その鳴くや哀し
Ⅵ
完全にドアが現れるまで土砂を排除してから、レスキュー隊員の一人が車内に声を掛けた。
「今からこの窓を割るから、離れていなさい!」
レスキュー隊員が工具で後部の窓を割り、社内を覗きこんだ。丸い目をした4歳くらいの男の子が、後部シートに立っていた。上半身は幼稚園の制服を着ていたが、下半身は裸だった。用を足すために自分で脱いだのだろう。こんな小さな子供が3日間も狭い車内に閉じ込められたのだから、無理もない。足元には「コアラのマーチ」の空き箱が転がっていた。これを食べて3日の間、空腹を凌いでいたのだろう。
運転席部分は、フロントガラスと屋根が大きな岩で押しつぶされ、極端に狭くなっていた。母親の姿が見当たらないのは、運転席に座ったままハンドルと屋根に挟まれて身動きできないからかも知れない。だとしたら、急性肺動脈血栓塞栓症の危険性がある。いわゆるエコノミー症候群のことだ。最悪は脳梗塞や急性心筋梗塞の恐れもある。
レスキュー隊員が男の子に声を掛ける。
「今からドアを開けて助けるから、離れていなさい。」
だが、そこからが大変だった。土砂の圧力で車体が歪んでいるため、ドアを開けることができない。ダイヤモンドカッターを穴の中に運び込み、ドアのヒンジ部分を切り離すことになった。
ドアを切り離すまで、さらに1時間近くの時間がかかった。切り離したドアを穴からバケツリレー方式で搬出し、男の子が同じようにして穴から運び出される。
穴の出口で男の子を受け取った隆正が男の子を抱いて立ち上がると、周囲から歓声と拍手が上がった。
隆正は男の子を運びながら話しかけた。
「よくがんばったね。こわくなかった?」
男の子がはっきりと答える。
「お母さんといっしょだから、こわくなかった。お母さんがお菓子くれたの。それから、いっしょに歌を歌ったり、しり取りしてたの。」
「そうか、お菓子食べてたんだね。よかったね。」
隆正は、待ち受けていた父親に男の子を手渡した。
男の子を抱いている父親をその両親がさらに抱くようにして、3人で泣いている。その姿を報道カメラマンが撮影しまくった。明日の各紙の朝刊の一面は、きっとこの写真が使われるのだろう。
父親が隆正に泣きながら尋ねる。
「お母さんは、祥子は無事ですか?」
「母親は現在救助中です。運転席とハンドルに挟まれているので、少々時間がかかるかも知れません。」
「お願いします。この子の母親も助けてやってください。お願いします。」
「全力を尽くします。」
そうとしか言えない隆正に向かって、父親もその両親も何度も頭を下げた。男の子はそのまま救急車に乗せられ、祖母が付き添って病院に搬送された。父親と祖父は救助現場に残った。
既に時刻は夕刻を過ぎ、周囲は暗くなっていたが、そのまま作業を続行することとなった。
作品名:その鳴くや哀し 作家名:sirius2014