竜王号の冒険
雲海の波間に見え隠れする、そは神竜の翼か。
狂おしく舞う姿、雷光のごとし。
されば我、奮い立ちて銛をにぎれど、胸のうちは、
さながら大魚に追われる小海老なり。
嗚呼、人と竜とすべてを作りし、偉大なるものよ。
我が命守りて、家族の元に帰らしたまへ。
乳飲み子の待ちたる我が家に帰るために、
銛よ、我に力を与えたまへ!!
(名もない狩猟船乗りの歌)
プロローグ
荒れ狂う暴風雨に、あたかも木の葉のごとく翻弄されながら、その船は懸命の飛行を続けていた。
これが本当にただの貨物船であれば、おそらくこのすさまじい嵐のために座礁を余儀なくされていただろう。
だが、さすがに三機の竜核機関(エンジン)を搭載したギルド軍の偽装艦だけのことはある。
手ひどいダメージを受けつつも、なお船の推力は維持されていた。
タルボットは垢だらけの船員服に包まれた、でっぷりと太った醜悪な肉塊のごとき身体を船長席に投げ出していた。
伝声管から船体の損傷を告げる悲鳴のような声が響いていたが、その声は彼の耳には届いていない。酒精で濁りきった眼差しを船窓に向けたまま、己の運命を呪い、ひたすら同じ呪詛の言葉を繰り返し呟いていた。
「俺ははめられた……はめられたんだ……!」
軍部の連中め。奴ら、最初からこのことを知っていて、俺をはめやがったんだ。
俺が禁制品の密輸を上げられて、乗船資格を剥奪されていたから、足元を見やがったんだ。そうでもなければ、まさかあんなものを……。
あんなものが、あそこにあるなんて、考えられない……!
「そうだ。そうに違いない……俺ははめられた……はめられたんだ……」
「どうしました? タルボット船長。ご気分がよろしくないようですが」
緊張しきった船内の空気にまるでそぐわない、緊張感に欠ける間延びした声。
タルボットは振り向くと、彼の背後に立っている声の主に、怒りの視線をあびせかけた。
「あ、あたりまえだ! あれを見て……あ、あんたは驚いていないのか!?」
「ええ、初めから知ってましたからね」
声の主は優雅な動作で前髪をかき上げると、雪花石膏の彫像のように整ったその顔に嘲笑を浮かべた。
「し、し、知っていた!? あ、あんた、まさか……それじゃあ、あの荷物は……!?」
「私が何者か、あの荷物が何であるのか、いまさらそれを聞いて、どうしようというのですか?」
男は愉快そうに肩を揺らし、船橋正面の船窓を指差した。
「それよりほら、前を見ていないと」
タルボットが慌てて視線を戻すのと、操舵手が悲鳴を上げたのは、ほぼ同時だった。
「……竜だ! 竜が出たぞ!」
「り、竜だって……!?」
船の前甲板の上に、巨大な生物が浮かんでいた。
半透明の鱗に覆われた、船の半分ほどもあろうかという褐色の巨体。
巨大な四対の翼をはためかせ、長い首の先についている青くよどんだ複眼で、様子をうかがうように、ブリッジの中をのぞき込んだ。
乗組員たちは口々に悲鳴を上げてパニック状態に陥る。
タルボットは慌てて眼前の伝声管にすがりつくと、甲高い声で叫んだ。
「ま、前甲板機銃座、なにをやってる!? は、はやくそのバケモノを打ち落とせ!!」
断続的な射撃音と共に、光の尾をひく機銃弾が竜の身体に吸い込まれるかのように命中する。
竜は咆哮をあげた。
銃創から血しぶきを上げ、苦痛にのたうっている。
タルボットの頬に、安堵の笑みが浮ぶ。だが次の瞬間、彼の表情は激しい恐怖に凍りついた。
竜がゆっくりと、その姿を変容させていく。
四肢の爪が鋭く伸び、銃創を覆うように、金属の光沢を放つ分厚い鱗が生えてくる。
禍々しい姿に変化した竜は、船に向かって威嚇の声をあげ、太い尾を振ってみせた。
「ひぃっ!!」
タルボットは無様な声を上げると、座席から半分ずり落ちた。
その醜態に、背後の男は肩をすくめ、苦笑をかみ殺しつつ呟いた。
「おやおや……あんなもんで撃っても、竜を成長させるだけだというのに」
「くっ……!」
竜は外界の環境や刺激に反応し、瞬時にその姿を変容させる能力を持っている。
迂闊に外傷を与えることは、竜にいらぬ刺激を与え、強化することに他ならない。
一匹として、同じ姿形をした竜が存在しないのは、そのためである……この世界に生きる者であれば、誰でも知っている常識だ。
