セロ弾きのディレッタント
「は、はい」
動揺された。
「Kさんと同級生だったそうですが、あの方はどのような人だったのでしょうか? やはり、あんな風ですか?」
「はい、飄々とした態度は昔と変わっていません。あんな人、私の人生で初めての人だったから、ずっと記憶に残っていました」
それから佐山さんはKさんのことについて、彼女の知っているすべてを教えてくれた。Kさんは、初等部から高等部でエスカレーター式の学校に高等部から入学し、最後まで主席の座にいたそうだ。大学への内部進学を蹴り、外部の超難関の大学へ現役で合格したらしい。
「高校のときは、人気者だったんです。学年全体でする劇で、王子様役をやってから上級生からも下級生からも大人気でした。ファンクラブまであったんですよ」
「佐山さんは、その当時から友達だったのですね」
「いえ、違います。私は、遠くから憧れの存在として見ているだけでした。あの人の側にいたのは、ルームメイトのすごく綺麗な人でした。県で一番大きな私立病院の一人娘さんだったんです、その人」
なるほど。Kさんが同性から大人気だった姿は、当時を知らない私でも想像できる。男の私から見ても彼女は素敵なのだから。
「……あの、常盤さんの高校時代は?」
「私の、ですか?」
驚いた。ここで終わるかと思われた会話が、佐山さんによって続けられた。彼女が私との会話を気安いものだと思っているのかも知れない。そう考えると、よく分からないが嬉しいように思えなくもない。
私の高校時代、か。正直なところ、あまり思い出せない。断片的な記憶が散在しているだけだ。佐山さんに伝えるには、これを再構築して編集しなければならない。それには時間が必要だ。
「少々お待ちください。思い出しますので」
佐山さんに断ってから、席を立ってキッチンに向う。珈琲を淹れながら、当時の記憶を紡ぎ合わせていく。
「佐山さんも、飲みますか?」
「はい、頂きます。ありがとうございます」
改めて座り直し、ややいい加減な思い出を伝える。
「私は地元の高校に通っていました。福岡の方の県立高校です。それなりの進学校だったと記憶しています。ただ、校則に関しては緩かったはずです。ですから、のんびりとした三年間でした」
「常盤さんのことですから、もっと有名な私立学校を卒業されたのかとばかり思っていました」
私の家系は確かに名家と呼ばれているが、別に私はそんな高尚な人間ではない。だから、普通に生きるべく世間一般の人たちの通う学校に進んだ。父は渋ったが、祖父がそれを許した。あのときから、私は常盤家の家業には一切関わらないことを決めたのだ。
「あの、お友達とかは?」
「女性ばかりの吹奏楽部に入っていましたので、殆どが女性でした。男性たちは、私に対して不干渉か過干渉のどちらかでした。後者の人たちは、恐らくホモセクシャルかバイセクシャルだったと思います」
「それは、その、大変だったんですね……」
確かに、いろいろとあった。だが、せいぜい尻を触られた程度だ。別に騒ぐほどのことではない。彼らには、とことん同性愛へ突き進むだけの覚悟が欠落していたのだ。
「本当にのんびりとした三年間でした。あらゆるストレスから解放されていたと言っても過言ではありません」
「でも、勉強とかは?」
「特に苦と思ったことはありませんでした。周りの人たちがいろいろと助けてくれましたから」
「人気者だったんですね、常盤さん。分かる気がします」
当時例外的に親しかった男性の友人は、私が女性的美しさを持っているから女性から便宜を図ってもらえるのだ、と言っていた。私は男性でありながら女性としてカテゴライズされているのだ、と。
もちろん、私は彼の意見に異を唱えた。すると、彼は私を背後から抱き、耳を噛んで囁いた。俺はおまえのことを女として見ている、と。彼はその後、私とよく似ている妹と結婚した。
「私も、最初は常盤さんの性別を間違えましたから」
「やめてください。私は、あまりこの顔が好きでないのです」
「私は羨ましいです」
それぞれの性別に求められる美は、異なるのだ。男性である私に、本来女性的な美は備わるべきでなかった。それを羨ましく思うのは、あまりにも私の気持ちを蔑ろにしていないだろうか、佐山さんよ。
私は無言で立ち上がった。すると、佐山さんの表情が変わった。私が機嫌を損ねたのだと勘違いしたのだろうか。
「別に、私は怒ってなどいません。ただ、お手洗いに行くだけです」
佐山さんを残し、個室で便座に座る。私は自分が男であることを確かめたかったのだ。それには、ここが一番適した場所だった。
幸いにして、やはり私は男だった。私はそのことに満足して、お手洗いを出た。そこで、Kさんと鉢合わせた。
「おはようございます」
「おはよう。トイレかい?」
「いえ、自分が本当に男かどうか確かめていただけです」
「君は心配性だな。君が男であることは、明確じゃないか。実物を見た私は言うんだから間違いないよ」
女性からそう言ってもらえると、自分で確かめるより安心感がある。相手がKさんならば尚更だ。
「ところで、Kさん。今日は遅かったですが、何かありましたか?」
「ああ、すまない。ちょっと人と話をしていてね」
「お知り合いと会われたのですか?」
「いや、電話さ。ほら、これだ」
Kさんはズボンのポケットから赤い携帯電話を取り出して見せた。
「君は持っていないんだよね?」
「必要ありませんから」
「けれど、三人で暮らすんだから、これからは必要になるかも知れない。昼から、買いにいかないかい?」
「お昼からですか? ですが、Kさんには仕事が」
「おいおい、今日は日曜日だぜ。さすがに私も休みさ」
すっかりと忘れていた。曜日感覚はしっかりとしているはずなのに、どうして忘れてしまったのだろうか。
「で、行くかい?」
「せっかくですから、お願いします」
別に携帯電話などほしくなかったが、別に持たない理由もなかった。特に用事もないので、出かけるのも悪くないだろう。
5
佐山さんも誘ってみたが断られた。あまり外出したくないとのことだった。仕方ないので、彼女には留守番を頼んだ。
「藍子ちゃんは、自分の居場所が旦那に割れないかと心配しているのさ。何せ、彼女の家はすぐそこだからね」
「Kさんは、佐山さんの旦那さんとは面識が?」
「いや、ないよ。だけど、色々と知っているんだ」
赤信号で車が停まる。この信号で停まるのは、今日二度目だった。Kさん曰く、今日は休日だから車が多い、とのことだ。
「その色々について知りたいです」
「構わないよ」
Kさんは窓を閉じ、代わりに空調のボタンを押した。私はシートを少しだけ後ろに倒し、Kさんの美しい横顔を窺った。記憶を整理しているのだろうか、右のこめかみを人差し指で押さえている。やがてまとまったのだろうか、ハンドルを握り直して口を開いた。
「旦那の名前は、佐山二三人〈さやまふみと〉。年齢は、私より三つ年上の四十三歳。東京第三大学経済学部商学科を卒業。その後、常盤製紙に入社。現在は企画部企画第二課の課長を務めている」
信号が青に変わった。Kさんは一旦話をやめ、アクセルを踏んだ。
作品名:セロ弾きのディレッタント 作家名:霧島卿一朗