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魔王様には蒼いリボンをつけて ーEpisode1ー

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【紅い血と、紅い炎と】



「ここに来てはいけないと言われているでしょう?」

 ふいに後ろから声をかけられた。

「……グラウス、様……?」

 振り返ると、執務中なのか書類綴(バインダー)を抱えたままの執事がそこに立っている。
 銀髪がわずかな光を弾く。ここのように真っ暗な場所では、そんな光でも目に留まりそうだ。
 階下で蠢(うごめ)いている化け物たちに見つかりやしないかと、ルチナリスは視線をホールに向けた。あの中の1匹にでも見つかれば後はない。
 
 それと同時に奇妙にも思う。
 この人はこんなところでなにをしているのだろう。こんな、悪魔が普通にうろついている場所で。
 人間なんて捕まったら最後、頭から食べられてしまうのに、この人は声をひそめるどころか隠れようとすらしていない。
 上背があるから目立つのよ、隠れなさいよ。……とは面と向かって言える雰囲気ではないけれど。しかしこれでは灯台が突っ立っているようなものだ。まさか自分の身長が標準より上だと言うことに気づいていないとは言わせない。

「知らなければ幸せだったものを」

 諫(いさ)めるような目を向け、グラウスは口を開いた。

「真実を知ろうとすることがいつも正しいとは限りませんよ。誰かを守るための嘘もある。あなたの行為が誰かを傷つけることもあると言うことを覚えておきなさい」

 淡々と諭す喋り方はいつもと同じ。
 誰かに声を聞きつけられたら、と、ひそめる様子も全くない。


 ……何よそれ。
 ルチナリスはグラウスを睨みつけた。
 ここに来ちゃ駄目だって言われているのに来たのは悪いと思うわ。でもどんな悪魔がいるんだか知っていたほうが自衛できていいじゃない。そりゃあ奴らに食べられちゃう危険もあったかもしれないけど、あたしはまだ見つかっていないし、奴らが飛び掛かって来るより先に逃げ出せるように出入り口も確保しているし――。
 そんな言い訳が次から次へと頭の中に並ぶのは「自分ひとりじゃない、執事がいる」という安心感もあったのかもしれない。
 執事だって無防備なくせに何故あたしだけ言われなきゃいけないの? と、思ったのかもしれない。

 
 その目にグラウスは言葉を止めた。
 かすかに開いたままの唇はまだなにか言いたげに動いたけれど、それだけだった。

「……人間の小娘とのままごと遊びも、これでおしまいですね」

 彼は少しだけ遠くに視線を向けた。


 人間の小娘?
 なに? その自分たちは違うみたいな言い方。

 口を開きかけたルチナリスより先に、グラウスは彼女の肩に手を置いた。なだめるため、と言うよりも彼女の動きを封じるためのようなその手の冷たさに、ルチナリスは身を#竦__すく__#める。
 力を込めるでもなく置かれているだけなのに動くことができない。肩から足まで一瞬のうちに凍りついてしまったようだ。

 この男の手はこんなにも冷たかっただろうか。
 氷を乗せられている、と言われても今なら納得してしまうかもしれない。
 少し前に廊下で肩を叩かれた時は、そんなこと感じなかったのに。



 執事の体で半分ほど遮られた視界の端にあの人が見える。ホールにいる化け物たちと動くこともできない勇者一行を黙って見下ろしている。
 その怜悧(れいり)な横顔に、わずかに憂いた色が見えたような気がした。

 ふ、とグラウスが小さく息を吐く。
 見上げると彼はルチナリスの肩に手を置いたまま、同じようにその人を見つめている。
 いつでも化け物たちから逃げられるように様子をうかがっているのかとも思ったが、それとは違うようだ。
 何処か苦しげに。
 何処か切なげに。

 この目、どこかで見た。
 この厳しい執事がこんな目をする時。……何処だったっけ。


 黒い布をまとった人が、再び身を翻す。
 顔に当たっていた光が、頬へ、髪へと移動していく。その黒の中で、別の色が揺れた。

 あれは。
 あの、青い色は。

 去りかけたその人が、ふとこちらを見た。
 紅い、紅い瞳が大きく見開かれる。

 ああ、そうだ。義兄を見る時の目だ。
 背を向けて去っていく義兄を、執事はいつもこんな目で見ていた。


 ゆらりと紅い中に、懐かしい蒼が混ざり始める。

「……る……ぅ? どうして、」

 あの冷たかった声はどうしようもなく義兄の声色に似て……。



 ――その時。
 
「油断したな魔王。勇者は剣士だけを言うのではないわ!!」

 ホールのほうから鋭い声がした。見ればガーゴイルの手を振り払ったのであろう弓使いが、上半身だけ起こして弓を構えている。弦が弾かれた直後のように小刻みに震えている。
 ちゃんと立ち上がることもできないくらい消耗しているのだろうに、弓使いは満足げに口元を緩ませた。
 弧を描くようにして飛んでくるその尖った矢尻の先は――まっすぐにこちらを向いていた。


 .。*゚+.*.。   ゚+..。*゚+


「……勇者のくせに、」

 絞るような声がルチナリスのすぐ近くで聞こえた。庇うように抱きしめている腕はすぐ近くにいた執事のものではない。

 知っている。
 あたしは、この腕を知っている。

「女子供に弓射るのが勇者のすることか?」

 義兄に似たその人は片手でルチナリスを庇いながら、もう片方の手で矢を掴んでいた。
 掴んだ手から紅い筋が伝う。手首から滴り落ちていく。