性でさ」
「………………」
 カッツェの視線を感じて、キサは顔を赤らめてうつむいた。さきほどまで、彼の顔に見入っていたことに、気付かれてしまっただろうか?
「どうかしたかい、君? 顔が赤いよ」
「ううん、なんでもない……なんでもないよ」
「ほんとだ、大丈夫か、キサ? 熱でもあるんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、ナユタ。本当に、なんでもないから……」
 二人の視線に耐えられなくなったキサは、景色を見つめるふりをして黙り込んだ。まだ、何か言われそうで気が気ではなかったが、その後は誰も口を開こうとはしなかった。
 やがてトロッコは再び街外壁のゲートを潜って街の中に戻った。
 キサは街の様子がいつもと違うことに気づいた。まるで夜のように暗く、線路の周囲に林立する構造物も、彼が知っている上層の街並にくらべてはるかに古びて見えた。
 強い寒気を感じて、キサは思わず身震いした。空気が刺すように冷たい。
「なんか、寒くないか?」
 ぼそっとした声でナユタがつぶやいた。外套のえりを立て、指先に息を吹きかけている。
「こんな下層には汽車が走っていないからね」
「汽車が走ってない?」
「線路を見てごらん」
 カッツェに言われるまま、キサはトロッコから身を乗り出して線路を見下ろした。
「錆びてるね、線路」
「この辺は、この街が建設された、ごく初めの頃のものなんだよ。”上”に住んでいる人たちは、そんなこととっくに忘れてしまっているけど」
 キサは、カッツェが発した”上”という言葉に、何か怒りのような感情が込められていることに気付いた。
「ここよりもっと下層には、もっと古い機械なんかがたくさんある。それが何に使われていたものか、今ではもう誰にも分からないけど、確かにここに多くの人が住んでいた時があったことだけは、事実なんだ」
「………………」
作品名:風鳴の祭 作家名:かにす