ドッペルゲンガー
さらりと掌から砂が零れる。冷ややかな感触だけを残し流れたそれは、座り込んだあたしの膝元へとたやすく消えた。湿り気を帯びるでもなく地の表面を覆う桃色の砂は、既に見慣れてしまっているこの眼にも鮮やかに煌いていた。
あたしは先程からそんな砂を熱心に、手に持ったお気に入りの赤いスコップで弄っている。幾つも穴を掘り、そして掘った砂を或る一点に高く積み上げそれをならす――単純なその動作をあたしは繰り返していた。あたしがしゃがんで丁度良いと思える程の高さになったこの山は、まだそれだけであって何かの形を成している訳ではない。また別にこれといってこの山を他の何かに作り変えよう、ということも今は考えていない。否、思いつかないというのが正しいだろう。ただ崩れないようにとスコップや掌を押し付けて固め、形ではない形を保たせようとしていた。
そんな取り留めのないことをしているのはあたしと、そしてもう一人――突然あたしの目の前に白く小さな手がぬっと伸ばされた。
「姉ちゃん、スコップ貸して」
そう言いにっこりと笑うのは、まだ幼さが抜け切らないあたしの弟だ。頬と掌を桃色に染め、屈託無く微笑む。彼もまたあたしと同じく、少し小さいながらも砂山を自分の目の前にこしらえていた。
しかし弟は自分のスコップを持って来てはおらず、手で作り上げるのにも限界が来たのだろう。あたしのスコップを強請り始めた。
「嫌だよ、どうして自分のスコップを持って来なかったの」
「僕だって山を作るんだ、姉ちゃんは“姉ちゃん”なんだからいいでしょ?」
弟はそう言って少し膨れた。
よく考えると、彼がいつからあたしの弟になったのかはわからない。いつのまにかこの子は母とあたしの横にいた。もっと厳密に言えば、どうして母はあたしの母で、あたしはあたしなのかもわからない。だがあたし達三人は紛れも無く実の親子なのだと、母は毎日のように言う。
だが実際そんな事はどうでもいいように思う。別にこの子があたしの弟でなくとも、きっと何も変わりはしないのだ。それは母にも同じ事が言えるだろう。
事実、あたし達三人の親子ともう一人、“彼”は何の均衡も崩す事無く同じ時を過ごしていた。
「少しなら貸してやってもいいじゃないか、セン」
「……ゼン」
彼――ゼンも、気が付いたときにはあたしの傍にいた。あたし達親子とは似ても似つかない目付きに顔立ちで、今あたしを頭上から見下ろしている。あたしよりも弟よりもずっと背の高い彼は男の人だった。兄と慕う弟、そして息子と可愛がる母。あたしはといえば……
彼が弟を見るときの目とあたしを見るときの目、何も変わりはしないのに、じっと見詰めては逸らされるのを待った。
「だって、この子ずっとずっと離さないんだもの。 あたしのものなのに」
いつだったか、ゼンは母がどこからか拾ってきた子どもなのだと言った。そう言われてみればなるほど、確かに母が布に包まれた赤ん坊を抱いて帰ってきた記憶がある。しかしそんな事は有り得る筈も無かった。母は歩けず、滅多に家の外へと出る事が無いからだ。それにゼンはあたしよりもずっと大きい。それなのにどうしてそんな記憶が残されているのか、そんなこともわからなかった。
あたしはゼンよりも先に目を逸らした。そして弟を見るでもなく、ただ自分の前の砂山をじっと見詰めている。桃色の砂地に突き立てられた真っ赤なスコップは、もうその砂たちを掘り出すことをしなかった。
「それなら、今日は一度家に帰ろう」
母さんが心配しているだろうから、とゼンは続けた。
「……そうだね」
合わない辻褄を、全て世界の所為にしてしまおう。事実など必要ない――あなたとあたしがいる、それだけで十分だ。
十分だったのに。
あたしは先程からそんな砂を熱心に、手に持ったお気に入りの赤いスコップで弄っている。幾つも穴を掘り、そして掘った砂を或る一点に高く積み上げそれをならす――単純なその動作をあたしは繰り返していた。あたしがしゃがんで丁度良いと思える程の高さになったこの山は、まだそれだけであって何かの形を成している訳ではない。また別にこれといってこの山を他の何かに作り変えよう、ということも今は考えていない。否、思いつかないというのが正しいだろう。ただ崩れないようにとスコップや掌を押し付けて固め、形ではない形を保たせようとしていた。
そんな取り留めのないことをしているのはあたしと、そしてもう一人――突然あたしの目の前に白く小さな手がぬっと伸ばされた。
「姉ちゃん、スコップ貸して」
そう言いにっこりと笑うのは、まだ幼さが抜け切らないあたしの弟だ。頬と掌を桃色に染め、屈託無く微笑む。彼もまたあたしと同じく、少し小さいながらも砂山を自分の目の前にこしらえていた。
しかし弟は自分のスコップを持って来てはおらず、手で作り上げるのにも限界が来たのだろう。あたしのスコップを強請り始めた。
「嫌だよ、どうして自分のスコップを持って来なかったの」
「僕だって山を作るんだ、姉ちゃんは“姉ちゃん”なんだからいいでしょ?」
弟はそう言って少し膨れた。
よく考えると、彼がいつからあたしの弟になったのかはわからない。いつのまにかこの子は母とあたしの横にいた。もっと厳密に言えば、どうして母はあたしの母で、あたしはあたしなのかもわからない。だがあたし達三人は紛れも無く実の親子なのだと、母は毎日のように言う。
だが実際そんな事はどうでもいいように思う。別にこの子があたしの弟でなくとも、きっと何も変わりはしないのだ。それは母にも同じ事が言えるだろう。
事実、あたし達三人の親子ともう一人、“彼”は何の均衡も崩す事無く同じ時を過ごしていた。
「少しなら貸してやってもいいじゃないか、セン」
「……ゼン」
彼――ゼンも、気が付いたときにはあたしの傍にいた。あたし達親子とは似ても似つかない目付きに顔立ちで、今あたしを頭上から見下ろしている。あたしよりも弟よりもずっと背の高い彼は男の人だった。兄と慕う弟、そして息子と可愛がる母。あたしはといえば……
彼が弟を見るときの目とあたしを見るときの目、何も変わりはしないのに、じっと見詰めては逸らされるのを待った。
「だって、この子ずっとずっと離さないんだもの。 あたしのものなのに」
いつだったか、ゼンは母がどこからか拾ってきた子どもなのだと言った。そう言われてみればなるほど、確かに母が布に包まれた赤ん坊を抱いて帰ってきた記憶がある。しかしそんな事は有り得る筈も無かった。母は歩けず、滅多に家の外へと出る事が無いからだ。それにゼンはあたしよりもずっと大きい。それなのにどうしてそんな記憶が残されているのか、そんなこともわからなかった。
あたしはゼンよりも先に目を逸らした。そして弟を見るでもなく、ただ自分の前の砂山をじっと見詰めている。桃色の砂地に突き立てられた真っ赤なスコップは、もうその砂たちを掘り出すことをしなかった。
「それなら、今日は一度家に帰ろう」
母さんが心配しているだろうから、とゼンは続けた。
「……そうだね」
合わない辻褄を、全て世界の所為にしてしまおう。事実など必要ない――あなたとあたしがいる、それだけで十分だ。
十分だったのに。