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音が響きわたる場所 【旧版】

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五.俺は調べる

 トーマスの店で、ソニアと並んでタマーレスにかじりついた。
「アントニオは来てないのか?」
「今日は見てないな。コーラは?」
 盲人である俺は、目配せによる合図を読み取ることができないため、言葉の暗号に頼らざるを得ない。
 平常時はビールを、問題があるときはコーラを、命に関わる場合はテキーラを勧めるのが、トーマスとの約束事だ。
 アントニオの身に何らかの問題が発生しているということ。
 店の中に客を装った見張り役がいるということ。
 判明しているのはこの二点だ。
「やめておくよ」
 最後の一口を放り込む。
 ソニアは俺よりも先に食べ終わっている。
「おじさん、早く行こう」
 ソニアはそう言って、俺の腕をぐいと引いた。
 何らかの緊張を読み取って、俺を名前ではなく「おじさん」と呼んだのだろう。
 賢い娘だ。だがそれは、年齢に見合わない苦労を経験している証でもある。
 車をいつもの街外れではなく店の近くに止めておいたのだが、正解だったようだ。
 南のサンタ・アナに向かって幹線道路を走り、途中で道を外れて砂漠に入る。道なき道を走れば、相手は開き直って追跡を続けるか、尾行を中止するかのどちらかしかない。
 追跡は二台。相手は開き直る選択をしたようだ。速度を上げて距離を詰めようとしている。どうやら、開き直りすぎて実力行使に出るつもりらしい。
 分かりやすくていい。実に俺好みの選択だ。
「トープさん」
 ソニアは不安そうに俺を呼ぶ。
 俺はソニアの頭にアントニオの帽子を被せた。
「大丈夫だ。すぐに終わる」
 気休めなどではない。ここソノラ砂漠は、俺の狩場なのだから。
「システム起動」
 声と同時に世界が広がる。
 俺の意識は、サワロ・アンテナを介して、上空二万マイルの衛星軌道上にある準天頂衛星に繋がる。
 システムオールグリーン。正常に作動している。
「目標補足」
 補足した目標とは、後ろを走っている二台の車のことだ。
 このソノラ砂漠には、あらゆる場所にサボテンなどの植物に偽装した観測装置が設置されている。俺は、それらから送られてくる情報によって、何処に何があるのかを把握できるというわけだ。勿論、把握するだけでは終わらない。
 俺の本領は、人間の脳からの直接命令による、無人攻撃兵器の遠隔操作なのだから。
「照準固定」
 照準は右前輪。攻撃に使用するのは、長距離狙撃用の単発式ライフルを二つ。
「弾薬装填、安全装置解除」
 ブレイン・マシン・インターフェイスによる操作は、本来ならば声に出す必要などは全くないのだが、声に出して目的を明確にすると、不思議とスムーズに進む。
 細かい動作は勝手にやってくれる。俺がやるのは、攻撃目標の設定と装弾、発射のトリガーを引くだけだ。
 連続した二発の銃声が響く。続いて、スピンした車が砂地を削る音が聞こえてきた。
「終わったぞ」
 俺はアクセルを緩め、ソニアを緊張から解放させた。
 砂漠の中で車という移動手段を失ったわけだが、街からはそう離れていない。タイヤを交換することも、ノガレスに歩いて戻ることも、どちらでも可能だ。これで命を落とすようならば、運か頭のどちらかが悪かったということだ。責任を問われても困る。
 ソニアは、背後を振り向いて車がいないことを確認したあとに、ようやく安堵のため息を漏らした。
 そうして沈黙の時間が訪れる。
 ソニアの身体全体に、聞かれたくない、という空気が漂っている。
 勘なのだが、ソニアは自分が狙われていることだけではなく、狙われる理由も知っているのだろう。もしかしたら、相手の正体も知っているのかもしれない。
 アントニオはその辺りの事情を知っているのだろうか。
 何も聞かずに、と言われているが、さてさてどうしたものか。

 砂漠を走ること数時間。
 到着したのは、アメリカ合衆国はアリゾナ州にあるツーソンという都市。
 ソノラ砂漠の東端に位置するツーソンには、ノガレスから車で一時間ほど北に走ることで到着する。それは国境がなければの話だ。
 メキシコ国内をうろついてソニアを危険に晒すよりも、国境を越えてアメリカに入ってしまった方が安全だと判断し、砂漠の真ん中を突っ切ってアメリカに入った。
 ツーソンには俺が自由に使える一軒家があり、普段は国防高等研究計画局の関係者が住んでいる。年に二回ある雨期の間は、そこで過ごすことにしている。
 ツーソンの北にあるフェニックスまで行けば、高層マンションに俺専用の部屋が用意されているのだが、そこを利用するのは年に数回といったところだ。
 高いところはあまり好きじゃないんだ。
「あら、雨期にはまだ早いわよ」
 別荘の管理人、アミー・マーティン。
 彼女は自身の年齢を「二十七」と言い張って憚らないのだが、三十代の後半に差し掛かっているのは間違いない。
 初めて会ったときからずっと「二十七」なのだから、よしんば最初は本当の年齢を口にしていたのだとしても、出会ってから四年が経過している現在は、少なくとも三十路を超えている計算だ。
「あらやだ。貴方ってば、そういう趣味があったのね」
「子供の前だ。品のない冗談は止せ」
 そう言いながら、以前同じことを口走った自分を思い出して苦笑う。
「この子はソニア。事情があって預かっている」
「ソニアです」
「こちらの『おねえさん』は、アミーだ」
「よろしく」
 二人が握手を交わしている間、俺は何となく居場所を失った気分になった。
「連絡してくれたら、ご馳走を用意して待っていたのに」
「缶詰なら食べ飽きている。ソニアにシャワーを浴びさせてやってくれ」
「最近のご馳走は、デリバリーピザなの」
 アミーはソニアを連れてバスルームに向かった。
 リビングに残った俺は、身体を投げ出すようにしてソファーに身を預けた。
 ブレイン・マシン・インターフェイスによる遠隔操作は、体力を著しく消耗する。それは肉体的なものではなく、頭脳労働を行った際に消耗する類のものであり、単純な睡眠だけでは完全な回復が見込めない。
 長時間の連続した遠隔操作を行うと、脳は多大なストレスを受けることになる。
 ストレスの解消法として、アルコール、運動、そして音楽。
 アルコールについては、酔いによる誤作動を防止するために禁じられているのだが、飲んだところでお咎めを受けることはない。本音は、アルコールに酔った際のデータも採集したいのだろう。
 ツーソンの家には地下室があり、各種運動機具とグランドピアノが置かれている。
 ここならば何も気にすることなく演奏できるし、アミーはピアノを始めとした複数の楽器に通じている。少なくとも、ソノラ砂漠の穴蔵にいるよりは楽しめることだろう。
 なにより、ここにはシャワーとトイレがある。
「何か食べる?」
 バスルームから戻ってきたアミーは、そのままキッチンへ素通りする。
「俺はいい。ソニアに合わせてやってくれ」
「あの子も同じことを言っていたわ」
 前後して、冷蔵庫の開け閉めが行われた。
「トープ。貴方、誘拐犯になっているわよ」
「なんだと?」
「あの子の写真がニュースに出ていたわ。フアレスで誘拐されたそうだけど」