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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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 Kさんはさらに二人分のホットケーキを焼くべく、もう一度キッチンに入った。和人はお手洗いの場所が知りたいと言った。私は彼を案内すべく、リビングを出て廊下を進んだ。
「公二郎、あの女は誰だ?」
「Kさんです」
「そう呼んでいたな。本名は何だ?」
「知りません。聞いたことがありませんので」
 出会ったばかりの頃は、何度か聞こうと思った。だが、その気持ちは親交を深めるに連れて薄くなり、今では名前など知らずとも気にならなくなっていた。
「変な女だな」
「ええ、確かに不思議な方です。ですが、別に悪い人ではありません」
「おまえにとって善人だからと言って、俺にとっても善人だとは限らない。善悪の基準は、それぞれだからな」
「少し黙れませんか――ここが、お手洗いです」
 バスルームの隣にあるお手洗いに着いた。私は和人を残して立ち去ろうと踵を返したが、彼に手首を掴まれた。
「用を足さないのですか?」
「俺は、尿意も便意も催していない。短い時間でいいから、おまえと二人だけで話しがしたかっただけだ」
 これまでの和人なら、ここで私に口説き文句の一つでも言ったに違いない。だが、目の前の彼は真面目な表情だった。何か思い詰めているようにも見え、私は無下に断ることができなかった。
「……あとで、私の部屋に来てください。そこで聞きます」
「すまんな、公二郎」
 私たちは時間差を置いてリビングに戻った。それから遅めの昼食を食べ、真彩さんの帰りを待った。和人は何度もKさんに話題を振ったが、彼女は冷たいとも言える反応しか示さなかった。
 真彩さんが帰ってきた。
「あれ? 雨宮〈あまみや〉さん、だっけ?」
「今は、常盤ですよ。これの妹と結婚しましてね」
 私を指差して、和人は苗字の変わった経緯を伝えた。この二人には、私を通じて面識があるのだ。
 それから私たちは、適当に夕食を済ませ、晩酌を行った。和人は、ワインやブランデーに関する知識を煩くない程度に披露して、真彩さんと佐山さんを感心させた。きっと、接待でもこうやって場を盛り上げているに違いない。改めて考えてみれば彼には、高校生の頃から話術の才能が備わっていたように思える。
 日付の変わる一時間と少し前に、晩酌はお開きとなった。和人は、女性陣が眠ったあとに私の部屋にやって来た。
「それで、私と何の話がしたいんですか?」
 和人が何も言おうといないので、私から尋ねた。早く話を終わらせて、彼には早々にお引き取り願いたかったからだ。
「……実は、七海と上手くいかなくてな」
 想像はしていたが、やはりその通りだった。憲四郎から話を聞いていたので、そのことでやって来たのだと最初から思っていた。
「原因は、どちらにあるんですか?」
「俺だ――と龍三郎社長はお考えだ」
 常盤龍三郎〈ときわりゅうざぶろう〉。常盤グループの総帥。そして、私や七海たちの父上である。和人にとっては、私的には義理の父親であり、公的には親会社の社長だ。
「この前、七海から贈り物をもらったんだが、俺はそれを要らないと断ってしまった。あいつは泣いて、そのことを龍三郎社長に言った。その翌日、俺は部署を移動させられた。営業部から、経営管理室へと」
「和人の会社のことは知りませんが、つまり左遷ですか?」
「ああ、そうだ。あそこでは、仕事らしい仕事ができない。経営に関する資料を編纂管理するだけだ。必要な仕事ではあるが、閑職だ」
 七海のことになると、父上は非常に過保護だ。それは彼女が常盤家の次期総帥であることも関係しているが、実際には父上が子供たちの中で娘が一番可愛いからに過ぎない。その娘を泣かそうものなら、相手が婿であっても容赦はしないのだ。
「和人は、私に仲裁を求めているのですか?」
「まさか。おまえに間に入られちゃ、余計に拗れる」
 賢明な判断だ。私は父上との折り合いが悪い。ここで私が下手に首を突っ込めば、さらに事態が悪化するのは確実だ。
「では、和人はどうするつもりですか?」
「どうするもこうするも、下手な小細工をしても仕方ない。相手は、あの常盤龍三郎だからな。頭を下げて許してもらうより他ない」
「分かっているなら、こんなところで油を売っていないで、すぐに福岡に行くべきだと思うのですが」
 和人はかぶりを振った。怖すぎる、と言って。
「心の準備がしたい。だから、しばらく置いてくれ。会社なら、ここからでも通えるから」
「自分の家でどうぞ」
「家には、七海がいるんだぞ。落ち着いていられるか」
 こいつに、そんな神経質なところがあるとは驚きだ。私が迷惑していることも、少しは慮ってくれればいいものを。
 それにしても、こいつは七海のどこに不満があるのだろうか。高校時代、こいつは私に好意を告げだが、普通に女性とも付き合っていたことから推測するに純粋なゲイではないはずだ。自分そっくりな妹の容姿を褒めるのは変な気分だが、七海は稀有な美貌の持ち主だ。加えて性格も穏やかで、品位と教養を兼ね備えている。あれに不満があるのならば、むしろ、それが何か聞いてみたいものだ。
 私が問うと、和人は七海に不満を持った過程を語り始めた。
「俺が七海に近づいたのは、単純におまえと顔がそっくりだからだ。おまえが俺の気持ちに応えてくれなかったから、瓜二つの相手で妥協しようと考えたんだ」
「父上に知られたら、和人は殺されるでは済まないでしょうね」
「そう言うな。きっかけは不純だったが、おれはすぐに純粋に七海の魅力に惹かれたんだ。あんな女はなかなかいないぞ」
 嘘を言っているわけではなさそうだ。
「七海の一番の魅力は、何と言っても人選眼だ。あいつが大学時代に会社を興していることは、おまえも知っているだろう?」
 当然だ。我が常盤家には、家訓がある。常盤家の一族たる者、自ら会社を興して利益を出してこそ一人前、というものだ。七海は、それを二十歳そこそこでやり遂げたのだ。その会社は、今では常盤グループに入り、御三家に次ぐ利益を上げているとか上げていないとか。
「あいつは、通っていた大学内から創業時の従業員を選んだ。その殆どが、学内では微妙な奴ばかりだった。周りは、あいつの正気を疑った。俺も陰で笑っていた。こんな寄せ集めで何ができるんだ、と。だが、七海はそいつらの才能を見抜き、見事に使いこなして成功を掴んだ。俺はそれ以来、あいつの信奉者なのさ」
 そう言えば、和人は大学で転科している。法学部から経済学部へと。まさか、七海の影響なのだろうか。
「俺は、七海のような人間の下なら働きたいと思った。だから、俺は生まれて初めて努力を重ねた。男としても社会人としても」
「その結果が、七海との結婚ですか」
「ああ、そうだ。最高の気分だったよ。そのときは、あんなに好きだったおまえのことも忘れ去っていた」
 ここまで聞いていたが、どこにも七海と和人が仲違いする要因はないように思える。彼は彼女を尊敬しているのだ。それは表面的でくだらない愛とは一線を画しているいると言ってもいい。それがどうして、脆くも崩れたのだろうか。まったく分からない。
「前置きはもういいです。早く、喧嘩のきっかけをお願いします」
 私は結論を急がせた。すると途端に、和人は難しい顔になった。