竜王号の冒険
やがて、捕獲される竜の数の増加にともない、狩猟船の数が飛躍的に増えると、人々と竜の力関係は完全に逆転する。
人々にとって、竜とは彼らの生活を支える重要な資源となったのである。
竜を捉える狩猟の技術を管理、継承するための組織『ギルド』が設立され、社会の中心としての役割を担うようになる。やがて、ギルドは単に狩猟に関する業務だけではなく、社会の治安を維持する役目をも負うようになり、ギルド軍(ルビ:ギルディア)をその下部組織として持つに至る。
こうしてギルドが社会全体を管理運営する体制が完成し、エアシーズ人は、長い繁栄の時代を迎えることになったのだ。
竜を捕まえ損ねた日から数日後の朝。
『ドラゴンフライ』は母港ケアズにようやく帰還した。結局、飛行能力を回復することができず、水上船のように海上を航行しての、みじめな帰港だった。
ケアズは、外海と内海をつなぐセーロウ海峡の内海側出口に位置する、東エアシーズ最大の港町である。
もともと、内海と外海を結ぶ水上船航路の中継点として古くから栄えている港町で、現代でも狩猟船のほか水上船艇が利用しており、にぎわっている。
もっともこの時期になると、狩猟船のほとんどは港を出払ってしまうので、港は一年を通じてもっとも静かなたたずまいを見せている。
海に面した港町は朝日を受けて沖合から見てもきらきらと輝いて見える。港の中に船影は少なく、どうやら入港手続きに長時間待たされる心配はなさそうだった。
ドラゴンフライのブリッジにも朝日が差し込み、せまい室内はすがすがしい空気に満たされていた。
狩猟船としては小型の部類に入るドラゴンフライのブリッジは狭く、彼女の座る船長席の他には、操舵席と通信士席の三つの座席が並列にしつらえてあるだけだ。船の中心軸に合わせるために、操舵席が中央に位置しており、その右舷側に船長席、左舷側に通信士席というレイアウトになっている。
できるだけ視界を大きくとるために、ブリッジの三方は補強用の支柱の入った窓ガラスで覆われ、背後の壁には航路図や運行計画表などが、乱雑に貼りつけられている。
イルフィ・ランディスは、外の風景とはうらはらに、不機嫌そうに船長席に腰を降ろしたまま、船窓の外の風景をながめていた。
ベージュ色の船員用ジャケットとショートパンツといういでたちは、船内で彼女が指揮を取るときのいつものスタイルだ。しなやかで無駄のない身体とショートに刈り込んだ、赤のくせっ毛。見る者によっては、猫にたとえられることもある。
イルフィはつい先日、十八歳になったばかりである。
つい三年前まで、彼女はケアズ郊外の屋敷で暮らす、世間知らずの深窓のお嬢様だった。母親を早くに亡くしてはいたが、その他はなにひとつ不自由のない生活を過ごしていたのである。だが、狩猟船乗りであった父が突然の事故で亡くなってしまうと、彼女はその財産のほとんどを失い屋敷から放り出されてしまったのであった。
そんな彼女に唯一残されたのが、父が最初に船長をつとめたオンボロ狩猟船、ドラゴンフライであった。以来、上流階層の生活を捨てた彼女は、狩猟船を駆って、竜を追う日々を過ごしているのである。
イルフィの不機嫌の理由は、二つあった。水上船になれていないために(本物の)船酔い気味であるのと、入港後ギルド支局に出頭することを考え、うんざりしているせいであった。
「まあ、生きて帰れただけ良しとしなきゃな」
そんなイルフィの気持ちを知ってか、彼女のとなりの操舵席で舵を握る副長のリューガ・ダイスンがなだめる。
彼女が来ているのと、基本的には同じデザインの青いジャケットを着込み、機能的にポケットがいくつもついたバミューダをはいている。黒の長髪を後ろでまとめ、前髪が落ちてこないよう、くすんだ虹色のバンダナを頭に巻いている。
細面ですらりとした長身。一見、軽薄な印象を受けるが猟場においては、普段の様子からはうかがい知れない厳しさをかいま見せることもある。
リューガは今年二十二歳になる。彼の父、ロンガ・ダイスンはテグ・ランディスの右腕と歌われた人物であったが、十五年前に操業中の事故で死亡、以来彼はテグに引き取られ、彼の指導の元、狩猟船乗りとしての訓練を積み、現在にいたっている。
テグの死後、一時的にドラゴンフライの船長を代行していたが、イルフィが十八の誕生日を迎えたのをきっかけに船長席を彼女にゆずったのであった。
「いいわよね、リューガは気楽で。こっちはギルドで何を言われるかと思うと、生きたここちもしないってのに」
イルフィはほおをふくらませ、ますます不機嫌な様子で答える。テグに引き取られたリューガは、船が帰港している間はいつも彼の屋敷で過ごしていたので、イルフィとは幼い頃から面識がある。彼女にとって気を許せる数少ない友人である。
「まあ、とにかく自重してくれよな。ケンカなんかするんじゃねえぞ」
「自信ないな」
「おいおい、頼むぜ?」
「お嬢様、入港管理局から、入港許可の連絡がはいりました」
通信士席に腰を降ろした初老の紳士が、船乗りにしてはバカにていねいな口調でイルフィに語りかけた。
ていねいになでつけた白髪と口ひげ。左目にモノクルをかけている。『執事』を絵に描いたような、およそ船のブリッジには不釣り合いな雰囲気の人物だ。
「ありがとう、サバンス。了解したと、返信してくれる?」
「かしこまりました。 そのように返信いたします」
老人の名前はサバンス・チェンバレン。当年とって六十二歳になる。
もともとは船乗り上がりとも言われるが、イルフィが物心ついた頃には、テグから屋敷の管理の一切と彼女の世話を任されていた、筋金入りの執事である。テグが事故で不慮の最期をとげてから、彼の部下であった者たちはほとんどイルフィの元を離れていったが、彼だけはイルフィのそばに残り、今でもかいがいしく、その身の回りの世話を焼いている。船では通信士をつとめているほか、料理長としてその腕を奮っている。
しばらくすると、港から二隻のタグボートが出てきて、ドラゴンフライを専用の桟橋へと押していった。
接岸がすむと、イルフィは席を立った。
「それじゃあ、あたしは支局に行って来るから、リューガは船の引き渡しの手続き、お願いね」
事前の連絡で、ドラゴンフライは帰港後ただちに修理業者に引き渡されることになっていた。
「おぅ、船のことは任せておけ」
「修理、どれくらいかかるかなあ」
「さあな、業者の人に聞いてみないとなんとも言えないが、そうとう手ひどくやられているのは確かだからな。覚悟はしといた方がいいぜ」
「『風凪ぎの月』だっていうのに、竜の海での操業はおろか、出猟もできなくなるなんて、ついてないな」
イルフィは嘆息すると、がらんとした港の光景を見わたした。
年に一度、竜の海の嵐が弱まって、狩猟船が操業できる期間が一ヶ月ほど続く時期がある。『風凪ぎの月』と呼ばれるこの時期は、竜の海で操業できる唯一の期間であり、その期間、ほとんどの狩猟船は竜の海に集中するのである。