タルボットは、恥辱に赤黒く染まった顔で、無様に哀れを乞うてみせた。
「あ、あんた、本部の人間なんだろ!? た、頼む、この状況を、ど、どうにかして……」
「判りました。私もそろそろ飽きてきました。こんな茶番、さっさと終わらせることにしましょう」
「あ、飽きた? 茶番だって!? おい、あんた、い、いったい何を!?」
男はタルボットの言葉を無視すると、右腕をすっと前に差し出すと、指をぱちんと鳴らした。
まるで、それに応えるかのように竜が再び咆哮をあげ、翼をはためかせると、ふわりと上昇して船との距離をとる。竜がブレスを吐くための準備行動だ。
タルボットは、その光景に愕然とする。
「ま、まさか、あ、あんた、りゅりゅ竜を……」
それ以上、言葉が続かない。ただ、ぼう然と男を見返す。
男の顔から軽薄な笑いが消え、冷たいその本性が姿を現す。
「どのみち、おまえは死を免れない……おとなしく運命を受け入れるんだな」
その瞳が放つ、凍てつくような視線に晒されながら、タルボットは自分が完全に欺かれていたことをようやく悟っていた……。
『そうだ。怯えるがいい』
竜がもたらす破滅の光景を見つめながら、男はつぶやいた。
『かつて、おまえたちが私に与えたものを、今度は私がおまえたちに与えよう』
第一章『奇妙な依頼人』
1
イルフィ・ランディスは、すべるように疾走する小型艇(ルビ:カッター)の舳先に立ち、雲の流れを見つめていた。
身にまとったフード付きの防水マントはずっぽりと濡れて重たくなっている。大粒の雨が痛みを感じるほど、彼女の頬を叩く。
これが船長として彼女が経験する初めて狩猟になるというのに、こんな時化の中でやらなければならないとは、ゆくゆく運がついていないものである。
ともすれば、緊張と責任感に押しつぶされそうになる心を引きしめて、イルフィは虚空をにらんだ。父も、猟場にのぞむときには、こんな気持ちになったりしたのだろうか?
『イルフィ、こちら『ドラゴンフライ』。定位置についたぞ』
インカムを通じ、張りのある若々しい声が聞こえる。イルフィの本船である、小型狩猟船(ルビ:バーク)『ドラゴンフライ』の航海長、リューガ・ダイスンの声だ。
『ドラゴンフライ』は、彼女の小型艇の後方百メートルほどの場所に位置しているはずだが、今は振り向いても黒々とした雲にはばまれ、その姿を目視することができない。
「こちらイルフィ。竜はまだ見つからない……このまま進行する」
『了解、本船も定位置を維持しつつ、索敵航行する……おい、イルフィ』
「なによ」
『あんまりハリキリ過ぎて、ドジるんじゃねえぞ』
「大きなお世話。そっちこそポカやんないでよね」
『ハハハ、了解了解』
狂おしく舞う姿、雷光のごとし。
されば我、奮い立ちて銛をにぎれど、胸のうちは、
さながら大魚に追われる小海老なり。
嗚呼、人と竜とすべてを作りし、偉大なるものよ。
我が命守りて、家族の元に帰らしたまへ。
乳飲み子の待ちたる我が家に帰るために、
銛よ、我に力を与えたまへ!!
(名もない狩猟船乗りの歌)
プロローグ
荒れ狂う暴風雨に、あたかも木の葉のごとく翻弄されながら、その船は懸命の飛行を続けていた。
これが本当にただの貨物船であれば、おそらくこのすさまじい嵐のために座礁を余儀なくされていただろう。
だが、さすがに三機の竜核機関(エンジン)を搭載したギルド軍の偽装艦だけのことはある。
手ひどいダメージを受けつつも、なお船の推力は維持されていた。
タルボットは垢だらけの船員服に包まれた、でっぷりと太った醜悪な肉塊のごとき身体を船長席に投げ出していた。
伝声管から船体の損傷を告げる悲鳴のような声が響いていたが、その声は彼の耳には届いていない。酒精で濁りきった眼差しを船窓に向けたまま、己の運命を呪い、ひたすら同じ呪詛の言葉を繰り返し呟いていた。
「俺ははめられた……はめられたんだ……!」
軍部の連中め。奴ら、最初からこのことを知っていて、俺をはめやがったんだ。
俺が禁制品の密輸を上げられて、乗船資格を剥奪されていたから、足元を見やがったんだ。そうでもなければ、まさかあんなものを……。
あんなものが、あそこにあるなんて、考えられない……!
