竜王号の冒険
プツッというノイズと共に、無線回線が切れる。
まったく、脳天気なんだから、あいつは……ため息をつきつつ、イルフィは艇の周囲に気を配る。
左舷方向、百メートルほど離れた位置に、イルフィが乗っているのと同じ小型艇の姿が見えた。全長十メートル弱のごくありふれたタイプの小型艇で、やはり『ドラゴンフライ』に搭載されているものだ。今は銛打ちのダグーが指揮をとっているはずである。
右舷に視線を転じる。黒々とした雲の塊がすべるように流れていくばかりで、求める獲物の姿は見あたらない。
イルフィは、父がいつも口やかましく言っていたことを思い出す。
『竜は人間なんかより、はるかに狡猾だ。やつらは二度と同じ手段で攻撃をかけてくることはない。油断せず、全神経を集中させて辺りを探れ。予断を信じるな』
竜はどこから現れるか判らない。イルフィは張りつめた神経を集中させ、周囲を見わたす。何度も、何度も。
風と雨と雲、そしてときおりひらめく雷鳴。荒々しくも、単調な光景がどこまでも広がっている。
『竜読み』の力があれば、こんな時、すぐに竜を見つけられるのだろうか……? イルフィの脳裏に、ふとそんな思いがよぎる。
竜の気を読んでその位置を探り、竜の『声』……意識を聞き取ることができる特別な能力。
ごくまれに現れるという、その能力の持ち主を、狩猟船乗りは畏敬の思いをこめて『竜読み』と呼ぶ。伝説上の存在とも言われており、ここ百年ばかりの間は、現れたという記録は残っていないという。
むろんイルフィはこれまで一度も、『竜読み』と出会ったことなどない。
とりとめもないことに思いを巡らせるうち、イルフィの意識はどこか遠くへと飛んでいってしまう。しかし艇の操舵手を務めるリコの甲高い叫びが、彼女の意識を引き戻した。
「いたぁっ、船長っ、竜ですっ!!」
「えっ!? どこ、どこにいるの!?」
イルフィは操舵席に駆け寄り、リコに尋ねた。イルフィと同い年の少女だが彼女よりかなり小柄だ。自慢のおさげ髪がフードで隠れているので、舵にすがりついている姿は、まるで小さな男の子のようにも見える。
「あそこですっ、左舷方向、艇の下、あの雲の塊に竜の角が確かにっ!」
リコが指さす先へと視線を転じると、ちょうど竜の角らしきものが、雲の塊に没するところだった。
「しまった、下かっ!」
イルフィはインカムのスイッチを入れ、二号艇のダグーに呼びかける。
「ダグー、竜は下から来るよっ! そちらから右舷方向、下方二十メートルの雲塊!」『了解っ!』
「リコ、やつから距離をとって! 雲塊に潜ったのは、襲ってくる予備行動よ!」
「わかりましたぁっ!」
艇が回避行動をとる間にイルフィは射出機の銃座に腰を降ろし、攻撃の準備を整える。
「リューガ! 竜を発見した! 一号艇の主観座標、右舷下方二十メートルの雲塊の中。ワイヤーフック、スタンバイしといて!」
『おぅ、もう準備はできてる。こっちはいつでもいけるぜ』
イルフィは銃座を旋回させ、射出機を竜のいる方向へと向ける。照準を雲塊に合わせ、トリガーに指をかけると、息を殺して竜が出現するのを待ち受ける。
無限にも思える長い待機の時間が流れる。だが竜は現れない。
『竜の野郎、どっかにいっちまったんじゃねえか?』
無線を通じてダグーがいらだちの声を上げる。
「待つのよ。あいつはこっちの油断を待っているんだから。必ず現れる」
その言葉はダグーより、むしろ自分に向かって発せられたものだった。
そう、自分たちは『竜読み』ではないのだ。こうしてじっと耐えるしか、竜を捕まえる方法はない。
待つんだ……あいつは必ずしかけてくる。その時を、じっと待つんだ……。
グリップを握る手が汗ばんでくる。汗をぬぐって射出機を構え直そうとしたその瞬間、眼前の雲塊がぶわぁっとふくらみ、はじけとんだ。
「……きたっ!!」
雲のしぶきがおさまるより早く、イルフィは射出機のトリガーを矢継ぎ早に三回引いた。風を切る甲高い音と共に、三本の銛は、こつ然とその姿を現した竜の胴体にヒットした。
竜がその身をよじらせて咆哮をあげる。
巨大な翼が真上からイルフィの乗る艇に向かって振り下ろされる。それに気付いたリコが急速回避をかけ、艇はすんでのところで転覆を回避した。
イルフィは射出機の照準を合わせ直し、再びトリガーを引く。
今度は首の付け根に銛がヒットする。が、竜はいっこうにダメージを受けたようには見えなかった。
まるで何事もなかったように悠然と飛行を続ける竜に向かってイルフィは毒づく。せめてギルド軍の武装船並みの装備があれば、こんな竜、すぐにでも仕留められるのに……。
軍の武装艦には、こんな銛よりもはるかに強力な重火器が装備されているが、一般の狩猟船にはその装備が認められていない。
竜は強い刺激にほど、過敏に反応する。重火器を使って一撃で仕留められなかった場合、どんな突然変異を起こすか予測できない。そのため、ギルドは重火器の使用を一般の狩猟船に許可していないのである。
一度に与える刺激を最小限に押さえつつ、確実に竜を仕留めるためには、銛を何本も打ち込んで竜の体力を奪い、最後にワイヤーフックでとどめを刺すしかない。その狩猟スタイルは、数百年前から狩猟船乗りたちに受け継がれているものであった。
だが、竜へあるていど接近することを必要とするその方法は、常に狩猟船乗りたちにリスクを課すものでもある。現実に、年間で百名以上の狩猟船乗りが、竜の反撃を受けて帰らぬ人となっている。
狩猟船乗りたちにわざわざリスクを課すようなギルドのやり方に、イルフィは反感を感じていた。そう、三年前のあの日から……。
「ダグー、聞こえる!?」
『よっく聞こえるっすよ、船長!』
「竜の後ろに回って、やつを牽制してちょうだい」
『船長はどうするっすか?』
「前に回って、複眼を狙うわ」
『まさか、『目つぶし』をやる気っすか!?……船長、そりゃ無茶っす!』
ダグーは半分悲鳴の混ざった声で抗議した。
たいがいの竜はブレス能力を有しており、前方からの攻撃は非常に危険とされている。ゆえに、本船と小型艇が竜の側面後方を半包囲する形で併走もしくは追尾し、時間をかけて弱らせていくのが常識的な狩猟法である。
顔、とくに複眼は竜の弱点でもあり、そこに有効打を与えることができれば一気に体力を奪うことができる。だが、顔面に攻撃するためには竜の正面に回り込まなければならず、非常に危険がともなうことも事実である。失敗すれば、かなりの高確率で前にまわった小型艇は落とされることになるだろう。
ハイリターンだが、同時にハイリスクな作戦……狩猟船乗りたちはそれを『目つぶし』と呼んでいる。よほど竜を熟知し、操船テクに自信のある者でなければ成功しないと言われ、駆け出しの狩猟船乗りなら絶対にやろうとはしない作戦である。
『いつも通り、じっくり時間をかけて追いつめりゃあ、捕まえられるっすよ?』
「どうして? 父さんだって、よく『目つぶし』で竜を捕まえてたんでしょ?」
『そりゃそうっすが……』
「父さんにできて、あたしにはできないって言いたいわけ?」
『べ、別にそういうつもりじゃ』