ラストメモリー
永遠の手に短剣を握らせ、その上から手をかぶせて自分の手の平に刃先を滑らせた。
「やめて!」
痛みが手の平を焼いた。
永遠の手から短剣を抜き取り、鞘に戻した。
「だいじょうぶだよ。ごく浅く切っただけだ。わたしだって痛いのは好きじゃないから」
「どうして?」
永遠は口に手を当てて、ぼんやりと傷口を見つめていた。放心した様子が心配になって顔を覗きこんだ。
「すまない。やって見せたほうがわかりやすいと思ったのだが」
永遠はかぶりを振った。
「治らないわ」
「そうだ。でも治癒能力は人間に比べて非常に高いから、明日には痕さえ残っていないだろう」
話しながらクリスチャンは、彼女のドレスを汚してしまわないようハンカチを手に巻きつけた。
それからこのことが、クリスチャンにとってどれほど重要な意味を持つのかわかってほしくて、永遠の指を握り、頬に押しつけた。
「ヴァンパイアに愛された者は、そのヴァンパイアを殺すことができる。恐らく、愛がヴァンパイアを弱らせるのだろう。剣で刺すにしろ、毒を盛るにしろ、生物が死に至るいかなる方法でも殺せる」
「あなたを傷つけたくなんかなかったのに」
永遠は傷ついた手を癒そうとするように、小さな手でそっと包み込んだ。
「意思は関係ないのだ。ヴァンパイアの死に必要とされるのは行為だけだから」
何を考えているのだろう。永遠の瞳が長い睫毛で隠れた。
「わたしは過去にも二人の女を愛していた。だからうろたえる必要はない。愛など感情と同じで移ろいやすいものだ」
ふいに心が無防備になった気がして恐怖を覚えた。そのせいで突き放すような言い方になってしまった。
かといって傷つく危険をおかしてまで、心を無防備な状態にしておくことはできなかった。
一度深呼吸をし、穏やかな雰囲気を取り戻すために努めて明るい声を出した。
「君にあげたいものがあると言ったのを覚えているか?」
「何かしら?」
永遠の瞳が輝いた。
気持ちを察してくれたことにクリスチャンは微笑を浮かべ、タキシードの内ポケットに手を入れた。
一呼吸置いてからそっと手を抜き取り、淡いリボンのかかった白く細長い箱を永遠に捧げた。
贈り物を受け取った永遠はじっと箱を抱えていた。
「開けないのか?」
「開けるわ」
彼女はゆっくりとリボンの端を引っ張った。時間をかけて包装紙を剥き、紙をテーブルに置く。
「白い箱に、白い包装紙?」
永遠が笑い混じりに言った。
「おかしいか?」
「あなたらしいわ」
謎かけのような回答に困惑して顔をしかめた。
「それは褒めているのか?」
「多分」
クリスチャンは髪に手をやった。
プレゼントを早く開けたくてうずうずしている子どものような気分だった。
永遠がどんな反応をみせるか早く知りたい反面、その楽しみがすぐに失われてしまうことを残念にも感じていた。
「まぁ…」
ついに永遠が箱を開けた。
それは、立体的な丸みを帯びた銀色の三日月に、丸くカットされたルビーが載ったデザインのペンダントだった。
「ありがとう。でもどうして月が好きだってわかったの?」
「君はかぐや姫みたいだったからな。月を見てはため息を吐いていた」
永遠は手の中の月を指先で撫でた。
「それは月が美しいからよ。別に天から迎えが来るわけじゃ…」
永遠は口をつぐんだ。
別れのときを口にしないことが暗黙の了解となっていた。だから気づかなかった振りをして、クリスチャンは言った。
「月は君のため、ルビーはわたしのために選んだ」
安堵と疑問がない交ぜになった表情で彼女は首を傾げた。
ヴァンパイアの笑みを浮かべる。
「その紅い色を見れば口に君の味を思い出す。見ただけで君が欲しくなる」
永遠が頬を赤らめた。
「つけてやろう」
ペンダントを受け取り、大きな手で器用に留め金をとめた。
永遠にこちらを向かせ出来栄えを眺める。
「うまそうだ」
「ブリスの言葉遣いがうつったんじゃないの?」
照れ隠しに永遠がくすりと笑う。
彼女は腕を伸ばし、クリスチャンの頭を引き寄せようとした。
クリスチャンはされるがままでいたが、彼女の顔と三十センチの距離までくるとピタリととめた。
永遠の髪に手を差し込んでピンを引き抜き始めた。
「何をしてるの?」
「下ろしている方が好きだ。君の柔らかい髪に手を差し入れられるから」
永遠もクリスチャンの後頭部をまさぐった。
「何をしている?」
「私もあなたの髪を解こうと思って」
クリスチャンがピンをすべて床に落としきったとき、ようやく永遠も革紐を解いた。
「きつく縛りすぎよ」
「ふむ?」
クリスチャンはすでに永遠の髪に指を通し、耳の下に唇を這わせていた。
「クリスチャン?」
クリスチャンは牙を立てていなかった。ただ唇で暖かい脈動を感じていた。
「君に、こうしなければならないと感じて欲しくない。その…贈り物の見返りに」
永遠はクリスチャンの髪に指をもぐらせた。
「私はそうしたいからするの。あなたに私をあげたいから」
永遠の身体からふっと力が抜けた。
腕で身体を支えてやりながら、ゆっくりと二口だけ彼女を味わった。
「んっ…もう、いいの?」
クリスチャンは咬み後を舌で舐め、傷を癒した。
「また具合が悪くなられたら困る」
「あれはあなたのせいじゃないのに」
いや、わたしのせいだ。傷つけまいとしたのに、けっきょくはあのざまだ。
だが口にはせず、永遠を抱え上げベッドに運ぶ。
「私、歩けるわ」
「わたしがこうしたいのだ」
彼女をベッドにおろそうとして動きを止めた。
「…しまった。ドレスのことを忘れていた。侍女を呼ぼうか?」
永遠は首を振った。
「後ろにファスナーがあるの。下ろしてくれる?」
クリスチャンの腕から滑り降りた彼女は背を向けた。
ドレスがふたつに分かれると、永遠はシュミーズ一枚の姿でベッドに潜り込んだ。
「おやすみ」
クリスチャンはそばを離れようとしたが、永遠が袖を掴んで引き止めた。
「眠れないわ。一緒にいて?」
クリスチャンは眉を上げた。
どうしたことだ? 彼女のまぶたは今にもひっつきそうだというのに。
クリスチャンは永遠の指を袖から離させ、ジャケットを脱いだ。
横に身を横たえ、彼女を腕で包みこむ。
彼女はクリスチャンに身をすり寄せると、すぐに眠りに引きこまれた。
クリスチャンはしばし寝顔を見つめた。かすかに開かれた唇に引き寄せられながら、結局は額に口づけを落とした。
「おやすみ」
目を覚ますとベッドに一人きりだった。隣に手を伸ばし、シーツに触れる。
冷たい…。
彼はとっくの昔に目を覚ましたようだ。私も起こしてくれればよかったのに。
永遠は冷たいベッドで、少しでも温もりを得ようと毛布に包まり膝を抱えた。
昨夜、彼は私を愛していると言葉にこそしなかったが、そう言ったも同然だった。だが皮肉なことに、愛することはできても、自分は愛されるはずがないと信じているようだ。