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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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「藍子ちゃんと結婚したのは、今から十三年も前のことだ。彼女の父親が得意先の専務取締役で、二三人さんを気に入って娘を嫁がせた。政略結婚とまでは言わないが、それに近いものだったそうだ。この歳になっても子供がいないことや、同期が先に出世したことが暴力の引き金になった、と藍子ちゃんは思っている。実際、それは正しいだろう」
「よくご存知で」
「私は藍子ちゃんの味方だからね。誰かに味方するには、絶対に敵のことを知っていなければならないんだ」
 そういうものだろうか。私にはよく分からない。私は佐山さんに隠れ場所を提供しているだけで、別に彼女の今後について何かしら責任を負っているわけではないからだ。
「ところで、公二郎君。私と、正義の話をしないか?」
「正義ですか?」
「ああ、正義だ。三人の命を救うため、関係ない一人の命を犠牲にするのは正義か悪か――さあ、君はどう考える?」
 ふむ。人の命がすべて平等の価値ならば、一人と三人とでは三人の方が重くなる。だが、すべて平等だからこそ、一人の方も重く扱われるに違いない。だから、この場合は人の命がすべて平等の価値であるという前提から否定して考えるべきだろう。
「その一人が、他の三人を合わせたよりも社会的に重要な人間ならば、一人の方の命が優先されるべきだと思います」
「逆もまたしかり、かい?」
 私は小さく頷いた。
 働かない私のことを、価値のない存在、と評した人がいる。その人に先ほどの質問をすれば、私のような人間なら犠牲にしても構わないと考えるに違いない。公正明大な彼女は、私のことを嫌っていたからだ。
 しかし、この場においてそれはどうでもいいことだった。すでに私と何の関係もない彼女は、どうやっても今の私に影響を与えることができないからだ。今の私に影響を及ぼすのは、Kさんくらいのものだ。
「Kさんはどう考えますか?」
 今度は私がKさんに尋ねる。彼女から振られた話題なのだから、当然すぐに返事があるものだと私は思っていた。だが、それは違った。彼女は答える素振りすら見せず、もうすぐ着くことを私に伝えた。
 車はデパートの立体駐車場の最上部で停まった。階下はすべて満員だった。私はKさんに先導される形で歩いた。デパートの中は、どこも人で溢れかえっていた。だから、私たちはなかなか携帯ショップに辿り着くことができなかった。
「公二郎君、君、機種はどうする?」
「機種、とは?」
「携帯電話は、いくつかのメーカに分かれているんだ。それぞれ特徴がある。すべて巡って選ぼうか?」
「Kさんと同じで構いません」
 Kさんの使っている赤色の携帯電話は、彼女いわく最低限の機能しか付いていないそうだ。機械音痴の私にはそれで十分だろう。
「分かった。じゃあ、すぐそこだ」
 私とKさんはそのまま真っ直ぐ進み、携帯ショップに入った。すぐに受付の人がやって来た。若く清潔感のある女性だった。首から下げられた名札には、春日野〈かすがの〉と記されている。
「こんにちは」
「こんにちは」
 挨拶をされたので、私は返した。Kさんの方を見る。
「どうも、こんにちは」
 やや遅れて、Kさんも返した。
 私とKさんは椅子に座り、携帯電話を買いたいと伝えた。春日野さんは私たちに礼を述べ、カタログを見せてくれた。私は迷うことなく、Kさんと同じ機種を選び、色も揃えた。
「色まで一緒だと、区別できなくなるじゃないか」
 ふむ。確かに、一理ある。
「では、白色でお願いします」
「ありがとうございます。奥様との家族割引には加入されますか?」
「私は独身ですから、加入はできません」
 春日野さんは、私とKさんが夫婦だと思ったようだ。浅はかだとは思うが、それは私のことをしっかりと男だと認識してくれたということだ。だから、私は特に咎めることはせずに断った。
 携帯電話の入った紙袋をもらい、書類にサインをしてから店から出る。春日野さんは最後まで見送ってくれた。いい人だった。
「このあとはどうしますか、Kさん?」
「今から帰れば、家で昼食が食べられる。だけど、私はここで時間を潰したあとに済ませても構わないよ」
 私はKさんに恩がある。ここまで連れて来てもらい、さらに色々と助言をしてくれたことだ。せめて、御馳走くらいはしたい。
「ここには、何か食べるところはありますか?」
「そりゃ、デパートだからあるさ。食べていくのかい?」
「はい。是非、私に御馳走させてください」
「じゃあ、お願いするよ。藍子ちゃんには、君から連絡してくれ」
 と言われたので、さっそく買ったばかりの携帯電話を使ってみる。まず、手近なベンチに座り、箱から機械を取り出す。そして、Kさんに使い方を教わりながら自宅へ連絡を取った。初めて携帯電話で連絡する相手が佐山さんになるとは、何とも言えない感覚だ。
 正午になるまで、私とKさんは目的もなく歩き回ることにした。途中で、服屋の店員に呼びとめられた。彼女は私に試着を勧めた。私は面倒臭かったが、Kさんが見たいと言ったので着てみた。
「これは、女物でしょうか、それとも男ものでしょうか?」
「ユニセックス、かな。どっちでも着られる」
 私に宛がわれたのは、スカートのような服だった。店員さんは、お似合いです、と言ってくれたが、まったく嬉しくない。こんなものは、オカマにでも着せておけばいいのだ。
 私とKさんは服屋を出た。もちろん、何も買わなかった。
「君は、いつもその格好だな、公二郎君」
「気に入っているのです」
 私の服装は、いつも白いワイシャツと黒のスラックスだ。家の中ではスリッパを履き、外出する際には黒い革靴を履く。
「いつも同じだと、飽きないかい?」
「それはKさんにも言えることではないでしょうか?」
 Kさんは、いつもベージュのパンツスーツを着ている。それは仕事のない今日のような日でも同じだ。これ以外の服を着ているのを見るのは、せいぜいランニングの際の黒いジャージくらいのものだ。
「これは淑女の嗜みだ。高校のときから、極力これを着て生活するように心がけているのさ」
 思い返してみれば、この人はお風呂に入ったあともこれを着ていた。寝るときはどうしているのだろうか?
「さて、そろそろ行こうか。お昼には少し早いけど、うかうかしていると満席になってしまう」
 ふむ。それは困る。私は待つということが好きではないのだ。
 私はKさんのあとに続いた。彼女が以前から気になっていた店に行くことになったのだ。着くと、そこは明るい雰囲気の店だった。
「ここではどんな料理が?」
「ジャーマン、さ」
 ドイツ、か。
 少し早く行動したことが幸いしたのか、私とKさんは待つことなく座ることができた。ただ単にこの店の人気がないだけかも知れないが、それを口にするほど私は野暮ではない。
「こちら、メニューです。お決まりになりましたら、お呼びください」
 Kさんは渡されたメニューを楽しそうに見ている。どれがいいかと尋ねられた。だが、私は店員ではないので答えられない。だから、私に聞かれも困るということを正直に伝えた。
「おいおい、公二郎君。こんなときは、一緒になって悩むものだぜ。君は恋人と来てもそんな態度なのかい?」