ラストメモリー
「永遠の言うとおり、墓であいつらに会った。で、今まではなにを言われても、まあ、たいていは無視だったけど、気にしてないって振りしてた。でも俺は自分の思い通りやるって決めただろ? で、あいつらが母さんのことを悪く言う前に飛びかかった」
「勝ったの?」
ブリスがふざけんなよというように目を細めた。
「まさか。相手は四人だぜ。俺の満足いくほどは痛めつけられなかった。あいつら見かけ倒しの牙だからな。俺がちょっと噛みついたり引っかいたりしただけで、尻尾巻いて逃げてったよ」
フフンと鼻で笑った。
「まあ、ブリス」
「そんな心配そうな顔すんなって。もう傷も治ってんだから」
だがあの傷のせいでブリスは命を失うかもしれなかった。
「永遠のおかげで心も軽くなったし、なっ? あとは永遠が俺と一緒になってくれたら、いうことなしなんだけど」
ブリスが好意を寄せてくれているのは知っている。
でもそれは、私が彼を邪険にしなかった最初の異性というだけで、私よりもブリスにはもっといいひとがいる。
その相手が早く現れることを願わずにはいられない。
ブリスは机に伏して上目遣いに表情を伺っている。
そういえば彼はいつも私の感情を気にしている。
「冗談だって。永遠にはあの陰気なヴァンパイア野朗がいるもんな。そーいやあいつ遅ぇ。どこで道草食ってんだろ」
「探しに行く?」
「永遠が行きたいならいーけど」
どっちでもいいという口調。
聞きたいのはそんな返事じゃない。
「ブリスは?」
「俺?」
まったくそんなことを言われるとは思わなかったというような声だ。
「だって自分の好きなようにするって決めたんでしょ。ブリスはどうしたいの?」
ブリスはテーブルに目を落として考え込んだ。
「俺は…俺は、このまま永遠と座ってたい、かな」
微笑をもらした。
「じゃあ大人しく、ここでクリスチャンを待ちましょう」
私は今夜の計画を練らなきゃならないし。ブリスに聞こえないよう心の中でつぶやいた。
「なあ、二個目の願いは何なんだよ? あれからなんもしてねぇぜ」
失敗に終わった結婚の報告から一週間が経って、ブリスがじれているのがわかった。
狭い家の中ですることもないのだから、仕方のないことではあるけれど。
ソファの前にあぐらをかいたブリスを見返した。
「まだ決めてないんだもの」
肩をすくめてみせたが、本当はすでに二つ目の願いもクリスチャンに託してあった。
洗濯物を取り入れるために、ブリスの横を通ってベランダに通じるガラス戸を開けた。
木枯らしが吹いて、かさかさと明るい色の木の葉が音を立てる。
ひんやりとした風に頬をなぶられながら、クリスチャンのシャツを手に取った。
そう、クリスチャンに任せておけば大丈夫だ。
昨夜、夕食のカレーをたらふく食べたブリスが寝入るのを待ってから、クリスチャンの元へ向かった。
彼は遮光カーテンをひき、永遠の隣の部屋で眠っていた。
両親の部屋はクイーンベッドだからそこで眠ればいいと言ったのに、クリスチャンもブリスも断った。
ブリスはクリスチャンに、あんたは年寄りだからと予備のシングルベッドを譲り、居間のソファで体を丸めている。
そんな気を遣ってくれなくていいのに。
静かにクリスチャンに近寄り顔を見下ろした。暗くてよく見えないが、眉をひそめているようだ。
そろそろと頬に手を触れると、ぱっと金の目が開いた。暗闇の中でもその目の明るさは際立っている。
「どうした?」
「起こしてごめんなさい。でも、話があるの。二つ目のお願い」
クリスチャンは身を起こすと永遠をひざにのせた。
「そんなところに立っていたら寒いだろう?」
胸に耳をつけるといつもと変わらない安定した鼓動が聞こえた。
「お願いとは?」
心なしか彼の声がかすれている。
「クリスチャン、私…」
「言ってくれ」
彼は永遠の髪を片側に寄せて首筋に唇を這わせた。
そういえば彼はもう長い間、血を摂っていない。
「飲んで」
あたたかな吐息がくすぐったい。
彼の髪に手を差し入れて早くと促す。
「私を味わって」
彼の一部が体に埋まるとおなかの奥に炎が燃え上がった。
クリスチャンが体を回転させて永遠の上に覆い被さった。彼は砂漠で進路を見失った人が水を求めるように、性急に血をすすった。
体を弓なりにそらすと彼は喉の奥からうめき声をもらした。
大きな手に胸を包みこまれて、驚きの声をあげると彼の動きが止まった。息さえも止めているようで体に触れている部分から彼の鼓動が感じられなければ死んでしまったのかと勘違いしそうなほどだ。
「クリスチャン―?」
熱い舌が優しく噛みあとを這ったあと、苦しげな声が耳元で聞こえた。
「わたしはなんてことをしてしまったんだ」
背中に手をおく。
「何をしたというの?」
クリスチャンががばっと身を起こした。腕の分だけしか離れていない場所でクリスチャンは顔をしかめた。
「わからないのか? 血を摂るだけでは飽き足らず、君の純潔も奪おうとした」
「まあ」
顔が熱い。彼は居心地が悪そうに脚を動かした。
「夢うつつであんなことを―すまない」
ベッドから脚を垂らして片手で頭を抱えている。
「全然嫌じゃなかったわ」
彼がぴくりとした。
「やめてくれ。まだだめだ。自分を抑えられなくなる」
リビングに入ってきたクリスチャンは、洗濯物の前でじっと佇む永遠の背中を見つけた。
その小さなシルエットに、昨夜、組み敷いた彼女の感触が蘇ってくる。
初めは夢を見ているのだと思った。
彼が覆いかぶさっても永遠は怖がる様子を見せなかったし、現実でないなら望みを果たしてもいいと思った。やわらかなふくらみを手で覆ったとき、永遠の悲鳴が聞こえてようやく夢ではないと気づいたのだ。
「夢うつつであんなことを―すまない」
謝ったところで襲われかけた彼女が、自分を怖がるのは当然だと絶望にかられた。
「全然嫌じゃなかったわ」
予期せぬ返事に思わず欲望が刺激された。
「やめてくれ。まだだめだ。自分を抑えられなくなる」
深呼吸を繰り返してから振り返ると、永遠は困惑の表情を浮かべていた。
白い顔を乱れた髪がふちどっている。
なにもしなくても、なにも言わなくても、永遠がそこにいるだけで欲望が募っていく。
「何が望みだ?」
自分と愛を交わすことだなどと自惚れてはならない。だが自分を戒めたところで、ズボンは窮屈なままだ。
「ブリスのことなの」
彼女は祈るように手を胸の前で握り締めている。神の前にひざまずく修道女のように清らかな姿。
だがわたしはヴァンパイアだ。神とは似ても似つかぬ悪の化身。
「ああ、そうだろう」
自分でも何を言っているかわからない。
「ブリスには家族がいないみたいなの。私たち以外、友達も。だから私がいなくなってもブリスと仲良くしてあげて」
ブリスと仲良く?
もやのかかった頭をはっきりさせようと、クリスチャンは頭を振った。
「願いは別のものにしろ」
愕然とした彼女が身を乗り出した。
「お願いよ。どうかブリスのことを―」