竜王号の冒険
今、季節はまさに『風凪ぎの月』を迎えていた。港にほとんど船影がないのも、実はそのせいであったのだ。今、ケアズの港に係留されているのは、ドラゴンフライのように老朽化し、竜の海での操業にたえないわずかな数の狩猟船と、ギルド軍の武装船くらいのものである。
「命あっての物種だ……親方もよくそう言ってたよ」
イルフィを横目でみやりながら、リューガが言った。
「生きてりゃいつかはチャンスが巡ってくるさ。そうあせるなって」
「……そうだね」
イルフィは自分に言い聞かせるようにうなずくと、深呼吸をした。
これから、不愉快な人物に会わなければならないのだ。今から気分を腐らせていては、ますます気が滅入るだけである。気合いを入れていかなければ……。
イルフィはドラゴンフライを後にし、ギルドの支局へと向かった。
ケアズに限らず、エアシーズの港町はだいたいどこも似たような景観を持っている。
低い石造りの建物が並び、港に面した通りに背の高い見張りやぐらがずらっと並んでいるのは、内海に面する港であればどこでも見かける光景だ。まるで城塞のようにも見えるが、成立の由来から考えればそれは当然であるとも言える。
いまより竜の数がずっと多かったとされる昔、港町は同時に竜のから飛来する竜たちから人々を守る堅牢な要塞の役割をはたしてもいたのだ。
街のメインストリートほぼ中心に、エアシーズ狩猟ギルドのケアズ支局はある。
建物自体は周りのものと同じ意匠で作られているために目立たない。しかし、正面の門の前に白地に交差する銛を図案化した紋章を染め抜いた狩猟旗と、黒地に竜の翼をかたどった紋章が刺繍されたギルド軍の軍旗が飾られているので、誰でも一目見て、ここがギルドであると判るようになっている。
イルフィがギルドの支局長、カダミ・ホーソンの執務室の扉をノックすると、中からしわがれてやる気のなさそうな声が聞こえてきた。
「誰だ? わしは今忙しいんだ」
「ドラゴンフライ船長、イルフィ・ランディスです」
「イルフィ……ああ、テグの娘か。何のようだ?」
「定期報告と、船の装備増強についての申請を……」
「ああ、報告だ?」
しばらく沈黙が続く。
しびれを切らしたイルフィが、もう一度ノックしようとしたその時、再びカダミの声が聞こえた。
「ああ、そんなことは後だ。今いろいろとたて込んでてな」
「でも、支局長」
「ええい、父親も自分の立場をわきまえない、小うるさい男だったが、娘もそうなのか? 血は争えんな、まったく」
「支局長!!」
「さあ、判ったらさっさと帰りたまえ。必要な書類は窓口にでも提出して、後日出頭するんだ」
そう言うと、後は何度ノックして呼びかけても、返答は帰ってこなかった。
イルフィは立腹を抑えかね、ドアを勢いよく蹴りつけ、その場を後にした。
3
イルフィは桟橋に腰を降ろし、船が頻繁に港を出入りする様をながめていた。
ちょうど、港の一番奥の桟橋から、真っ黒な大型船が出航していくところだった。
遠目では判断がつきにくいが、おそらくギルド軍の大型武装船であろう。タグボートに曳航され沖合まで出ると、まるで水面をすべるように発進する。
見る見るうちに加速し、大きな水しぶきの雲をまき散らしながら、漆黒の船は大空に向かって一気に上昇していった。
「イルフィ!」
リューガとサバンスが桟橋を渡ってくる。
「ごくろうさま。で、どうだった?」
リューガは肩をすくめ、嘆息してみせる。
「かなりまずいな……右舷側の油圧、配線系統が手ひどくやられてて、ユニット丸ごと交換しなきゃ無理みたいだ」
「修理にはどれくらいかかりそう?」
「ドッグの担当者によると、たっぷり一ヶ月はかかるってよ」
「そう……困ったなぁ」
「で、そっちはどうだった?」
「だめだめ。なんか、別の業務に気をとられているらしくって、まるでこっちの話なんか聞いてないって感じだったわ。明日にでも、改めて申請しにいくことにするわ」
「まあ、あの支局長にまともな対応を求める方が無理なんだけどな。」
「大体、なんでいちいち装備の換装に許可が必要なんだろう? あんなんじゃあ、ギルドがあってもなくても一緒よ。許可とるのも面倒だし、黙ってやっちゃおうか?」
二人の話を静かに聞いていたサバンスが、静かに咳払いをして言った。
「しっ、お嬢様、声が高すぎます」
「平気よ、ここはうちらの専用桟橋なんだし、話を立ち聞きされるようなことは……」
「あれ〜〜〜〜!? おっかしぃ〜なぁ〜!?」
いきなり聞こえてきた調子っぱずれな声が、二人の会話に割って入った。イルフィは驚いて周囲を見まわす。桟橋を一人の男が渡ってくるところであった。
歳の頃は二十代後半といったところだろうか。背が高く細身の男だ。喪服とも礼服ともつかぬスーツを着込み、肩にかかるほどもある長髪を後ろで束ねている。鼻筋の通ったなかなかの美形だが、丸ガラスの色眼鏡をかけていて、その表情を読みとることはできない。
ぱんぱんにふくらんだショルダーバッグを肩にさげ、手にした小さな竜皮の表紙の手帳の中身をしきりに調べながら、辺りを落ちつきなくきょろきょろと見回している。
身なりと行動がどうにもアンバランスな雰囲気の男だ。
「……なんだぁ、ありゃあ? どこぞのおのぼりさんか?」
リューガが呆れかえったと言わんばかりの声を上げると、男は初めて彼らの存在に気づいたように頭を上げ、一拍おいてから叫んだ。
「な、な、なななな、なんなんですか、おたくたちは!?」
「そりゃこっちの台詞だろうが」
苦り切った表情で答える。
「ここは狩猟船ドラゴンフライの専用桟橋だぜ、兄さん。客船用区画なら、もっと向こうの……」
「狩猟船? ドラゴンフライ? そうですよねぇ、それに間違いないですよね?」
「間違いねえよ。だから関係者以外の立ち入りは……」
「でもおかしいなぁ。確かにドラゴンフライが帰港してるって聞いたのに、どうして係留されてないんだろう?」
男はまるでリューガの声など聞こえていないかのように、腕組みして考え込む。
「おい、兄さん、少しは人の話をきけよ」
「ドラゴンフライなら、今ドック入りしてるわ。前の航海でちょっとトラブっちゃってね」
「へ? ドック入り?」
男は頭を起こし、イルフィを見つめていたが、何かを思いだしたようにまたもや絶叫を発した。
「あー!!」
奇声を発してばたばたと駆け寄ってくると、イルフィのつま先から頭のてっぺんまで、ジロジロと見回す。
「な、なに、どうしたっていうのよ!?」
「おたく、もしかしてイルフィ・ランディスさん!?」
「そう……だけど」
男はイルフィに駆け寄ると、その両手を自分の手にとり、ぎゅっと強く握りしめた。
「あ、あの……?」
「いやあ、はじめまして!! 偉大な狩猟船乗り、テグ・ランディスのご息女に、こうして会えるとは!!」
言うや、男は向き直り、今度はリューガの手を取り強引に握手する。
「てことは、おたくがドラゴンフライの名副長、リューガ・ダイスンさんですね!?」
「あ、ああ、そうだが…… あんたは一体、誰なんだよ」
「ああ、ごめんなさい、まだ自己紹介してませんでしたね」