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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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 以前、Kさんが噂には尾ひれがつきものだと言っていた。それを考慮すれば、石動の話も伝聞によって脚色されたものだろう。だが、Kさんがやったことだと聞くと、どこかそれっぽさがあるのが恐ろしい。今でこそ落ち着いているが、あれは若い頃の濃密な経験によって培われたのではないか、と私は思わずにはいられなかった。
「ああ、そうだ」
 私がそんなことを考えていると、憲四郎が何かを思い出したようだ。何かと尋ねると、大したことではない、と前置きされた。
「あのいなくなった人、お兄さんがKさんの教え子だったとか」
「その人の住所は分かりませんか?」
「確か、カルテに載っていたと思いますが……」
 憲四郎の表情は冴えない。私がその表情の意味を察せずにいると、守秘義務があるんだよ、と石動が舌打ち混じりに教えてくれた。なるほど、それなら諦めざるを得ない。
「いなくなった人とKさんは、どんな感じでしたか?」
「親しそうに見えましたが、どうでしょうか。横で会話を聞いていると、言葉に棘があるようにも聞こえました。まあ、私がそう感じただけかも知れませんが」
「あいつらは、絶対に何かあっただろ」
「石動さんは何かご存知でしょうか?」
「女の勘だよ」
 田井中もこのフレーズを使っていた。私と憲四郎は顔を見合わせ、その乏しい根拠に苦笑を浮かべた。
「この人、哲学者のくせに時々こんなことを言うんです」
「ですか」
 もう聞けることはなさそうだ。休憩の時間も終わるそうなので、私は退散する旨を伝えた。すると、石動が嬉しそうな表情を見せたのは私の見間違いではなさそうだ。好きな相手と一緒にいられるのは、やはり嬉しいことなのだろうか。
「おまえ、あいつのこと調べてるんだろ? だったら、他にも会って話を聞いてみればいいじゃねぇか」
 去り際になって、石動にそんなことを言われた。
「ですが、他にKさんの知り合いを知らないのです」
「戎崎って奴のことなら、私はちょっと分かるぞ。思い出した。戎崎は、横浜らへんのでかい病院の一人娘だったはずだ。そこに行けば、会えるんじゃないか?」
 これはいいことを聞いた。私は石動に礼を言い、病院を去った。
 家に帰ると、まだ誰もいなかった。しばらくすると、佐山さんが帰ってきた。私は、戎崎という人物に心当たりがないかと尋ねた。すると彼女は知っていると答えた。
「この前に話した、高校時代のルームメイトの人です。ほら、私立病院の一人娘の」
 ああ、あれか。佐山さんと出会ったばかりの頃の話だったので、私はすっかりと忘れていた。
「その人と連絡を取れますか?」
「いえ、私は親しくなかったので……」
 となると、患者として通院してアポイントメントを取ろうか。Kさんの知人と言えば会ってくれるかも知れない。
「このことは、Kさんには秘密にしてください」
 佐山さんは不思議そうにしていたが、承知してくれた。

 14

 戎崎病院の受付で、私は体調が悪いと告げた。受付の女性はそれだけでは分からなかったようで、私に詳しい病状を尋ねた。よく分かりませんが、ぼんやりとしています、と私は答えた。
 私が通されたのは、心療内科という場所だった。呼ばれて部屋に入ると、白衣を着た女性が待っていた。名札を見る。戎崎ではなかった。痩せた上品そうな人だが、Kさんの実年齢よりも上であることは間違いなく、どこか気だるい雰囲気を放っていた。
「こちらで診察されるのは初めてですね。今日はどうされましたか?」
「よく分かりませんが、ぼんやりとします」
 受付で言った通りのことを答えた。
「失礼ですが、心音を聞かせてください」
 女医さんは聴診器を手に取った。私は言われるがまま上半身を見せた。音を聞き終えた彼女は、結構です、と言った。
「どこも悪くはありません」
「そうですか」
 それはそうだ。実際、私はどこも悪くなどないのだ。
 それから私は、どんな食生活をしているかについて尋ねられた。三食は欠かさず食べていると答えた。アルコールの摂取頻度について答えると、女医さんは難しい顔をした。
「よく飲まれるようですね」
「そうでしょうか」
「そうです。そうやって毎晩のようにボトルを何本も空けるのは、十分に飲みすぎです。それに、お昼から飲むのもいけません。少しずつでいいですから量を少なくして、運動するようにしてください」
「明日からそうします」
「今日からしてください」
 最後は厳しい眼差しで言われてしまった。従うとしよう。
 診察が終わると、私は戎崎さんについて尋ねた。女医さんからどんな関係かと尋ねられたので、知り合いの知り合いと答えた。
「一応、取り繋ぎましょうか?」
 お願いした。一応、と言われた時点で無理そうだったが、せっかくここまで来たのだからぶつかってみるのも悪くない。断られるのを前提で考えていると、意外にもアポイントメントが取れた。それほど時間が取れないとのことなので、すぐに会うことになった。
「禁酒のことで相談があれば、いつでもどうぞ」
 別れ際、女医さんは連絡先を教えてくれた。携帯電話の番号だそうだ。こんなに親身になってくれるとは、いい病院だ。
 私は病院の奥へと通された。応接室のような部屋で待っていると、先ほどの人とは別の女医さんが慌ただしく現れた。お待たせしました、と彼女は早口で言った。
 立ち上がって挨拶する。
「こんちには」
「はじめまして、戎崎です」
「こんにちは」
「ええ、こんにちは」
 それから自己紹介をして座った。
「あいつの知り合い、と伺いました。すると、何かあいつの存在によって不利益を被ったのでしょうか?」
「不利益? まさか、そんな」
 戎崎さんは誰かとKさんを勘違いしているのではないだろうか。私はそう思わずにはいられなかった。思ってしまうと、確認せずにはいられない。人違いではありませんか、と確認する。
「なるほど。あなたはあいつに気に入られたようですね。確かに、あいつの好きそうな顔をされている。でしたら、あいつがあなたに与えるのは不利益ではなく小さな奇跡でしょう」
「おっしゃる意味がよく分かりません。もっと詳しく説明を」
 しかし、戎崎さんはかぶりを振った。あいつのプライバシーに係わることだから迂闊に吹聴できない、と彼女は頭を下げた。私は何だか自分が悪さをしているような気分になり、それは仕方のないことです、と噛み合わない返答しかできなかった。
「戎崎さんは、Kさんと仲が悪いのでしょうか?」
「悪くはありませんが、二十年近くまともに顔を合わせいなのは事実です。ある時期から、急に私と彼女が噛み合わなくなった。強いて言うなら、それがきっかけです。それにしても、Kさんというあだ名は健在でしたか」
 戎崎さん曰く、このあだ名はある外国人によってネーミングされたそうだ。その日のことは鮮明に覚えていると彼女は言った。
 やはり立場のある戎崎さんは時間に追われているようで、あまり長く話すことはできなかった。その内容も世間話に毛が生えたようなもので、Kさんについて深く知ることはできなかった。
「あんなことがなかったら、あいつは変わらなかったのに。だから、私のせいじゃないんです」