竜王号の冒険
セリンはふっと笑みを浮かべる。この忠誠心を絵に描いたような青年は、軍人としては得難い資質の持ち主かもしれないが、頭の中で描いた理想がそのまま現実であると信じ込んでしまう悪いクセがある。腐敗が進行しているのはギルドの運営部だけではないのだ。
「われわれギルド軍は、狩猟船乗りたちの安全と風紀を守るために結成された組織に過ぎない。めったなことを言うものではないぞ、オルダス」
「はっ、申し訳ありません」
「私は『アジ・ダカーハ』で特務船の最終確認ポイントへ向かう。今のところ手がかりはそれしかないからな。オルダスは残って、ホーソン支局長を監視してくれ」
「判りました」
「脅しをかけておいたからこれ以上独断に走るようなことはないと思うが、万一ということもあり得る。よろしく頼むぞ」
指示をし終えるとセリンは車窓を流れる港の風景をながめながら、物思いに沈んだ。
……テルファス・ファイン。彼が特異体に絡んで行動を起こしているとすれば、その目的はおそらくひとつしかない。しかも、問題の特務船に彼が乗り組んでいたとするなら、特異体はすでに彼の手中にあると思うべきだろう。
どうやら時間はあまり残されていないようだ。テルファスが偽名を使わなかったのも、こちらの行動より早く、目的を達成する自信があったからに違いあるまい。
彼が特異体を覚醒させてしまう前に、なんとしてでも押さえねば。
しかし……セリンはシートに背中をあずけ、瞳を閉ざした。
できれば、このような形で再会したくはなかったものだ……。
2
一路、竜の海を目指して航行中の『竜王』が救難信号を受信したのは、ケアズを出航してから七日目のことであった。
「救難信号?」
イルフィは通信士席のサバンスを見やった。竜王のブリッジはドラゴンフライのそれと大差なかったが、各種機器や設備がより効率的に配置されているため、実際以上に広く感じられる。
「はい。ギルド公式の救難信号を十五秒ごとに発信しています。発信源は左舷七十度、上角三度、距離約二〇〇〇〇と推定、三十分ほどで到達可能な距離です」
「なにか他には言ってない?」
「なにも……救難信号をくり返しているだけです。どうやら自動発信されているようですな。いかがなさいます? 船長」
ギルドから特に義務づけられていることではないのだが、救難信号を受信したら、救援を優先するのが狩猟船乗りたちにとっての不文律になっている。いつ自分たちが竜に襲われ、救援を必要とする立場におかれるかもしれないからだ。
これまでなら、即断で救援に向かうことを選ぶはずのイルフィだったが、今回の航海は勝手が違った。何しろ、出資者であるカムジンが船に乗り込んでいるのである。船の運航自体には一切関わらないと明言しているカムジンだが、まさか無視するわけにもいかない。
イルフィはブリッジの片隅に立ち、彼らの仕事ぶりを見物しているカムジンに向かっていった。
「カラブランさん、救難信号を受信したので、救援に向かいたいと思うのですが、よろしいですか?」
「ええ、かまいませんよ。座礁した船を見るのは初めてですし、かえって楽しみですよ」
ずいぶんと不謹慎なことをさらりと言ってのける。が、ともあれ彼の快諾を得たイルフィは、隣の席のリューガに言った。
「リューガ、船を救難信号の発信源に向けて」
「ヨーソロ、救難信号の発信源に向かう」
リューガは慎重に舵をさばき、ゆっくりと船の進行方向を変更した。
「にしても、どう思う?」
「どう思うって、なにが?」
「この辺は航路図で見ても、航行安全圏じゃない。こんなところで座礁する船っあるかなあと思って」
すでに竜の海の外周部にあたる空域であったが、雨風の勢力はまだそれほど強くはない。故障などでよほどひどいコンディションになっている船でもない限り、この空域で座礁することは考えにくかった。
「まあ、竜の海は中心部から外側に向かって、螺旋状に風が吹いてるからな。もっと奥の空域で座礁し、そのままここまで流されてきた、ということも十分に考えられるけどな」
「もしかして、幽霊船かな?」
座礁した船がそのまま風に流され、遠く離れた空域で発見されることがあるのは、イルフィも知っていた。竜核機関に仕込まれた竜核が生きている限り、船の揚力自体は持続するので、そのまま風に流され遠くに運ばれてしまうことも起こりうるのである。
中には、数十年にわたって空を漂い続ける船もあるという。それらは船乗りたちから『幽霊船』と呼ばれ、与太話や怪談の格好の材料とされている。
リューガは頭を振って、彼女の言葉を否定した。
「救難信号発信用の無線機は、バッテリーに限りがあるからな。よく持って数ヶ月……だからまあ、最近遭難したモノだろう」
「なんだ、つまんないの。一度幽霊船てのを見てみたいんだけどな」
「あんまり面白いもんじゃねえぜ」
「リューガ、見たことあるの?」
「親方と一緒に、海賊の真似事したことがあってな」
「父さんとリューガが?」
「まだ、俺が十五になるかならないかの頃の話だ。南エアシーズで一度、でっかい貨物船を見つけたことがあってさ。お宝でも積んでるんじゃねえかって」
「へぇ、父さんがそんなことしてたなんて、意外だなあ」
イルフィの知っているテグは生真面目で優しい父親であり、仕事に厳しい船長でしかない。彼がそんな冒険をしていたころもあったのだということを知って、彼女は新鮮な驚きを覚えていた。
「それで、何かいいものは見つかった?」
「そう上手くいかないもんでな」
何かを思い出したらしく、リューガは含み笑いをもらした。
「威勢よく乗り込んでみたまではよかったんが、入ってびっくりその船、実は家畜の運搬船だったんだよ」
「家畜の運搬船かぁ」
「ああ、それもほとんどの家畜がまだ生きていやがってね」
リューガは苦笑いを浮かべた。
「いや、臭いの汚いのやかましいのって、ヒドいもんだったぜ、あれは」
「あははは」
テグの苦り切った表情を想像して、イルフィは声を上げて笑った。
「それから、どうしたの?」
「結局、調べてみたら船籍登録はまだ有効期限内だったし、家畜たちを放置しとくわけにもいかないからな。総出で機関部を修理して、船主のところまで送り届けましたよ」
「そりゃ大変だったね」
「そりゃもう、機関部の応急処置から家畜の面倒まで……無報酬で重労働さ」
リューガは肩をすくめてみせる。
イルフィはその表情を見て、再び声を上げて笑った。
リューガは安心したように、ため息をもらした。
「よし、ようやく笑ったな」
「……え?」
「こないだから、おまえ、ずっと笑ってなかったからな」
「……ごめんね、心配かけて」
リューガが自分のことを心配してくれていた……そう思うと少し照れくさかったが、今は少し素直になれる気分だった。
「あのときは少し、気負い過ぎてたみたい。いきなり父さんと同じことをしようったって、無理だっていうのにね」
「そうさ。おまえはテグ・ランディスじゃない。イルフィ・ランディスなんだ。無理に親方の真似をする必要はないさ」
「うん……そうだよね」
むろん、リューガの言葉が単にはげましの意味だけではないことに、彼女は気づいていた。