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霧島卿一朗
霧島卿一朗
novelistID. 36792
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セロ弾きのディレッタント

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 8

 住所がなくては就職活動に挑むことすらできないそうだ。私にこのことを教えてくれた恩師は、真彩さんだった。つまり、彼女は住む家がなくなってしまったのだ。
「いや、情けないことで……」
 いきなり私の家に転がり込んできた真彩さんは、以前会ったときと同じく黒のレディーススーツを着ていた。持ち物はわずかだった。眼鏡のケース。車の免許証。メモ帳と筆記用具一式。財布。携帯電話。財布には、紙幣が三枚あるだけだった。
 珈琲を淹れて話を聞いてみると、彼女は家賃が払えず追い出されたそうだ。荷物は一時的に保管され、期日までに引き取らないと処分されるとのことだ。実家とは相変わらず険悪だそうで、一切援助は受けられず、彼女も縋る気はないらしい。
「親とかの反対押し切って留学したけど、結局私はピアノの才能がなかったっぽくてさ。で、こっちに戻って就活したけど、連戦連敗。バイトのシフトも多く入れられなくて、金がないない。半年も家賃滞納してたら、そりゃ追い出されるよねぇ……」
 しみじみとした口調で、真彩さんは愚痴をこぼす。気のせいだろうか、飲んでいる珈琲がアルコールか何かに見える。
 今、家には私と真彩さんだけだ。佐山さんは、Kさんの車で公職安定所に行っている。朝から行っているが、昼を過ぎても帰らない。何か進展があったのだろうか。そうだといいのだが。
「ねえ、ハム二郎? お願い聞いてくれる?」
「はい、私にできることなら」
「じゃあ、就職が決まるまでここに住んでもいいかな?」
「ええ、いいですよ」
「本気〈マジ〉でいいの? 私、家賃とか全然払えないよ?」
「家賃なら、佐山さんからも頂いていません。さらに言うなら、食費や光熱費もです」
「でも、その人は訳ありなんでしょ? だったら、仕方ないじゃん。その人はともかく、Kさんって人はちゃんと払ってるんでしょ?」
「ええ、頂いています。私はいらないと言っているのですが……」
 Kさんは、きちんと私に生活費のすべてを渡している。私としてはいらないのだが、勝手に口座に振り込まれるので、それをどうこうするのは非常に面倒臭いのだ。だから、黙って頂いている。
 どうやら、真彩さんは金を払わず人の家に住むことに抵抗を覚えているようだ。そういえば、学生時代の彼女は他の女性たちと違って私に何かをねだることがなかったかも知れない。ひっとすると、私は彼女のそんなところに惹かれたのかも知れないが、よく思い出せない。いずれにしても、彼女は意外に真面目な性格だということだ。
「ねえ、ハム二郎。後払いとか、分割払いでもいいかな?」
「真彩さんの気が済むなら、私はどのような形でも構いません」
「じゃあ、家賃は就職が決まってからでいい? 食費とか光熱費とかは、月末に決まった額を払うってことでいいかな?」
 私に依存はなかった。その後の話し合いの末、真彩さんはこの家三人目の居候となった。彼女は、一階の玄関に近い部屋を選んだ。
 夕焼けが綺麗な頃に、Kさんと佐山さんが帰ってきた。私は彼女たちに、真彩さんのことを紹介した。ここに住むことになった事情も伝えた。同じ無職であることにある種のシンパシーでも感じたのだろうか、佐山さんは自らコミュニケーションを取っていた。最初こそは探り合いのような会話だったが、夕食を終えて晩酌をする頃にはすっかりと打ち解けて、愚痴をこぼし合うまでになっていた。
「男だったら、現場での作業とかできるから、求人とか結構多いじゃないですか。でも、女ってホントに少ないですよねー」
「分かります。女の人だと、できる仕事が限られるんですよね……」
「女は結婚すればいいから楽だ、とか男は言うけど、男は独身でも生きやすいからいいですよね。女が一人で生きていくには、相当の学歴や資格、容姿が必要じゃないですか」
「そうですね。それを全部持っている人なんて、なかなか……」
「ですよね……」
 そこにKさんがお手洗いから戻ってきた。真彩さんと佐山さんの視線が、素早く彼女へと向けられた。
「ここにいましたね、真彩さん」
「ですね、藍子さん」
 羨ましそうな目で、Kさんを見つめている。
「おいおい、これは何だい、公二郎くん?」
「お二人は、学歴も資格も、容姿も揃っているKさんを羨んでいるのです」
「何を言うかと思えば、そんなことか」
 やれやれ、とばかりにかぶりを振りながら、Kさんはソファーに座った。私の淹れた珈琲を啜り、真彩さんと佐山さんを見据えた。
「私の人生だって、そんなに順風満帆じゃないさ」
 これに真彩さんが反論する。
「でも、Kさんって、東京第一大学なんでしょ? ハム二郎に聞きましたよ。しかも、今は高校の先生なんですよね? いいじゃないすっかぁ。エリートですよ、エリート。しかも、美人ときたから、こっちは妬み嫉みでおっかしくりそうですよー」
「真彩ちゃん、ちょっと私の話を聞いてくれないか?」
 Kさんが訂正に入ろうとする。だが、今度は佐山さんがそれをさせなかった。
「ただの美人じゃないですよ。この人、私と同じで四十歳なんですよ? 普通、四十歳なら化粧しても皺とか皮膚のたるみが誤魔化せないのに、この人は化粧なしでこれですよ、これ!」
「ですよねぇ! ぎりぎり二十代の私よりも若く見えるなんて、天使に愛されたか悪魔と取引したかのどっちかですよ、絶対!」
「人を魔女扱いしないでくれ!」
 珍しく、Kさんが動揺している。いつもは飄々としているが、慌てた顔もいいものだ。美しさよりも可愛さが勝っていて、非常にそそられる。薔薇を愛でる行為もチューリップを愛でる行為も、その本質は何も変わらないのだと私は思った。
「魔女じゃないなら、証明してもらわないといけないですねぇ? ってことで、魔女裁判やりまーす! いやっほーい!」
「待て、何をやらかすつもりだ!」
「大学の授業で聞いたことありますよ、真彩さん。水の中に沈めて、浮いてきたら魔女なんですよ!」
「まあ、そんな形式のものもあったそうだな――じゃない! 普通、浮くだろ、人間なら! それだと、無実すなわち死じゃないか!」
 楽しそうだ。邪魔になってはいけないので、男性である私は席を外すとしよう。決してKさんのことを見捨てるわけではない。私の行動は、場の空気を読んでのことなのだ。
 私はリビングを出て、自室へと戻った。ベッドに身体を横たわらせ、手を伸ばして電話の子機を取った。そして、弟の携帯電話にかけた。
「はい、常盤です」
「こんばんは、常盤です」
「……その声は、公二郎兄さんですか」
 眠いのだろうか、憲四郎の声は不機嫌に聞こえた。だが、眠くなるにはまだ早い時間だ。情けないぞ、弟よ。
「何かご用ですか? 私は、今日は当直なんですが――」
「――こんばんは」
「ああ、公二郎兄さんはお変わりないのですね。はい、こんばんは。それで、ご用は何でしょうか?」
「いえ、特に用事はありません」
「今は何をされているのですか?」
「部屋のベッドで横になりながら、憲四郎と通話をしています」
「兄さん、そう意味では……いえ、私の言い方が悪かったようです。では、改めてお聞きします。最近の生活はどうですか? 何か変わったことはありませんでしたか?」
「居候ができました」