竜王号の冒険
イルフィたちを押しつぶさんとするばかりの、激しく重い気迫。
空を仰ぎ見ていたイルフィは、何かがそこから突進してくるのを感じた。
「リューガ、上!」
『なに!?』
「いいから、早く舵を! 上から来る!!」
『……くそっ!』
ドラゴンフライが回頭するのとほぼ同時に、上空から何か巨大なものが風を切って落下してきた。竜が、体当たりを仕掛けてきたのである。
ドラゴンフライの船体をかすめ、大きな水柱をあげて水中へと没する。
一方、直撃を免れはしたものの、衝突のショックを受けたドラゴンフライは、反動でバランスを崩して急降下した。
イルフィは、ドラゴンフライが水面に叩きつけられ転覆するかと思ったが、水面ぎりぎりで体勢を立て直し、そのまま着水する。
「リューガ、だいじょうぶ!?」
『だいじょうぶじゃねえな。今の衝撃で機関部がやられたらしい』
「なんですって!?」
『推進力は得られるから、水面航行はできるけど、飛ぶのは無理だ。今みたいなのがもう一度来たら、最期だろうな……』
リューガの語尾をうち消す轟音とともに、ドラゴンフライの真正面に水柱が立ち上がり、竜が水面から出現した。
『うわぁ!!』
「ああっ!!」
竜はまるで、品定めでもするかのように、長い首を伸ばしてドラゴンフライをねめまわした。
複眼の並びから、それが先ほどと同じ竜であることは判ったが、全身の姿は大分変わって凶悪さを増している。やはりドラゴンフライの体当たりの衝撃が、竜を大きく変容させてしまったようだ。
やがて竜は勝ち誇ったように叫びをあげると、おぞましい口を開き、ブレス攻撃の態勢に入る。ドラゴンフライがやられる……イルフィは思わず叫んだ。
「リコ! 竜の正面へ!!」
「えっ!?」
「このままじゃ、ドラゴンフライがやられちゃう。早く!!」
「はっ、はいっ!!」
イルフィの挙動に気づいたリューガが、彼女の行動を静止しようと声を上げる。
『やめろ、イルフィ!』
「あたしが竜の注意を引きつけるから、その間に逃げて!!」
『バカ、なに言ってるんだ!! 逃げたってどうせ追いつかれるだけだ!!』
「いいから、早く逃げて!!」
ドラゴンフライの前に立ちふさがり、イルフィは竜に向かって叫んだ。
「さあ、やるならあたしごとやりなさい!」
……不思議と、彼女は恐れを感じていなかった。なぜか、竜が見た目よりも小さく感じられた。
竜は思いもよらぬ行動を取った。まるで、イルフィに恐れをなしたかのようにたじろぎ、じわじわと後退すると、逃げ出すように空高く舞い上がったのである。
「………………!?」
イルフィはあっけにとられ、ただ竜を見上げる。竜はまるで遠吠えするように悲哀に満ちた声を発すると、暗雲の中へと、その姿を没した。
「……待ちなさい!」
イルフィは竜に向かって叫んだが、暗雲のうねる空からは、ただ雨が激しく降るばかりで再び竜の現れる気配はなかった。
『これ以上、追いかけるのは無理だ』
「……わかってるわよ」
小型艇だけで竜を狩ることはできないこと位、彼女にも判っている。『ドラゴンフライ』が破損して飛べない以上、狩りを続行することは不可能だった。
『そう落ち込むな。初めてにしては、おまえはよくやったと思うよ』
「気休めいうのはやめて。結局コボレを出してしまったことには変わりないんだから」
『……そうだったな。ま、しかたがないさ。こういう日だってあるもんだ』
「………………」
リューガが彼女を気遣ってくれていることは痛いほど理解できたが、今の彼女には、その思いを受け入れるゆとりはない。
「ダグー、本船に帰還して」
『了解っす』
操舵席に歩み寄り、リコを見下ろして言う。
「リコ、本船に戻りましょう」
「判りました、船長」
「……ねえ、リコ」
「なんですか、船長?」
「さっきはごめんね……無茶な命令しちゃって」
「……気にしてませんから」
リコはフードをおろし、そばかすの残る顔をにっこりとほころばせてみせる。
「船長は船員を、船員は船長を信頼しなければいけない。それができなければ待っているのは死だ……亡くなった親方もよく言ってました」
「………………」
「だから、船長が私を信頼してくれている限り、私も船長を信頼してます」
「……ありがとう、リコ」
イルフィは彼女にうなずき返すと、銃座に戻る。
その身を背もたれにあずけ、天をあおいでつぶやいた。
「やっぱり、父さんのようには上手くいかない、か……」
悔しさとふがいなさの混ざり合った、熱い感情がイルフィの胸中を満たしていた。
かすかな嗚咽の声と共に、その頬を涙が雨粒と混ざり合いながら流れていったが、操船に気を取られていたリコは、まったくそのことには気づかなかった……。
……『竜殺し』の異名を取り、世界中にその名を知らしめていた『ドラゴンフライ』の元船長、テグ・ランディスの死から三年。
新たに同船の船長に就任したその娘、イルフィ・ランディスの初めての竜狩りはこうして終わりを告げた
2
……人々はその世界を、エアシーズと呼んでいる。
エアシーズは、半径五千キロにも及ぶ環状の広大な大陸である。
大陸の外側と内側は海で覆われており、それぞれ『外海』『内海』と呼ばれている。
内海の中心、半径五百キロの空域では、常に激しい暴風雨が吹き荒れ、人々の接近を拒んでいる。いわば世界の中心を覆う、この巨大な暴風雨空域を人々は『竜の海』と呼んで、古来から恐れている。その名からも判るように、この空域は竜の発生源としても知られる、危険な空域なのだ。
竜−それは人間や他の動物たちとは、その性質がまったく違う、異質な生命体である。巨大にして凶暴な生物であり、古より人々を脅かしつづけてきた存在であった。
竜は棲息する環境や周囲の状況、外部からの刺激に合わせ、自在にその姿を変化させる特異な能力を有する生命体であり、一体として同じ姿形のモノはいない。
彼らがなぜそのような能力を有しているのかは謎に包まれているが、一説にはその体内にある『竜核』と呼ばれる器官が大きく影響しているとも言われている。
竜核は、すべての竜に共通して存在する唯一の器官(竜核を有していれば、その生物は竜であると言える)であり、竜の力のすべてを生み出す重要な部位である。
数十メートルを超す巨大な竜が空を飛ぶことができるのも、この竜核によって生み出される揚力を得ているからだ。(竜の翼は、主に姿勢のコントロールや舵の役目を担っていることが多い)
竜の圧倒的な力の前に人間はなすすべもなく、ただ逃げ隠れしながらようやく生き延びていたに過ぎない存在だったが、ある時、彼らが竜核の利用法を発見してからは、その力関係に大きな変化が生じることとなる。
竜核は、本体から摘出されてもなお、数十年にわたってその力を持続する。人々はこの竜核の性質を利用し、エネルギーをそこから取り出すことを思いついたのである。
人々はかろうじて捕獲に成功した竜から竜核を摘出し、これを用いて空を飛ぶ船を築き上げた。人々はそれを『狩猟船』と名付け、新たに竜を保革するための重要な道具として用いた。