ラストメモリー
「座ってて。ここではあなたたちがお客様なんだから」
クリスチャンはそれでも動こうとしなかった。ここで永遠を見守っている必要があるとでも思っているようだ。
永遠はブリスに顔を向けた。その表情を見て、彼はクリスチャンをソファーに引ったてていった。
私は物思いに耽るために戻ってきたわけじゃない。私にはすべきことがある。それを為すために戻ってきたのだ。
トレーにカップを載せて二人のもとへ運んだ。
「煎茶にカップはおかしいけど、あなたたちはこっちの方が使い慣れてるだろうと思って」
クリスチャンはトレーからカップを持ち上げながらヴァンパイアの笑みを浮かべた。
「お心遣い痛み入ります」
ブリスは茶を飲みなれていないのだろう。恐る恐るというように口をつけている。
「お茶菓子が何かあったかしら?」
立ち上がりかけたが、クリスチャンが引き止めた。
「君もここに座るんだ」
永遠はクリスチャンの表情を見て、三人で座るには窮屈なソファーに腰を下ろした。
「なあ永遠、我々は君の友人だ。そんなに気を遣うな。君が我々の為にいるのではなく、我々が君の為にいるのだから。そうだろう、ブリス?」
同意を求められたブリスは熱い茶をすすり、横目でクリスチャンを見た。
「まあ、そりゃそうだけど。けど茶菓子くらい出してもらっても別によかっただろ」
永遠はにっこりとすると、またクリスチャンに引き止められる前に食器棚を開けに行った。
使った記憶のないお客様用の高価な皿を、テーブルの上に取り出し始めた。
「そんな高そうな皿に茶菓子のせんの?」
「いいえ、この後ろに隠してあるのよ。私が食べきってなければだけど」
ブリスがそばにやってきた。
「何で? 永遠は一人暮らしだろ。それなのに何で隠すんだ?」
「…習慣、かしら」
ブリスは頷いたが、その表情は納得なんてものとは程遠かった。だからさらに説明を加えた。
「私が甘いもの好きだってことは知ってるでしょ。だから母が生きていた頃は、食べ過ぎないようにって私の手が届かない場所に隠してあったの。それで、何でかな―母がいなくなっても自分でここに隠したくなっちゃうのよね。変だと思うでしょ」
小さく笑った。
「そんなことねぇよ」
ブリスはまじめな表情でこちらの様子をうかがっていたが、顔をほころばせると棚の中を覗き込んだ。
「隠しといた方が安全だ。俺が食っちまうかもしれねーからな」
永遠に向かって捕食者の笑みを向けた。
「チョコ、発見」
「では君の願いをおさらいしよう。叔父上、叔母上のところへ行って、わたしが君と結婚すると信じ込ませればよいのだな」
永遠は頷いた。
「そう。そして私はスコットランドへ行くからしばらくは、少なくとも数年は会えないと思わせるの」
本当はもう二度と会えないわけだけれど、彼らは私が遠い異国の地で生きていると、そう考えることになる。それも当然だろう。病気のことは伝えていないし、彼らが天寿をまっとうするまでは、クリスチャンが毎年一通のポストカードを送ると約束してくれたのだから。
テーブルの上に積まれたポストカードに目をやった。カードには一枚一枚スコットランドでの思い出を綴った。クリスチャンと過ごす愛と喜びに満ちた日々。だが決して、私が手に入れることの出来ない日々を。
その視線を追ってクリスチャンが手を重ねてきた。
「約束する」
私が、カードがちゃんと届けられるかを心配していると思ったのだろうか。彼が約束を守る人だということはわかっている。一度だって嘘をついたことはなかったのだから。
彼が私を変化させる気はないと言ったとき、裏切られたような気がしたけれど、それは私が勝手に思い込んでいただけのこと。彼とずっといられるのではないか、と。
彼は嘘をつかなかった。その方がどちらにとっても、ずっと楽だとわかっていても。
苦い思いを払いのけるようにゆっくりと頭を振った。手を裏返して彼の手をぎゅっと握り返す。
「ありがとう」
ふさわしい言葉が見つからず、結局ありきたりな言葉に落ち着いた。
叔父叔母は家にいるだろうか。
今、彼らが家にいる方が嬉しいのか、それとも再会のときを引き伸ばせる方がありがたいのか、心を決めかねた。
いや、大変なことはさっさと済ませてしまうに限る。永遠はブリスに繋いだリードを握り締めた。
「お願いだから大人しくしててね」
ブリスを見下ろして囁いた。
言葉をなくした彼は同意のしるしに頷いた。ブリスには狼の姿になってもらうことにした。人間の姿のままではあまりにも人目を引きすぎる。髪の色や変わった目のせいだけでなく、その整いきった顔立ちで、蜂を集める芳しい花のように女たちを惹きつけてしまうだろう。
頷き返し、両親の家よりも長く暮らした家を見上げた。
私の成長を見守ってくれたという意味で言えば、確かにここは私の家だ。だが心の拠り所としていうなれば、ここは他人の家。ただそこにあるだけ。何の感情も抱かせない、風景の一部でしかないもの。
クリスチャンが安心させるように手を握ってくれた。本当なら彼のほうが緊張しているはずなのに。
「あなたには怖いものはないの?」
答えがかえってくるとは思っていなかったから、彼の返事には驚いた。
「あるさ、怖いものくらい」
「何?」
ただの好奇心から聞いた。彼は不死身だから、恐れるものなどないのだと思っていた。
クリスチャンは疑わしそうに、見下ろしてきた。
「聞いてどうする。それでわたしを脅すつもりか?」
「そんなことしない」
まあいいというように彼は肩をすくめた。
「まずは君の怒りだろう。君が怒ると怖いの何の―」
永遠はリードを握った手でクリスチャンをこづいた。
「私、怒ったりしない。いつ怒ったっていうの?」
彼は意味ありげな目つきで見つめたが、気づかないふりをすることにした。
「それでほかには?」
「一番怖いのはき―」
ブリスが小さく唸ったために彼が言葉を切った。
「ええ、そうね。こんなことしてる場合じゃない」
また気をそがれてしまう前に、永遠はチャイムを押した。
軽い音が家の中を駆けるのがわかる。いつものように叔母が慌てて走っていき、サンダルを突っかけてドアを―。
「まあ、永遠じゃないの!」
はにかんだ笑みを浮かべた。
「こんにちは、叔母さん」
叔母は目を丸くして立っていたが、ドアを大きく開くと、中に入りなさいと言って私たちを招き入れた。
「一体どうしたの? あなたからやってくるなんて―いえ、いつでも来てくれていいのよ」
彼女はいつも通りだった。健康そうで、機関銃のようにまくし立てて―不意に懐かしさがこみ上げてきた。
「叔母さん、私―」
「どうしたんだ?」
叔父が騒ぎを聞きつけて玄関口にやってきた。
「おお、永遠じゃないか。元気にしてるか?」
ブリスが視線をよこすのを見るというよりは感じた。
「ええ、叔父さん」
「彼らは?」
叔父は胡散臭そうにクリスチャンとブリスを見ていた。
「あなた、こんなところで話してないで、上がってもらいましょうよ」
永遠が答えを返す前に叔母が口を挟んだ。