「そうだ。そうに違いない……俺ははめられた……はめられたんだ……」
「どうしました? タルボット船長。ご気分がよろしくないようですが」
緊張しきった船内の空気にまるでそぐわない、緊張感に欠ける間延びした声。
タルボットは振り向くと、彼の背後に立っている声の主に、怒りの視線をあびせかけた。
「あ、あたりまえだ! あれを見て……あ、あんたは驚いていないのか!?」
「ええ、初めから知ってましたからね」
声の主は優雅な動作で前髪をかき上げると、雪花石膏の彫像のように整ったその顔に嘲笑を浮かべた。
「し、し、知っていた!? あ、あんた、まさか……それじゃあ、あの荷物は……!?」
「私が何者か、あの荷物が何であるのか、いまさらそれを聞いて、どうしようというのですか?」
男は愉快そうに肩を揺らし、船橋正面の船窓を指差した。
「それよりほら、前を見ていないと」
タルボットが慌てて視線を戻すのと、操舵手が悲鳴を上げたのは、ほぼ同時だった。
「……竜だ! 竜が出たぞ!」
「り、竜だって……!?」
船の前甲板の上に、巨大な生物が浮かんでいた。
半透明の鱗に覆われた、船の半分ほどもあろうかという褐色の巨体。
巨大な四対の翼をはためかせ、長い首の先についている青くよどんだ複眼で、様子をうかがうように、ブリッジの中をのぞき込んだ。
乗組員たちは口々に悲鳴を上げてパニック状態に陥る。
タルボットは慌てて眼前の伝声管にすがりつくと、甲高い声で叫んだ。
「ま、前甲板機銃座、なにをやってる!? は、はやくそのバケモノを打ち落とせ!!」
断続的な射撃音と共に、光の尾をひく機銃弾が竜の身体に吸い込まれるかのように命中する。
竜は咆哮をあげた。
銃創から血しぶきを上げ、苦痛にのたうっている。
タルボットの頬に、安堵の笑みが浮ぶ。だが次の瞬間、彼の表情は激しい恐怖に凍りついた。
竜がゆっくりと、その姿を変容させていく。
四肢の爪が鋭く伸び、銃創を覆うように、金属の光沢を放つ分厚い鱗が生えてくる。
禍々しい姿に変化した竜は、船に向かって威嚇の声をあげ、太い尾を振ってみせた。
「ひぃっ!!」
タルボットは無様な声を上げると、座席から半分ずり落ちた。
その醜態に、背後の男は肩をすくめ、苦笑をかみ殺しつつ呟いた。
「おやおや……あんなもんで撃っても、竜を成長させるだけだというのに」
「くっ……!」
竜は外界の環境や刺激に反応し、瞬時にその姿を変容させる能力を持っている。
迂闊に外傷を与えることは、竜にいらぬ刺激を与え、強化することに他ならない。
一匹として、同じ姿形をした竜が存在しないのは、そのためである……この世界に生きる者であれば、誰でも知っている常識だ。
タルボットは、恥辱に赤黒く染まった顔で、無様に哀れを乞うてみせた。
「あ、あんた、本部の人間なんだろ!? た、頼む、この状況を、ど、どうにかして……」
「判りました。私もそろそろ飽きてきました。こんな茶番、さっさと終わらせることにしましょう」
「あ、飽きた? 茶番だって!? おい、あんた、い、いったい何を!?」
男はタルボットの言葉を無視すると、右腕をすっと前に差し出すと、指をぱちんと鳴らした。
まるで、それに応えるかのように竜が再び咆哮をあげ、翼をはためかせると、ふわりと上昇して船との距離をとる。竜がブレスを吐くための準備行動だ。
タルボットは、その光景に愕然とする。
「ま、まさか、あ、あんた、りゅりゅ竜を……」
それ以上、言葉が続かない。ただ、ぼう然と男を見返す。
男の顔から軽薄な笑いが消え、冷たいその本性が姿を現す。
「どのみち、おまえは死を免れない……おとなしく運命を受け入れるんだな」
その瞳が放つ、凍てつくような視線に晒されながら、タルボットは自分が完全に欺かれていたことをようやく悟っていた……。
『そうだ。怯えるがいい』
竜がもたらす破滅の光景を見つめながら、男はつぶやいた。
『かつて、おまえたちが私に与えたものを、今度は私がおまえたちに与えよう』
第一章『奇妙な依頼人』
1
イルフィ・ランディスは、すべるように疾走する小型艇(ルビ:カッター)の舳先に立ち、雲の流れを見つめていた。
身にまとったフード付きの防水マントはずっぽりと濡れて重たくなっている。大粒の雨が痛みを感じるほど、彼女の頬を叩く。
これが船長として彼女が経験する初めて狩猟になるというのに、こんな時化の中でやらなければならないとは、ゆくゆく運がついていないものである。
ともすれば、緊張と責任感に押しつぶされそうになる心を引きしめて、イルフィは虚空をにらんだ。父も、猟場にのぞむときには、こんな気持ちになったりしたのだろうか?
『イルフィ、こちら『ドラゴンフライ』。定位置についたぞ』
インカムを通じ、張りのある若々しい声が聞こえる。イルフィの本船である、小型狩猟船(ルビ:バーク)『ドラゴンフライ』の航海長、リューガ・ダイスンの声だ。
『ドラゴンフライ』は、彼女の小型艇の後方百メートルほどの場所に位置しているはずだが、今は振り向いても黒々とした雲にはばまれ、その姿を目視することができない。
「こちらイルフィ。竜はまだ見つからない……このまま進行する」
『了解、本船も定位置を維持しつつ、索敵航行する……おい、イルフィ』
「なによ」
『あんまりハリキリ過ぎて、ドジるんじゃねえぞ』
「大きなお世話。そっちこそポカやんないでよね」
『ハハハ、了解了解』