竜王号の冒険
「父さんだって、きっと認めてくれるよね」
「ああ、だいじょうぶさ」
イルフィは立ち上がり、リューガと肩を並べて夕暮れに覆われていく海をながめた。
幼い頃、父やリューガと共にみた風景は今でも変わっていない。水平線の向こうで、父がおだやかに微笑んでいるような気がする。
イルフィは心に誓った。
竜の海へ出て、必ず成果を上げて帰ってこよう。それが、父さんへのなによりの手向けになるはずだ……。
「さあ、行こう、リューガ。みんな待っているんでしょ?」
「お、おい、ちょっとまてよ!!」
リューガは、少し元気を取り戻したイルフィの後ろ姿を見つめてほほえみを浮かべると、その後を追って丘を駆け下りていった。
第二章『竜の海へ』
1
カダミ・ホーソンは、高い背もたれつきの肘掛け椅子に腰を降ろし、仕事に忙殺されちた。
もともと、さほど大柄でもないのだが、でっぷりと肥え太ったからだを支えるには、その椅子はいささかきゃしゃに見える。
カダミは、口にくわえている葉巻の火がいつの間にか消えていることに気づく。
椅子を回転させて吸い殻をデスクの上の灰皿に投げ込むと、そのわきのデキャンタを取り上げ、中身の強烈な蒸留酒をタンブラーに注いだ。
なぜ、こうも朝から仕事に追われなければならないのか……カダミは己の身の不幸を呪い、口の中で毒づいた。
まったく、最近は生意気な女どもが多すぎる。昨日来たテグ・ランディスの娘などもその口だろうが、自分がギルドの支局長だということに敬意を表しもしない。ましてや、あの制服組の娘ときたら……!
カダミは、荒れる感情にまかせてタンブラーの中身を一気に飲み干すと、二杯目を注ぐ。口元まで持っていったその時、ノックの音が執務室内に響いた。
彼の許可を待たずに一人の女性が室内に入ってきた。
黒地に銀の装飾が施されたギルド軍の制服を身にまとう、長身の女性である。
歳の頃は二十代前半、卵形の輪郭と鼻筋の通った顔立ち、怜悧な印象を見る者に与える金色の瞳。腰まで届く長い銀色の髪には、かすかにウェーブがかかっている。
「これはこれは、セリン・カーランド少佐。お早い出仕で」
カダミはこびるような口調で挨拶をしたが、セリンは完全に彼の愛想を無視すると、ハスキーで、冷徹な響きを持つ声で言った。
「執務中に飲酒とは、優雅なものだな。カダミ・ホーソン支局長」
言われてカダミは、タンブラーを手にしたままだったことに気づき、あわてて袖机の引き出しに放り込んだ。
カダミはデスクの前に置かれた応接用のソファをセリンに勧めるが、彼女は首を振って答えた。
「長居をするつもりはない。私は状況を確認しにきただけだ」
さげすみの視線を感じ、カダミは怒りを覚える。今日はどうして、こうも不愉快な女ばかりが現れるのだろうか?
カダミは頭の中で自分の不運を呪いつつ、立った今書き上げたばかりのデ報告書を読み上げた。
セリンは腕組みをして話を聞いていたが、カダミが報告書を読み終えると、間髪をいれずに言った。
「ふむ……つまり、あなたは独断で軍の特務船を動かし特異体の回収を試みた、というわけだな」
「独断で、とは心外ですな。カーランド少佐。あなたと同じ調査部の人からの要請があったから、船を派遣したまでですよ」
「調査部の人間から要請があった?」
「ええ、確か、テルファス・ファインとか、名乗ってましたけど」
「テルファス……!?」
セリンの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。感情をかいま見せるなど、彼女にしてはかなり珍しいことだった。
「どうかされましたかな? カーランド少佐」
「いや、なんでもない。……それで、そのテルファスという者はどうしたのだ?」
「特務船に同乗して嵐の海に向かいましたよ」
「……なるほど」
セリンは腕組みをしてしばらく考え込んでいたが、やがていつもの怜悧な表情に戻って言った。
「特異体の回収計画には尽力してもらうぞ、ホーソン支局長。どのみちあなたは責任問題を免れないのだ。せめてポイントを稼いで自己保身を図るのだな」
「それはないでしょう、カーランドさん、さっきも言いましたが、これはあんたがた調査部からの……」
「テルファス・ファインなどと言う者は、調査部にはいない」
「……なんですと!?」
「特異体に関する情報は、支局長以上扱いの極秘事項であることは、あなたもご存じのだろう。もし、支局駐屯軍の出動が必要な場合は、本局長づけの要請書が発行されているはずだが、その書類は確認したのか?」
「むむむ……」
「本局長への確認をとることもなく、駐屯軍の特務船を動かしたとなれば、功をあせっての独断専行と断じられても反論はできまい。違うか?」
「………………」
カダミは額に脂汗を浮かべたまま、黙り込んでしまう。
「私は『アジ・ダカーハ』で特務船の最終確認地点へ向かう。オルダス少尉を残していくから、彼の指示で動くように」
「ちょ、ちょっとまってくださいよ、カーランドさん……」
「私は忙しいんだ。何度も同じことを言わせるな」
「いっ……!?」
カダミが言葉を返す前に、セリンは風のような身のこなしできびすを返すと、執務室を出ていってしまう。
彼女の姿が消えると、カダミは怒りにまかせて、拳をデスクに叩きつけた。
「あ、あのクソアマめ……!!」
本部付きの調査部だかなんだか知らないが、でかい顔しやがって。ここはギルド本部のあるグーデルじゃない。ケアズなのだ。ケアズでは誰が一番偉いのか、そのことを、いつか必ず思い知らせてやる……!!
カダミは灰皿の中の葉巻を拾い上げると、再び火をつけてふかした。紫煙のまろやかな香りが鼻を突き、彼の高ぶった感情を鎮める。
椅子を回転させ、再び窓の外をながめていたカダミは、執務室のドアが音もなく開いたことにまったく気付かなかった。
カダミの執務室を出たセリンは、そのままギルドの玄関先に停車していた黒塗りの三輪気動車(ルビ:トリクル)の後部座席に乗り込んだ。運転手を務める彼女の副官、オルダス少尉が音もなく車を発進させる。
車は港の端にある、ギルド軍船艇専用の桟橋にむかった。
窓を開けると、潮の香りを含んだ風が車内に吹き込んでくる。セリンは身体の中の空気をすべて取り替えるように、大きく深呼吸した。
「あの俗物が……同じ部屋の空気を吸っただけで、肺腑が腐ってしまうような気がする」
「……よろしいのですか、あの男、そのままにしておいて」
オルダスの問いに、セリンは不快げな表情を浮かべて答えた。
「罰則を科す必要はないというのが、本局の見解だ。これ以上ことを大きくして、特異体に対する不要な興味を喚起することは避けるべきだ……というのが建前だが」
ちいさくため息をつく。
「本局からすれば、目端の利く者を支局長にするよりは、自分たちにおもねることばかりに汲々とする小物をその地位に置いておく方が、なにかと扱いやすいのだろうよ」
「いっそ、軍部がギルド運営の実権をにぎってしまったほうが、よいのではないですか?」