ラストメモリー
「それって口と口ってこと? それはダメよ。私、今まで誰かを好きになったことはなかったけど、もしするなら好きな人とって決めてるんだもの」
顔が赤くなっていなくとも、永遠が饒舌になっていることから、恥ずかしがっているのがたやすくわかっただろう。
ブリスが肩をすくめた。
「それさ、クリスじゃなくて俺の方見て言って欲しかったな。だってこいつのほう見てるって事は、永遠は初めてはこいつとしたいって、もっと言えば、こいつのことが好きだって言ってるようなもんだぜ」
永遠は髪で顔を隠さなかった。
リンゴの様な頬をして、すぐに彷徨いそうになる視線をクリスチャンに固定しようと一生懸命だ。
「…そうよ。クリスチャンが好き。だから、クリスチャンとならしてもいぃ…」
尻すぼみになった言葉もクリスチャンの耳にはしっかりと届いた。
「君の大切なものを与えようと思ってくれて嬉しいよ」
ブリスが身を乗り出した。
「なぁ、これってキスの話だよな? してもいいってキスのことだよな…?」
「うん?」
クリスチャンと見つめあったまま、永遠は上の空で返事をした。
「ブリス、具合がよくなったんじゃない?」
「えっ? ああ確かに」
「じゃあピクニックに行きましょう」
「えっ、何で急に? 何かごまかしてるだろ」
永遠の頬がようやくもとの白さに戻った。
「ピクニックに行きたくなっただけよ。美味しい物をたくさん持って、ね? …よし決まり、行きたい人の方が多いもの」
「永遠だけじゃね?」
「クリスチャンもよ、でしょ?」
二対の目がクリスチャンに向けられた。
こんな目で見つめられては拒めるはずがない。
「ああ。二対一だな」
「クリスチャン、こっちー?」
「ああ、そうだ」
男二人並んで、あちこちつっつき回しながら前を歩く永遠を眺める。
珍しく髪に結ばれた青いリボンが歩みにあわせて揺れている。
「永遠、すっごく楽しそうだな」
「あんなにはしゃぐと後で疲れてしまうだろうに」
「おぶってやればいーよ」
ずっと先を行った永遠が、道の脇にしゃがみこんでせっせとどんぐりを拾っている。森の中には永遠だけでなく、木の実を集めているほかの生物がたくさんいた。
「あんなの拾ってどーすんだろ? 普段は大人びて見えんのに、ときどきすげぇ子供みたいだよな」
「彼女は親を早くに亡くしているから、きっと子供時代が抜け落ちてしまったのだろうな」
本来ならば親に甘える時期を、早く大人になろうとすることに費やしてきた彼女の心の奥には、子供らしさが封じこめられていて、何かの拍子にひょっこりと顔を出すのだ。
だがそんな一面を見せてくれるほどに信頼してくれていると思うと嬉しいものだ。
「まだ真っ直ぐー?」
「そうだ」
ブリスが優雅に乱れた髪を揺らして頭を振った。
「てか左右に道ねぇのにどこ曲がるつもりなんだ?」
ポケットをどんぐりでいっぱいにした永遠が、また面白そうなものを探して駆け回る。
「あまり走ると転ぶぞ!」
「はーい、パパ」
笑い声が風に運ばれてきた。
「パパだってさ」
大きな口でニヤニヤしているブリスを睨みつける。
そのまま口が裂けてしまえばいいのだ。
ひとしきり楽しんだブリスが言う。
「冗談も言うようになったよな」
「お前の方がわが子の成長を喜ぶ父親のようだぞ。第一お前は永遠と知り合って間もないだろう」
「なんか守ってやんねぇとって思わせるんだよな。てか、あんただってそんな変わ・・何やってんだ?」
ブリスの言葉に促されて前を向くと、彼女は暗い茂みに向かって手を伸ばしていた。
また何か危険なものに手を出しているのではないだろうな?
前は自分よりも大きな狼に手を差し伸べていたのだ。今度はどんな凶暴なものに触れようとしているのかわかったものではない。
「今度は何を見つけた?」
「きゃっ」
ビクッとした永遠に驚いた茶色い毛玉が、茂みの奥に消えた。
「クリスチャン、お願いだからそれやめて」
永遠の後ろに一瞬で移動したクリスチャンは、胸を押さえた永遠に見上げられた。
自分の目で危険がないか確認するまでは安心できなかった。だから以前に、音を立てずに移動しないでと言われたのを忘れていた。
「すまない。さっきのはウサギだな」
それは質問ではなかったが永遠は答えた。
「そうよ。あなたのせいで逃げちゃったわ」
「捕まえてきてやろう。ここでそいつと待っていろ」
側に来ていたブリスに食べ物のたくさん入ったバスケットを渡すと、クリスチャンも茂みに消えた。
「ちょっ、いいわよ。捕まえるなんてかわいそ―」
「ほっとけよ、あいつは永遠にいーとこ見せてぇんだよ」
ブリスが鼻をひくひくさせてバスケットの蓋を開けた。
「うまそー、どれどれ」
「食べちゃダメよ、まだ目的地についてないのに」
サンドウィッチを一口頬張ってから言う。
「けど腹減ったし、もう食っちまった。クッキーもあるぜ」
ほらとクッキーを口元に差し出されて、甘い香りを嗅いでしまっては誘惑に抗えない。
甘いものに目がないのを知っててわざとやったわね?
パクリと頬張るととても美味しかった。
「これで永遠も同罪だな」
ブリスが口を動かしたままニヤリとした。
永遠は肩をすくめた。
「疲れちゃったし、ここに座ってましょ」
モグモグとサンドウィッチを腹に収めているブリスを見ながら言う。
「それ、キティーが作ったのよ」
「ふーん」
反応が薄いなぁ。何事も思い通りにはいかないものだ。
胸元の月のペンダントを弄ぶ。
すでに癖になりつつあるこの行為で思い出した。
「パーティーのとき、私はドレスのことをクリスチャンのおかげだと言った。なのにあなたは何も言わなかったわね。なぜ?」
ブリスが口元に運んでいたサンドウィッチを下ろす。
「気付いてたのか?」
「後でだけどね。あなたがクリスチャンに言ったんじゃないの? 着るドレスがないって」
「あぁ…。すごいな、永遠って」
ブリスは笑った。だが悲しそうな笑顔だった。
「どうして自分のおかげだって言わなかったの?」
ブリスが視線を膝に落とした。
「俺が買ってやったんじゃないから。俺はクリスに言っただけ。町まで行って金を出したのはあいつだから」
永遠はクッキーをひとつ取り出し、ブリスの口にそっと押し込む。
悲しい気持ちを甘いものがほんの少し癒してくれるのを知っているから。
「おバカさんね。だから私があなたに感謝しないとでも? あなたがクリスチャンに言わなければ、私は素敵なドレスを着ることは出来なかったのよ。ありがとう、ブリス」
「いや、あ…どういたしまして」
口をモグモグさせるブリスは、永遠には気付けなかった何かを感じ取って顔を上げた。
「捕まえたぞ、ほら」
ぶらーんと目の前に突き出されたウサギは、クリスチャンに襟首をつかまれ変な顔をしている。
そろそろと手のひらを上に向けるとウサギが下ろされた。
「あったかくてかわいい」
「オスだぜ、これ」
ブリスがウサギの耳を引っ張った。
「えっ、そうなの? どうしてわかったの?」