忠犬たる死刑囚
激しく扉が閉まる音を合図に明・春燕は目を開いた。
将太はそれに特別気が付いた様子はなく、ぶつぶつと文句らしきことを呟きながら再び長椅子に腰を掛け、後ろで縛っていた銀髪を解いては片手で頭を掻き毟る。
将太、不機嫌。
これは将太が苛々した時の癖だ。
「将太、春燕、穏便、可能、過去」
そんな将太に春燕は声を掛ける。
将太は、起きていたのか。と頭だけを春燕の方に向けて言い、春燕は首を縦に振る。
春燕はガーシャが来たと同時に狸寝入りを決め込んでいた。
理由は単純。
将太とガーシャの会話は春燕にとって興味を持てるものではないだろうし、聞いていたところで難解だからだ。
「将太、ガーシャ、会話、難解」
「まぁ、そうだろうな。お前は世間事には無頓着過ぎる」
将太の言葉の意味が分からず、首を傾げる。
将太はその様子を見て、ああ、もういいよ。と再度頭を掻いた。
本格的にまいっているらしい。
「将太、困難、状況?」
「前の仕事だよ、報酬が赤字に貢献しやがった」
「春燕、穏便、可能、過去」
「あー…面倒だったんだよ、穏便になんてよ」
あーあーあー、と唸りながら将太はガーシャからもらった紙を睨みつける。
春燕が察するに、どうやら財政面で相変わらず苦労しているらしい。
春燕は膝を抱えて座っていた椅子から飛び降りると、自分の机の一番下の引き出しを開け、袋を取り出した。
金、宝石、入手。
その袋を抱え、将太の座る長椅子まで行き、卓上にばらばらじゃらじゃらとその中身を全て出す。
将太もその様子を目で追い、散らばった宝石を幾つか手にとって目を細めた。
「収入、増加?」
「まぁ、無いよりはましか。春燕、狐に電子報で取引の依頼をしておいてくれ」
「狐…?」
狐、とは誰のことだろうか。
まさか動物に電子報を送るわけではあるまい。
春燕は脳内で狐に該当する人物を必死に検索し始めた。
該当したのは、一人。
「狐、新留、渾名、闇市場、管理人?」
「そう。闇市管理人の新留。通称「狐」ってんだよ。覚えとけ」
「了解」
いつぞや本で見た警官がやっていた手のひらの側面を額に当てるポーズを春燕が取ると、将太が「どこでそんなの覚えたんだ」と複雑な表情をした。
どうやら好ましいポーズではないらしい。
「………?」
そんな将太の表情を見て、止めようと、額に当てた手を降ろしながら卓上に視線を移す。
その時、1つだけ異様な感じの物が春燕の目に止まり、春燕はそっとそれを手に取った。
幾らばかりか大きめのネックレス。
人間の心臓を象徴した形だとされる形状のそれには、細かな文字が彫られていた。
…模様、否、暗号。
一目で春燕はその文字に何らかの規則性があることに気付く。
それは模様のようで違う。
暗号だ。
暗号となれば春燕の好奇心が疼く。
暗号は好きだ。それが難解であればある程にある種の美的な感動すら覚える。
ただ、最近では政府の情報部の暗号を解読して以降は楽しい暗号には中々出会えてはいないのだが。
「春燕、気に入ったのか?」
ネックレスを手にしたまま動かない春燕を見て、将太が尋ねる。
春燕は素直に頷いた。
「玩具、希望」
「狐が取りに来るまでな」
「了解、謝礼、将太」
「どういたしまして」
そう返すと、将太は視線を卓上に戻し、「いくらになっかなー」と計算機を叩き始める。
もう会話は終了したのだろう。
春燕もそのネックレスを持って、再び自分の椅子に飛び乗った。
飛び乗った反動で、椅子が少しだけ移動する。
それをブランコを漕ぐように脚をばたつかせることで位置訂正をし、春燕はパソコンの電源を入れた。
どんな暗号なのだろうか。
もし単純なものだったのならば、一層のことより難解に書き換えてやろう。
どう書き換えようか。
「期待、期待、娯楽」
ぺろりと小さな舌で唇を舐めて、春燕は久々に上機嫌で液晶画面を見つめ始める。