月が綺麗な夜だから。
まずい……。
この心理状態に入り込むと 何をしても 見ても なにかしら ゾゾゾが始まるのだ。
大丈夫。大丈夫。 そう言い聞かせるたびに 恐いぞ。怖いぞ。が押し寄せてくるようだ。
ここは、ちゃちゃっと洗髪を済ませよう。目を瞑らなくてもできるし、とシャンプーを手に取る。頭部から泡立ち始めた。今日の泡は垂れてこないぞ。
あ、そろそろ追い炊きも大丈夫かな。と手をスイッチに伸ばした時だった。ひと塊の泡が 私の左目のほうにボテっとついた。瞬時に瞼を閉じたので目には沁みなかったものの、片目になってしまった。怖さ半分迫る……。
早く流してしまおう。その焦りが 次なるトラブルになるとは思いもしなかった。
シャワーの先が こちらを狙っていたなんて、いきなり湯が顔面にかかってしまった。そのために わたしは守っていたもう片目も閉じることとなってしまったのだ。降り注ぐお湯。そうよ、これはお湯。あぁ、なんであんな映画を見てしまったんだろう。
それは、むかしむかしというくらいむかし。テレビの洋画劇場で観た映画のシーン。題名も忘れたのだから 内容も忘れたままでいいのに、そういうことだけは浮かぶのね。
美女だっけ シャワーを浴びていると その湯はいつしか真っ赤な血となり、気付いた女は悲鳴とともに血塗られた顔となるのだ。
ほとんど泡が消えたようだ。わずかに目を開けた前を流れ落ちるのは、無色透明のお湯だった。当たり前かとほっとしたのも束の間。わき腹から腰にかけてしゅるしゅるっと走った感覚。鳥肌が立つ。精一杯早く、洗い流し目を開けられる状態になったわたしが 既に腿からふくらはぎに移動したそのしゅるしゅる感覚を見た。数本抜けた髪の毛だった。排水溝に流れ消えた。はぁ、そんな映画もあったな……。気を取り直して 髪を洗い上げ、タオルで乾かす。追い炊きした湯船に浸かって のんびり疲れを癒そう。何も考えずに、と意識して よけいに考えてしまうけど なるべく無になろう。足先から 心地よい湯の感触が伝わる。静かに体を沈めていると、そのうち波立っていた体の周りの湯も落ち着き、鏡のように周りを映す。も一度波を作る。また静まる。もし今度波が静まったとき そこに何か映ったらと思うとずっとかき混ぜ続けた。
その時、肩に冷たい滴がピチョン。ブルッ! もうやめてよ。天井からの滴が湯船にも落ちた。天井を見上げると 立ち上がった湯気がいったん冷えて 行儀よく天井に付いていた。スライムみたいに 顔があったら ギョギョギョッだろうな。
疲れた。もう上がろう。
作品名:月が綺麗な夜だから。 作家名:甜茶