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ドッペルゲンガー

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 あたしとゼンが触れ合うたび、人間が生まれ出したのだ。それは不思議なことだった。今まで人間などあたし達家族の他誰も居なかったのに、あたしとゼンが唇を重ねるたび、抱き合うたび、どこからともなく現れる。しかも胎児からではなく、きちんとした意識と知能を持ちしっかりとした体でこの世界に現れる。つい今までそこには誰もいなかったのに、数秒目を離した隙にさえ生まれてくるほど突然性を併せ持ったものだった。
 そんな生き物を弟は気持ち悪いと罵ったが、実のところあたしにはそう思えなかった。気味が悪いだなんてありえない――だってこれらは全てあたしと彼が不思議なままに創り出した生き物なのだから。
 そういえばこの間、この家にあたしたちの伯父だという人が訪れた。伯父だと自称するその人物はもう年の頃も初老辺りで恰幅も良く、落ち着いた色の背広と帽子とを身に付けてその格好だけ見れば紳士的な男だ。しかし口に咥えられた葉巻がいかにもいやらしくその人物を物語る。小さなの棚に飾ってある母の肖像画になど目もくれず、この男は茶を強請る。あたし達は彼が一体何をしに来たのかは問わなかった。この人物があたし達の伯父であるという確証など、何一つ無い。
 そして一服を済ませた後彼は全てを知った風にあたしとゼンを見て「滑稽なアダムとイヴだ」と笑い、母のお気に入りだったランプを一つ持ち帰った。あたしに言わせてみれば滑稽なのは彼のほうなのに、“アダムとイヴ”などという背徳的な言葉を投げつけられてそんなことも気にならなくなってしまった自分がいた。
 そうしてあたしは夢を見る。彼に愛されるという、残酷な夢を。

 どくんどくんと心臓が早鐘を打つ。それに呼応して肺が多量の酸素を欲した。すっかり上気して赤くなったこの頬を撫でるのはゼンの大きな掌だ。あたしがその掌に落ち着き始める頃、そのままゼンはあたしに傾れかかって来る。あたしの耳の横では彼の荒い呼吸が聞こえた。規則的なそれはあたしのものと重なり、この一瞬だけはいつも寂しい錯覚を覚える。
 そうだ、このまま一つになるなんてことは有り得る筈もないのに――あたしはなぜか妙に謝りたい心地で彼の髪をそっと撫でた。なのにそれを知ってか知らずか、ゼンはそっと体を起こすとこのぎゅっと噛み締めた唇を解き口付けた。何故だろう、その唇も今だけは温かい。そんな事を考えて、あたしは自分の愚かしさに呆れた。こうして口付けているこの瞬間に、この世界のどこかでこんな幸せを脅かすだけの生き物が生まれているかもしれないのに。
「……ゼン」
「――馬鹿だ」
 そして宥めるだけの口付けが終わると、ゼンはこの至近距離であたしをじっと見詰める。その栗色の目に映ったあたしは泣き出す一歩手前で、酷い顔だった。そんな顔を見て欲しくは無く、また自分でも見ているのがたまらなく嫌で、あたしはゼンを強く抱き寄せた。
 駄目だ、あたしにはどうしてもゼンの言う「馬鹿」の意味が掴めない。もういっそあたしを罵るだけの言葉なら、どんなにか良かったのに。
 もう一度あたしがゼン、と彼の耳元で囁いた瞬間、勢い良くこの部屋の扉が開かれた。薄暗い明かりだけのこの部屋に、隣室の明かりが迷い込む。ゼンは抱き寄せたあたしの腕を解き体を起こしてその方向を見た。それに続きあたしもゼンの腕の中でのそのそと体を起こす。乱れた髪を掻き上げ見た先には、ぼんやりとした人影が見えた。逆光でその表情すら見えない人物は、いつものように冷ややかにあたし達を責め立てた。
「またやってんのかよ」
 突然現れたその人物――弟はパチリ、と部屋の明かりをつける。全てがその明かりに照らされて、あたしは泣き出しそうだった表情を一転させた。泣いて見せられるわけが無い、これはあたしが望んだことなのだから。そう深く息を吐き、ゼンの肩越しにぎっと弟を睨んだ。
「あんたには関係ないでしょう」
「関係有るよ、俺はあんたの弟だし。違う? セン」
 弟もまた鋭くあたしを睨みながらそう言った。
 いつからか弟はあたしを“姉ちゃん”ではなく名前を呼び捨てるようになった。あたしは弟にそう呼ばれるのは好きではない。ただの女に成り下がったあたしを突きつけられるかのようだからだ。
「そんな事、何の理屈にもならないわ」
「そういう問題じゃなくて、止めろって言ってるんだ!」
「……止めろ?」
「何でそいつなんだよ、何で他の奴じゃ……!」
 弟の握り締められた手はキラキラと輝いていた。きっとまたいつものように母の墓へ行った帰りなのだろう。
 けれどここまで来ると最早それぞれが何を望んでいるのかがわからない。弟はただ未だに母の面影を探しているに過ぎない。だから日に日に母を写したようになるあたしをいつまでも慕うのだし、母を見殺しにしたゼンをいつまでも憎悪する。勿論それが間違いだとは言わない。確かにあの日、この均衡は崩れ去ったのだから。それでももう戻ることは出来ない。あの頃に戻ることは、“あたし”が“私”の存在を知らなかった頃に戻ることは二度と出来ないのだ。
 弟はそれ以上口を開くことはなかった。こちらとしても別に追求することは何も無い。更に口を開くでもなかったゼンが溜息を吐きとうとう弟から視線を外した。それが気に食わなかったのか、弟は俯き奥歯を噛み締め、この部屋を後にした。酷い音を立てて閉められた扉は母がいた頃から何も変わる事無くそこにいる。ならば尚更扉はこの変化に何を感じているだろうか。しかし扉は初めて受けるだろう今のような扱いにも怒ることは無い。あたし達のように外に出せる感情を持っていないからだ。けれどそれが今のあたしには酷く羨ましかった。
 後は静けさが残ったこの部屋に、やはりあたしとゼンが残された。あたしはもう一度ベッドへと横たわり、彼に背を向ける。枕に顔を押し付けるようにすると、セン、と少し掠れた声で彼があたしの名を呼ぶのが聞こえた。
「止めろだなんて、今言わなくたっていいのにね」
「……」
「この世に壊れないものなんて、結局有りはしないんだから」
「セン――お前は」
 さらりと耳を髪がくすぐる。その瞬間ゼンの吐息も感じられるようになり、そのくすぐっている髪があたしのものかはすぐに分からなくなった。また彼の手があたしの髪を撫でる。掬う。絡ませる。絶えずさらさらと流れる音が耳に届き、あたしはぼんやりとあの桃色の砂の音を思い出していた。
「お前は何を恐れているんだ」
 指に弄られて、掌に掬われて、この髪とあの砂は全く違う性質を持っているのに、音だけは同じく何と儚いのだろう。ゼンの指はあたしの髪を流すだけ流して離れていった。そうして髪はそのままあたしの元へと戻り、今まで彼が触れていた痕跡すら残さない。それはあの時壊れてしまったあの砂のお城のようで、もうきっとあたしさえも残さない。まるであたしを跡形も無く消してしまうかのように。
「……んか、ない」
「おい」
「何も恐れてなんか、ないわ」
「セン」
「そうよ、あたしが何かを恐れるだなんて、そんなこと」
作品名:ドッペルゲンガー 作家名:まつもと