串刺し王の玩具
1.街は霧の中にあった
街は霧の中にあった。
この季節この街には霧雨が充溢し、人々は鯉のようにだらしなく顎を落し、雨滴を吐呑する。
群れなす人間の体臭、軒を連ねた家屋の窓から漏れ出る乾燥した肉の匂い、安酒の刺激臭、そして、生乾きの洗濯物の匂いなどが、地下から気紛れに吹き上がる蒸気に攪拌され、渾然一体となって狭く暗い路地を濁流の如く下っていく。行き着く先は駅前噴水広場である。
ターミナル駅に降り立つ訪問客達の顔には、一様に新奇な皺が刻まれる。街の第一印象は非常に悪い。野良猫の食べ残し、ネズミの死骸、残飯、浮浪者達の垢と汗、職工の膚に染みついた薬液と油の匂い、そして、女達のまき散らすジャコウやハーブ類などの悪臭には馴染んでいても、この街のすえたような匂いと、沼底のように濁った色調が、精神をたちどころに萎えさせるのである。
にもかかわらず、この街から群集の絶える事は無い。国で二番の人口を抱えた大都市である事の他に、その理由は三つある。
一つは、数年後に控えた「世紀末祭典」の為。
二つには、一昨年開設された総合病院施設の為。
そして三つ目は、あの塔の存在である。
早朝、霧と蒸気に霞む夥しい群集の中に、忍耐する一本の行列がある。その中の一人が彼である。
黒の中折れを目深に被り、黒曜石のような靴を履いた長身痩躯の若者で、黒い瞳を帽子の縁に滑らせている。周囲に、彼程こざっぱりとしていて、季節に相応しい格好をしている人間はいない。
蒼い影の浸潤する寒々とした街路は尽く濁り、馬車馬の手綱房や、外套の隙間から覗くビロウド上着の鮮やかさも、毒々しいだけである。 他所で流行している、羽飾り付の帽子や、木枠入りのレーススカートを纏った婦人達の姿はない。
派手派手しい帽子を被ってこの群集に紛れた令嬢は、まず真っ先に帽子を流されるだろう。文字通り、人間の頭上を木の葉のようにたゆとうて、やがて何処かの路地へと吸い込まれていくだろう。孔雀の羽も、宝石も、果ては帽子に巻かれた絹のリボン一本までも、彼女の手には戻らない。もし、盛大に膨張したスカートまで身に付けていたとしたら、彼女自身が、帽子と同じ運命を辿る羽目に陥る。そして、身体もろとも暗渠に引き込まれて二度とは還って来ないだろう。
だから、富豪達は決して馬車から降りようとはしない。街の濁色は、忙中貧苦の色でもあった。