ゾディアック 6
「 夜の披露宴か 夜景が見えて綺麗だろうな 」そう思いながら、三叉路を曲がろうとした瞬間、
いきなり目の前に人が現れた。私はブレーキを踏んだが、もう間に合わなかった!
その一瞬の光景は、まるでスローモーションのようにゆっくりと流れた
車のライトに映し出された男が、真っ直ぐこちらを見ていた。
黒装束に身を包み 深く被ったフードの奥から、静かに見つめる男の瞳が 私の目と合った。
キキキキーーーーッ!!激しいブレーキ音が鳴り響き、私はハンドルに俯した。
「 轢いた!! 」ガクガク震えながら顔を上げると、辺りはシーンと静まり返っていた。
人にぶつかった衝撃も音も無い。そもそも、轢かれる人間が あんな冷静な目でこちらを見つめるだろうか?
私は震える手で ナアナに電話した
「 ナアナ!今、男の人を轢いちゃったよ 」
「 ええ!?マリオン、人轢いたの?大丈夫? 」
「 それが・・ 消えたのよ。確かに轢いた筈なのに、消えちゃった!」
「 ええ!?マリオン大丈夫なの?」ナアナは私の言う事が理解出来ず、大丈夫?を繰り返していた。
私自身 今起こった出来事に激しく動揺し混乱していた。
リンゴーン・・リンゴーン・・ 遠くで かすかに聖堂の鐘の音が聞こえた。
黒いフードの影から、じっとこちらを見ていた あの静かな瞳が脳裡に焼け付いて離れなかった。
あれは・・・ 修道士だった。
翌日、店で客に入っていると モーリィが隣の部屋に客を案内して来た。
「 お荷物は 下の籠にお入れ下さいね。こちらにある鏡や櫛も・・ あ! 」
「 何か・・? 」
「 あ、いえ。鏡もご自由にお使い下さい・・ 」口籠りながらモーリィが言うと
「 はは、櫛は必要ないかい 」客の笑い声がした。
どうやら頭の剥げた客を相手にしているらしい・・ 隣でやりとりを聞きながら ヒヤヒヤした
初めてモーリィを見た時に感じた、危ういハラハラした感覚が蘇って来た。
「 違う意味で、やっぱりそうだった・・ 」私は思った。
モーリィは天真爛漫で、思った事をすぐ口に出してしまうタイプだった。
外連味が無いので、何故かクレームにもならなかったが、
彼女の接客はいつもハラハラして面白かった。
最初に彼女を見た時の 儚げな印象とは程遠く・・ 声もデカい
何故真逆に感じたのか 自分でも不思議だった。
昨日の急ブレーキで身体を捻ったらしく、腰の調子が悪かった。
「 ミク、ちょっと腰押してくれない? 」側にいた新人に言った。
「 いいですよ 」ミクは、モーリィの少し後に店に入った ガッチリと体格の良い 穏やかな子だった。
ベッドに横になってミクに腰を押してもらっていると、ウトウトして眠くなって来た。
眠りかけたその時、いきなり身体が落下する感覚に襲われて目が覚めた。
「 うわっ! 」私は声を上げた。
「 どうしました?マリオンさん 」ミクも驚いた。
「 ごめん、今いきなり落ちそうになった。何でだろう・・ 」言いながら、また押してもらっているうちにウトウトし
眠りかけた時、再び落ちる感覚に襲われた。
「 うわっ!! 」私はまた飛び起きた。
身体は落下する感覚だが、氣は むしろ弾き返された感じだった。
入眠やトリップで潜在意識に入ると、肉体に閉じ込められている氣は自由となり
相手の氣や霊体に繋がりチャネリングが起こる。
それが、タッチセラピーをして現れる、肉体次元よりも深い微細次元に触れ見える
霊体や前世だ。
しかし、ミクにはまるで バリアでもあるかのように 氣が弾き返されるのだ。
意識的か無意識かは分からないが、彼女は自分の中に けっして入れさせない
強固なブロックをしていた。
トントン・・ ノックの音がして
「 お客さんが来られました 」ドアの外から声がした。
「 分かった。ミクありがとう 」ベッドから起き上がると腰に鈍い痛みが走った・・
「 まずいな・・ 」そう思いながらドアを開け 通路向かいの客の待つ部屋の前に立った。
ふと受付に目をやると、 明るいライトの下で モーリィが前屈みになり 頻りに電卓を弾いている姿が見えた。
7時を回ったので 今日の売上を集計しているようだ。
薄暗い店の奥から見ると、そこだけが ポウっと光に浮かび上がっているようだった。
「 ご準備はよろしいですか? 」客に声をかけた。
「 はい、どうぞ 」
私はドアを開け、暗い部屋の中へ 吸い込まれるように入って行った。
~46~
岩塩ランプの灯りに揺れる こんもりと大きく盛り上がった亀の甲羅のような背中が
ベッド一杯に横たわっていた。初老の女性だ
私は 嫌な予感がした
「 特にお疲れの箇所がありますか? 」声をかけると
「 うーん・・ 何だか痺れてて、身体が重いのよ・・ 」女性は唸るように言った。
両手で客の肩に触れると、まるで岩を触っているようだった。
体は その人の思考形態がその人の身体を形作っていると言っても過言ではない
心と身体と精神は 三位一体で存在している。
人は生まれた時 心で存在しているが、生きて行く内その困難さから
感じた事を感じなかった事として抑圧し、頭がコントロールを始める。
そのように思考でブロックされた身体は、氣の流れが滞り呼吸も浅くなる。
循環器や内臓の働きも弱まり、神経や筋肉組織はフリーズし始める。
そして内側から固まってしまった身体は、外からの刺激にのみ依存するようになる
「 やっかいなのに当たっちゃったよ 」私は思った
大きな丸太のような女性の足を抱え フリクションしながらニーディング始めた。
私の腰はズキズキと痛み始めていた・・。
フリクションとニーディングは、身体を揉み解す手技の強擦法と揉捏法の事で
手のひらで 全体に圧を加えながら、指先で深い筋肉を揉みほぐし、硬くなった組織を和らげながら流し
身体のはりやこりを、柔軟な組織に戻していく。
しかし、この女性の肉厚な身体は、押しても押しても 筋肉組織まで届かない程 でっぷりと脂肪を蓄えていた。
「 どうしっろっていうんじゃい 」私はハアハア 息を切らしながら、心の中で悪態を吐いた。
それはおそらく、仮初の慰めを得る為に
耐えがたい何かを食欲で紛らわす習癖を繰り返す内
頭が、身体恒常性を保とうとする神経からの警告を無視し
老廃物に埋め尽くされた肉体の 成れの果ての姿だった。
この手の身体は、心に関わる問題 特に愛情についての問題を抱えている場合が多い
しかし本人が それに向き合おうとする自覚が無ければ、こちらから問題を指摘する訳にもいかない
私の作業は、無意味に岩を砕くつるはしを打ち下ろすような 虚しい作業だった。
ただ力仕事で凝りを解すしかなかったからだ
意識を変えないまま、外側から力で無理矢理コリを崩しても、弱った組織を益々痛めるだけだ。
それは同時に、筋肉を守ろうとして更に固く組織を麻痺させていく身体との
力と依存の 不毛な連鎖の始まりでもあった。
自分と向き合わず 外からの刺激にのみ依存する人間は、それがピタリとはまり 毎週のように通い始める。
皮肉にも サロンにとっては恰好の美味しい獲物だ
「 全てを忘れてしまいたい程の 何かがあったのだろう 」