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ラストメモリー

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 注意を引くために片手を振った。
 「だめだ。そんなことに願いを使うのではない。君に頼まれなくともブリスとは仲良くやっていくさ。あのずうずうしさに慣れてしまったからな」
 永遠の顔がぱっと輝く。
 どうして彼女はこんなちっぽけなことで、これほど嬉しそうにするのだろう。
 「ありがとう。でもこれでお願いはあとひとつよ」
 「いや、それは―」
 永遠の人差し指が唇に当てられる。
 たったそれだけで鼓動がはやくなった。
 彼女の細い指に舌をはわせたくてうずうずする。
 「いいの。もう十分だから」
 人生を諦めたような口調に心臓がずしんと重たくなった。
 だがわたしに何が言える。
 「永遠…」
 「おやすみなさい」
 彼女は最後に微笑むと、あまい花の香りだけを彼に残して出て行った。


 温かな手が冷えた手に重なって、昨夜に飛んでいた意識を
呼び戻した。
 「凍えてしまうぞ。こんなに冷たくなって」
 ときどきクリスチャンは過保護すぎる父親のようになる。
 十一月の半ばで凍死した人間を見たら、医者はさぞ困惑することだろう。
 くすくす笑うと、クリスチャンにはわけがわからないはずなのに口角があがった。
 「わたしも手伝おう」
 「大丈夫。もう終わるから」
 クリスチャンは掴まれたままの自分のシャツを見下ろした。
 その目に男っぽい満足感を見て取りドキッとした。
 自分が愛するひとの服を洗濯することに熱い感情をかき立てられるのと同様、彼も感情をたかぶらせていると知るのは嬉しい経験だ。
 「昨日、面白そうな映画をやっているのを見つけたのだが、夕飯を食べたら行かないか?」
 「ほんとに? ええ、もちろん行きたいわ」
 映画館なんてまるでデートみたいじゃない。
 何を着よう。おしゃれしたほうがいい? でもそれじゃ期待しすぎだと思われるかしら。
 パジャマも下着も、普段着だってクリスチャンは見ているのに、こんな風に装いを気にするなんて舞い上がってる証拠だ。
 残りの洗濯物を取り込んで、秋深い香りと冷気を遮断した。
 彼らに出会う前の人生は長く退屈な日々だった。今ほど毎日が飛ぶように過ぎていったことはなかった。もう簡単に命を手放そうとしたりしない。二人とすごす日々を大切に生きていこう。


 「ワンピースにしてよかった」
 目の前の建物を見て、永遠は小さく呟いた。
 映画館は古くさびれた感じがした。ちかちかと電球が点滅するネオンサインのほとんどが消えて、意味をなしていない。今まで来たことはなかったが、見慣れた通学路を少しそれたところにあった。
 今まで周りに意識が向いていなかった証拠だ。ふつうの学生ならば学校帰りに寄り道ぐらいするものなのに。
 「なんか、古臭いな」
 黄昏がやって来てから家を出たため、今日はブリスも人間の姿のままだ。
 「開いてるかしら?」
 「ああ、大丈夫だ。チケットを買ってこよう」
 クリスチャンの後ろ姿を見送ってから、上映中の映画のポスターを眺める。
 といっても、一枚しか張られていなかったが。
 薄暗い中、目を凝らしたあと思わずブリスにしがみついた。
 「ホラーじゃないの」
 ポスターには血みどろのヴァンパイアや薄汚れたミイラ男、果てはひとだままで、見た人を怯えさせるありとあらゆるものが印刷されている。
 それもそのはずタイトルは『招かれざるもの大集合!』
 「怖いのか? こんなのくだらないだけだ」
 ブリスが鼻を鳴らした。
 「君がしがみついているのはウェアウルフだぞ」
 耳元で聞こえた声にびくりとした。
 「クリスチャン、コメディだって言わなかった?」
 内心は騙された怒りが渦巻いているのに、別の感情に声が震えた。
 「いや、面白そうな映画だといっただけだ。人間がわれわれのようなものに対して抱いている妄想は見ていて愉快だからな」
 「俺は退屈だ。ばかばかしい」
 できればもう帰りたい。わざわざ怖い映画を見なくても、人生は恐怖に満ちているというのに。
 「さあ、行こう」
 クリスチャンに背中を押されて外観とどっこいどっこいの室内に入り、指定された席へ向かう。
 二人はなにも言わずに永遠を挟んで座った。
 クリスチャンはまるで私室にいるようにゆったりとくつろいでいる。長い脚が少し窮屈そうだが、ひじ掛けに腕をおき指先でリズムをとっている。
 ブリスは尊大な若者っぽく前の席に脚を投げ出しているが、スクリーンの薄明かりに照らされた横顔は相変わらず美しい。
 二人とも落ち着いちゃって。緊張してるのは私だけってわけね。
 形だけでも落ち着こうと席に深く座りなおす。
 「私たち以外、誰もいないけどやっていけると思う? もしかしたら本当はここ、人間が運営してるんじゃなくて、この映画のキャラクターみたいなのに化かされてるかもしれないわね。で、目を覚ましたらお墓だったってオチよ。きっとそうだわ」
 「永遠、怖ければ手を握っているといい」
 嫌味なくらいに冷静な声で手を差し出すクリスチャンを睨みつける。
 「怖くなんか―」
 あたりがいっそう暗くなり、ボーンと耳鳴りのような音で上演が伝えられた。
 「始まるぞ」
 いきなり死者をも起こすような悲鳴がホールの役割を果たす部屋に響いて身を強張らせた。
 スクリーンが血の赤で埋めつくされるのを見て目をぎゅっとつぶり、強がるのはやめてクリスチャンの腕にしがみついた。
 目は閉じていてもとどろく咆哮や肉がつぶれるような重い音は耳に入ってしまう。
 温かく逞しい腕だけに集中しよう。この腕は軽々と私を抱えあげられるほど力強いのに、慰めをあたえるときには驚くほど優しく抱きしめることもできる。何度もこの腕で眠ったわ。彼のピリッとするスパイシーな香りに包み込まれて―温もりに顔をすり寄せると、恐ろしげな雑音の届かない場所に漂っていった。
 誰かが私をゆすっている。
 「起きて。終わったよ」
 目を開けると温かな息が感じられるほど近くでクリスチャンが微笑んでいた。
 「寝てないわ」
 言葉とは裏腹にぐっすり眠った後のように声がかすれていた。
 「ああ、そうだな。長いまばたきだ」
 眠気を払うためにまばたきを繰り返すと、とっくに灯りが闇を追い払っていたことに気づいた。
 「さあ帰ろう。眠り姫」


 わたしの運命が変わった日も、今夜のように美しい満月がひっそりと浮かんでいた。力に満ちているのに弱さを隠して、ライトの下にふさわしい容姿なのに、影のように孤独をまとっている男がすべて変えた日。
 目を開けていても本当は何も見ていないのだと気づかせてくれた。クリスチャンに会わなければ運命に逆らおうなんて考えもしなかった。その証拠に存在すら信じていなかったヴァンパイアに恐怖を微塵も感じなかった。
 今だったら悲鳴を上げて逃げるし、牙を立てられれば殴るなり蹴るなり死に物狂いで戦うというのに。
 「君は夜更けに一人きりで彷徨っていた」
 クリスチャンの静かな囁きに笑みを浮かべた。
 彼も同じことを考えてたなんて。
 「あなたは暗がりに立ってて、急に話しかけてきた」
 「ずっと君を見ていたのだ。関わるべきではないと思ったが、どうしても目が離せなかった」
作品名:ラストメモリー 作家名:Lucia