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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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「もう行って来た。今から、家に帰るとこ」
 話を聞くと、真彩さんはこの近くで部屋を借りているそうだ。そして、今は企業で面接を受けた帰りだそうだ。
「それは、お疲れ様でした。今日はゆっくりと休んでください」
「うーん。私としてもそうしたいんだけど、これからバイトなんだよね。貧乏暇なし、って奴かな?」
 よく分からないが、つまり大変なのだろう。それでもこうやって笑顔でいられるのは、真彩さんの大きな美点だ。そういえば、彼女のこんなところに惹かれていたような気がしないような気がしないでもない。
「私も、ってことは、ハム二郎もお出かけなの?」
「そうです。この近くのデパートで携帯電話を買ったあと、こうやって目的もなく周囲を散歩しています」
「おっ、ケイタイ買ったんだ! 番号とアドレス、教えてよ!」
 私の携帯電話には一つの番号も登録されていない。初めてはKさんになると思っていたので、こんな形で真彩さんが初めてになるとは思ってもみなかった。
「真彩さんが、初めての番号です」
「また、童貞もらっちゃったね」
 手間取りながらも電話番号とメールアドレスの交換を済ませた。真彩さんの携帯電話は、折り畳み式ではなかった。
「ハム二郎、どうやってここまで来たの? やっぱり、電車?」
「今日は、車で来ました」
「免許取ったんだ。ハム二郎が運転なんて、シュール」
「いえ、私は無免許です。Kさんに乗せてもらっただけです」
「Kさん? ハム二郎の友達?」
 それは違う気がする。私とKさんはそんな気安い関係ではない。と言っても、別に恋人でも何でもない。では、何なのだろうか?
 仕方ないので、ありのままを答える。
「一緒に住んでいる女性です」
「本気〈マジ〉で? 恋人できたの?」
「恋人ではありません。一緒に住んでいるだけです。より正確に言うならば、部屋を貸しているだけです」
「いやいや、男と女が二人っきり住んでたら、それは恋人じゃん。もちろん、ヤッたんでしょ?」
「セックスはしていません。そもそも、二人ではありません。もう一人、佐山さんという既婚者の方が住んでいます」
「人妻ぁ? さすがに、それはやばくない?」
 誤解があるようなので、きちんと説明をしておく。私と彼女たちはまったく健全な関係であり、真彩さんの考えているような下世話さなどないのだ。
「――つまり、私は佐山さんを匿っているにすぎないのです」
「それなら、別にいやらしくないかな。むしろ、ハム二郎らしいね」
「私らしいとは?」
「そんな簡単に知らない人を受け入れちゃう、ってこと。正義感とかじゃないんでしょ? 別に断る理由がない、とかでしょ?」
 私は答えなかった。真彩さんは返事がなくとも顔色を変えなかった。どうやら、深い意味はないようだ。
「ちなみに、そのKさんは美人なの?」
「ええ、とても」
 私が迷うことなく言うと、真彩さんは満足そうに頷いた。
「それだけ聞ければいいや」
 何がいいのだろうか。
「じゃ、私、バイトがあるから。また、電話するから」
「はい。では、さようなら」
 私は真彩さんと別れ、Kさんの待つベンチへ戻った。彼女は誰かと電話していた。私は隣に座り、終わるまで待った。
「――確かに、来るか来ないかは君の自由だ。けれど、それによって進級させるかどうか決めるのもこちらの自由だ。だから、勉強だけはしておくといい。分からないことがあれば、いつでも私に電話してくれて構わない。生物以外でも、高校の内容くらいなら分かるから」
 どうやら、Kさんは先生として生徒と話しているようだ。
「――家にいて肩身が狭い? それは正常な感覚だ。君は心では分かっているんだ。ちゃんと学校に行かなければいけない、と。働きもせず学校にも通わないなんて、棺桶に片足を突っ込んでいるのと同じさ」
 Kさんよ。こっちをちら見するのは何故だ。
「――明日は月曜日だ。君の来るのを、私は待っているよ」
 そう言って、Kさんは携帯電話を閉じた。
「やあ、公二郎君。長いトイレだったね?」
「途中で昔の恋人に会ったからです。少しだけ話をしていました。それと、電話番号とメールアドレスの交換を」
「そうかい。じゃあ、行こうか。雲行きが怪しいからね」
 私が真彩さんのことを教えても、Kさんは特に興味を示さなかった。彼女は空模様だけを気にしているようだった。
 Kさんの予報はずばり的中し、すぐに大きな雨になった。私たちは雨にまつわる思い出を語り合いながら帰路に着いた。

 7

 佐山さんが、就職活動を始めた。家から出ることを躊躇っていた彼女だったが、Kさんに背中を押されて一歩を踏み出したらしい。
 しかし、帰ってきた佐山さんの表情は冴えなかった。
「やっぱり、この歳から就職は難しいですよね……」
 昼食の間、佐山さんはこの言葉を繰り返していた。Kさんに言われて励まそうとしていた私も、そろそろ疲れてきた。
 Kさん曰く、佐山さんはハローワークの人に厳しいことを言われたそうだ。そのすべてがなまじ正しかったので、彼女は余計に落ち込んでしまったそうだ。
「疲れただろう、藍子ちゃん。皿洗いは公二郎君がやってくれるそうだから、休みつつ私と今後のことを話そう」
 Kさんが私に視線を向ける。ええ、やりますとも。
 ここ最近は佐山さんに家事全般を任せていたので、台所に立って洗いものをするのは暫くぶりだった。改めてやってみると、これがなかなかに楽しい。この洗剤、とてもよく汚れを落としてくれる。
 BGM代わりに、Kさんと佐山さんの話に耳を傾ける。
「悲観しても前進はしない。だから、現実的な話をしよう。まず、藍子ちゃんは、どんな職種を希望しているんだい?」
「事務職です。私にできるのはそのくらいですから……」
「事務職だね。ちなみに、業界に拘りはないのかい?」
「業界、と言われてもあまり分かりません。でも、落ち着いた雰囲気のところがいいです」
「そうか。じゃあ、それはあとで考えようか」
 Kさんは上着の内ポケットから、手帳とボールペンを取り出した。そして、真っ白なページに何かを書いた。目を凝らして見たが、読み取れなかった。視力が衰えたのだろうか。私も歳だろうか。
「職安でも聞かれたと思うけど、もう一度答えてくれ。藍子ちゃんは、何か資格や免許を持っているかい?」
「資格はなにもありません。免許も、普通免許があるだけです」
「学歴は?」
「エリーゼ女学院大学文学部を卒業しました。知っていると思いますけど、初等部からのエスカレーター進学です」
「在学中に、どのようなことを勉強しましたか?」
「文学部の国文科でしたので、日本文学に関することを学びました。卒業研究は、日本文学史についてです」
「では、あなたの長所と短所を教えてください。また、短所については改善するためにしていることも述べてください」
「ええと……」
 それまでは比較的滑らかだった佐山さんが口ごもった。そして、日本語を忘れたかのように黙り込んでしまった。