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ドッペルゲンガー

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 幾つものドームを空飛ぶクラゲたちと共に抜け、ドームとドームを繋ぐ小道を、足を踏み外してしまわないように恐る恐る歩いた。あたし達の家は、砂山を作っていたドームを三つほど過ぎたところにある。その三つ目に差し掛かり、小さな家が見えてきたところであたしはふと頭上へと視線をやった。そこには群青色の空が足元の砂と同じ桃色の透けた壁に囲まれている。そこにふわふわと漂うクラゲがあたりをぼんやりと明るく照らし、幻想的な光景が広がる。桃色と群青の融合、薄い紫が広がるあたし達の世界だ。
 視線を戻せば弟は家へと一目散に駆け出していた。桃色の砂が彼の背中まで跳ね上がる。それをゼンはゆっくりと追った。その足取りは弟を視線から外さないように、そしてあたしを待っているかのように――三人で一緒に帰宅する、いつの間にかそれが暗黙のルールのようになっていた。もっとも、弟はあたし達が辿り着くよりも前に中へ入ってしまっているようだった。
「ただいま、母様」
 白い扉を開けると、そこには車椅子に腰掛けた女性がいた。母だ。母は僅差で戻ってきていた弟を膝に甘えさせながら、あたしとゼンに微笑んだ。
「おかえりなさい、セン。ゼン」
「……ただいま」
 にっこりと、安堵したように母は笑いかける。透けてしまいそうなほど白いその頬に少しだけ紅が差した様に見えた。そういえば結構長い間外にいたかもしれない。あたしはスコップを弟の青いスコップの隣に置き、忙しなく家の奥へと進んだ。
「ごめんなさい母様、今食事の支度をしますね」
「ありがとう、セン。いつも悪いわね」
 母はほんの少し申し訳なさそうにそう言う。母は歩くことが出来ないばかりか体も弱いので、いつの間にかあたしが家事を取り仕切るようになっていた。その間母と弟とゼンは丸い食卓を囲み、今日一日の話を始める。あたしはそれを奥の台所で聞きながら、食事の用意をする。そんな風に成り立っているこの家は、今までずっと崩れたことは無い。今日もまた弟が元気良く母の隣で話し始めるのだった。
「今日は何をしていたの?」
「今日は姉ちゃんと砂山作ってたんだ! でも姉ちゃんがスコップを貸してくれなかったんだよ」
「あら、自分のスコップを持って行かなかったの?」
「忘れてたんだ……少しくらい貸してくれたって、いいのに」
「じゃあ今度は忘れないようにしなくちゃね」
 うん、とにこやかな声で返事をする弟はきっと一緒に大きく頷いたに違いない。こちらまで微笑んでしまうような返事をするものだから、折角均等に切れていた胡瓜が歪な形になってしまった。こっそりと、自分が今つまみ食いをしたことだって誰も知らないだろうに部屋の様子はよくわかる。母は優しく頷きながら弟の要領を得ない話を聞いて、ゼンはきっと読みかけの本を読んでいるのだろう。口に含んだ胡瓜はとても瑞々しく甘かった。

 そうして弟の話が纏まり切らない内に料理も出来上がり、我ながら綺麗に盛り付けたと思われる食事を人数分、三人が座っている食卓へと並べた。今日のメニューは母が食べたいと言った冷麺だ。母はありがとう、と言うといつものように笑みを浮かべた。その儚いながらも湛えた満面の笑顔は弟のそれとそっくりだった。
 真っ先に冷麺へと手をつけたのは、やはりと言うべきなのか、弟だった。きっとまた食べ終わると外へ行くに違いない。ゼンもそっと口をつけ始めた。そしてそれを見届けて、あたしと母は食べ始める。これもいつもと何等変わりなかった。
「やっぱりセンの作るご飯は美味しいわ」
「ありがとう、母様」
「もう腕は追い越されちゃったわね」
 長いこと作ってないからね、と母は目を伏せた。弟は何も言わなかったが、その代わり唇をまた尖らせる。あたしだって母の作る料理が食べたいと思っているというのに。ゼンもまた何も言わなかった。
「そういえば――」
 母がかたん、と箸を置いた。同時にあたしと弟とゼンの三人は一斉に母を見遣る。母はあたしを真っ直ぐ見詰めていた。
「さっきこの子から聞いたわ、セン、砂山を作ってるんですって?」
「えぇ、そうですけど……」
「それから何を作るの?」
 先程の話の続きだ。とはいっても、あたしと母は直接話をしたわけでもなく、またあたしも外の話を母にすることはあまりなかった。したくないわけではないがやはり食事の用意があり、食事を取るとすぐにまた外へ行ってしまうので、それほど時間が取れなくなっていたのだ。
 母は寂しかったのかもしれない。子どものように目を輝かせ話を聞こうとする母に、外の世界を見せてあげたい。あの煌く桃色の砂を、吸い込まれてしまいそうな群青色の空を、暗い闇に落としたようにぼんやりと輝く白いクラゲを――
「……あたし、お城を作るわ」
「お城?」
「えぇ、あの桃色の砂で作ったらきっと綺麗だと思って」
 弟は宙を見詰め、すぐにぱっと顔を綻ばせた。
「確かに、お城を作るには綺麗かもしれない!」
「でしょう? きっと綺麗で強くて、そして二度と崩れないお城を作るわ!」
 だからそのときは必ず母様も呼ぶわ、というと、母は勿論、と大きく頷いてくれた。
 ああ、そしてその砂のお城が大きくなって、皆でそこに住む事が出来ればいいのに。あたしが夢心地にそう言うと、馬鹿だ――ゼンが隣でぽつりとそう呟いた。
 このときゼンが言った“馬鹿”の意味を察していれば、あたしはきっと“私”という存在に出会わずにいられたのに。
 食事も終わり、すっかり疲れ果ててしまった母を柔らかなベッドに寝かせた後、あたしはもう一度お気に入りの赤いスコップを握った。勿論砂の城を作るためだ。今回はきちんと弟も自分のスコップを持っている。早く行こうと玄関先で急かしている。急がなくたってあの砂山は逃げも隠れもしないのに。
 だが、ゼンは動かなかった。いつもならあたしが行こう、と誘うと何も言わずについて来てくれるのに、彼は後から行く、そう言ったのだ。
「後から?」
「あぁ」
「何か、用事?」
「……そんなものかな」
「待ってようか?」
「いや、大丈夫」
「嘘、待たないよ」
 あたしが笑いながらそう言うと、ゼンは自分から断ったはずなのにむっとした表情であたしを睨んだ。それはまるで子どもの仕草のようで、そんなゼンを見ると何故だか妙に胸が痛んだ。
「ううん。 待ってる」
「だから別に……」
「あの場所で、待ってるから」
 だから早く来てね、そうあたしは微笑んで見せた。きっとそれはひどいものだっただろう。それなのに、ゼンもまたほんの少し笑みを浮かべて頷いた。
 そしてあたしはそのままゼンに見送られ、弟と一緒にあの広い丘を湛えたドームへと駆け出した。早く早く、絶対に崩れることの無いあたしだけの砂のお城を作るために。
作品名:ドッペルゲンガー 作家名:まつもと