串刺し王の玩具
8.塔はさらに伝承を加えた
ようやく辺りが薄明りに照らし出された時、彼は全身を切り裂かれて恍惚としていた。以前に味わった落下の感覚が、再び彼を襲っていた。それきり、彼の自意識は消失したのである。
霧が凍ってダイヤモンドダストとなると、人々は顔を分厚いマフラーで覆い、横歩きをしなければならない。行列は、肩幅分だけ長くなり、凍死者が相次いだ。
そんなある早朝、一人の男が群集の淀みに落ちてきた。衣服は目茶苦茶に千切れ、手には一塊の石を握り締めていた。切り裂かれた皮膚からは血が滴り、彼の墜落の軌跡は中空に朱色の放物線を描いていた。深い靄に覆われた先端は紛れもなく、塔の天辺に結ばれているようだった。
群集が息を呑んで彼と彼の軌跡を凝視していると、朱色の糸が滲んでいき、鮮やかな紅鮭色の霧となって街全体に広がっていった。落下した男の身元は、背広の隠しに押し込まれていたレース生地によって判明し、遺骸は船便で送り返された。
塔はさらに伝承を加えた。それは紙面に掲載されなかった騒動の連続写真の一葉について、同日の夕刊に掲載された話である。
写真家は群集に揉まれながらシャッターを切っていた。問題の写真は一面に流れる霧の濃淡しか写っていない代物である。恐らく、空を撮ってしまったのだろう、と写真家は語っていた。
「いつもなら、ここに光の筋が三本現れる。槍の反映はどんな曇った日だって無くなりはしないんだ。それからここを見てくれ。このうっすらとした黒い影。どうやら槍の本体だが、いつからこんないびつに膨れ上がったんだろうな。
俺はこう思うんだ。
ここには三人の人間が串刺しになっているのさ。あの高く聳える槍は血塗れなんだ。だから光が反射しない。それにこの赤い霧や匂い。これは血の匂いだ。当局はもう知っている筈だ。あの後すぐに役人が飛んできて、報道管制を引きやがったからな。」
夕刊には写真も掲載された。だが、どこをどうみても、手ブレと、輪転機のゴミにしか見えなかった。
けれども、好奇心旺盛な観光客を集めるのに、これ以上の餌は無かった。街を覆う血染めの霧と、三っつの串刺し死体。弧を描く巨大な鳥影と、悲鳴じみたた鳴き声などは、見る者達を充足させた。
墜落事件の朝には、駅前噴水広場を隔てた病院の展望室のガラスの一枚が割れるという事件も発生していたのだが、こちらの事件は、室内に散乱するガラスの破片の中に、ただ一つ転がっていた石ころのように小さく、誰にも取り上げられないまま打ち捨てられてしまった。
再び脚光を浴びている塔について当局は、新たな対応は考えていない。と短い談話を発表しただけだった。
祭典の支度は着々と進んでいる。塔の解体はもう間近である。
(了)