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ドッペルゲンガー

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 久しぶりに飛び出した外の世界は全く静まり返っていた。あたしとゼンが創り出した筈の人間も見当たらない。ただ見たことのない形をした建物が並ぶばかりで、しかしそれももう先の揺れで崩れてしまっていることの方が多かった。それらの破片がまたあたしの足を傷つける。まるで彼を追い掛けるのを止めてしまえとでも言うように。しかしやはりそれはゼンにも同じ事が言えた。先程よりも砂を染める血の量が心なしか増えている。それでも我を忘れたかのように走り続ける彼の傷が深いことを物語っていた。
「ゼン、待って……」
 こうして何度呼び止めようとしただろう。だが彼の耳には全く届いていないようだ。尤も、もうこんな声など届くこともないのだろうけれど。
 またあたしの目に涙が浮かび始めた。ぐっと堪えても乾かない、既に癖付いてしまったのか。ごし、と拭っても拭ってもじわりと浮かび上がってくるその涙はあたしの視界をまたも奪う。それでも唇を噛み締め一際強く涙を拭い、切れる息もそのままにゼンを追い掛けた。手に届かない、もどかしい距離をどうにかしたかった。
 もしも、もしもあの日母が死ななければこの世界はどうなっていたのだろう。
 きっとこんなにゼンを縛り付けることも、罪悪感を背負うことも、――何より“私”の存在を痛感することもなかっただろうに。
 建物が次第に減り、人工物が段々とその数を減らしていくと、ついに見覚えのある細い道へと差し掛かった。あの砂丘へと続く道だ。その細い道を踏み外したことは一度もないが、幼い頃から母に気を付けるよう言われていたことを今更思い出す。桃色の砂を飲み込んでしまいそうな、足を踏み外した先の群青は空の延長線上になるだろうか。ぞくりと背中の粟立つ心地を覚えたのは、ここへ一人で落ちてしまうことを考えたからだ。今はそんな事を考えている余裕はないと思いながら、あたしの思考は破滅へと向かっていく。
 視界が開けた先は、まさに世界の終わりだった。
 長く長い道を抜けると、漸くゼンは足を止めた。そしてそれに伴いあたしも足を止め、ゼンの隣で懐かしい砂丘全体を見渡す。しかし切れた息を整える暇もなく、あたし達は目の前の光景に絶句した。そこは全く想像もしていなかった光景が、全てを壊していた。
 あの幻想的なクラゲはもう空を飛んではいない。そのため薄暗いこの場所だが、そこには沢山の人間がいた。ここまで集まっている姿を見るのは初めてだ。砂丘全体を埋め尽くすかのように、あたし達が創った人間はここにいた。
 しかし様子が妙なのだ。それがどういうことなのかと考える暇さえあたし達に与えはしないほどの異常さが垣間見える。
 そこにいた人間達は皆一斉に頭を抱え苦しんでいた。髪を掻き毟り膝を折る人間から、微かな荒い息や呻き声が聞こえる。それは異様な光景だった。何せ全く外に出ることをしなかったあたし達からすれば、初めて見るといっても過言ではないほどの人間。それらが絶えず何かに苦しんでいる。あたしは無意識にゼンの腕にしがみついた。
「ゼン……」
「何だ、これは――」
 瞬間、ぱちん、と何かとても軽いものが弾ける音が砂丘に響いた。それに次いで断末魔の叫び声が耳を劈く。聞いた事のないその声にあたしは肩を竦め、一層ゼンへと寄り添う。何が起こったのか、見当も付かずに怯えるあたしに何を思ったのか、あたしをその背後へと隠した。恐る恐る見上げたゼンの横顔は何かを疑うようにして強張り、その米神を小さく汗が伝う。きっと彼の位置からは先程の弾ける音の原因が見えたのだろう、或る一点を凝視したまま動かない。それだけでなく彼にはあたしが彼を呼ぶ声すら届いていないようで、ゼンはぎり、と奥歯を噛み締める。“私”を見つけたのだろうか――いや、そうではないだろう。もしそうならば彼はきっとあたしをまた振り払って走り出しているだろうから。
 するとまたぱちん、と弾ける音がした。それは幾つも幾つもぱちん、とこの砂丘の至る所で響く。どんどん数を増やし、それと共に段々と人間の叫び声も大きくなった。ゼンは見るな、と小さな声で呟いた。
 そしてあたしは彼がその光景を隠した理由を知る。覗き込むようにして見た彼の肩の向こうで、あれだけ沢山いた人間が弾けるようにして次々とその姿を消していたのだ。大きく、とても苦しそうに叫びながらそこにいた人々は一人ひとりと消えていく。ぱちん、と弾けたような音はまさに人間が消えていた音なのだ。彼らはその音と共に赤い粒状のようなものになって散らばり、消滅していった。それはまるで宙に咲く花のようで、不謹慎ながらも美しいと感じてしまったあたしがいる。
 つい今し方、以前あたし達の伯父だと名乗った人物もぱちん、とこの状況に似つかわしくない音を立てて消えていった。それでもあたしとゼンにはそんな兆候は訪れず、何がアダムとイヴなものかと自称伯父が最後に吐いた言葉が耳を突いた。
 あたしがこんな世界をいつ望んだのだろうか――これが全てに対する代償なら、余りに大きすぎる。
「……こんなの、変だ」
「あぁ――変だ」
「もう嫌、お願いゼン、帰ろうよ!」
 ここに溢れかえっていた人間は最早跡形もなく、残り五人ほどにまで激減していた。あたしはそれが表すところの、終焉を垣間見た気がしてしがみついていたゼンの腕を引く。何度も何度もそうしてゼンを促したけれど、彼は一向にこの場を離れようとしない。そこがあたしとゼンとの意識における最大にして最悪の歪みで、きっとそれはもうどうしようもないのだろう。早く、とあたしが今一度ゼンの腕を強く引いた。今最後の人間が、ゼンが目を見張るその前でぱちん、と静かに散っていった。けれどその最後の絶叫も、確かに届いた最後の音も、腕を引くあたしの手の温度も、彼にはきっと届かない。
 弟が漸く追い着き、あたしとゼンの名を泣きながらに呼んだけれど、それでも彼は振り向くことをしなかった。とうとうあたし達の三人以外は誰もいなくなり、舞い散った赤い雫も群青の薄暗がりに消えた。足元に広がる砂さえも輝きを失い、あの白いクラゲも姿を見せないこのドームはまるでカーテンでも引かれたかのように光を隠す。
 そんな中で何が輝くというのか。あたしがもう一度腕を引く間もなく、彼の髪が傾き流れた。ゼンが空を見上げた。止めて、とあたしが叫んでも結局彼には届かない。絡ませた腕が振り払われたこの瞬間、あなたにとっては恋焦がれたほどの光が、あたしにとっては終焉の灯火が頭上に降り注いだ。
 こんな事ある筈がない。ゼン、あなたの隣に居るのは紛れもなく“あたし”で、それ以外に誰がいる?それなのにどうして、どうしてあなたはずっと遠くをそんな目で見詰めたりするのだ。
 これこそが、残酷。
「――やっと、会えたね」
 あなたの目に映ったのは、あたしの目に映ったのは、紛れもなく“あたし”が何より恐れていた“私”だった。
「やっとやっと、……ゼン」
 見上げた深い群青の空に浮かび微笑むのは素直な“私”。そしてあたしは息を呑んだ――嗚呼、もう為す術もないのだと。
作品名:ドッペルゲンガー 作家名:まつもと