ラストメモリー
「そしてデーモンは自尊心が強く見栄っ張りだから、派手な格好をしているだろう? ウェアウルフは…」
クリスチャンはブリスを一瞥した。
つられて永遠も視線を移した。
「身なりを気にしない」
ブリスのジャケットのボタンは全てはずれ、タイも曲がっている。
「もうブリスったら」
永遠はボタンを留め、タイも直してやった。
クリスチャンは永遠を横目で見ながら、そっとタイを引っ張って緩めた。
だが永遠が気付く前に次の崇拝者がやってきた。
近づいてくるのが誰かに気付いて、クリスチャンは自分で乱したタイをきっちりと締め直し、身を引き締めた。
「僕もあなたとお知り合いになりたいな」
金髪にはしばみ色の目を持つ男は永遠をじっと見つめている。
「ルーク、ジュリーはどうした?」
クリスチャンは身体を強張らせたまま言った。
ルークと呼ばれた男は乱れのない髪を撫で付けた。
「クリスチャン、相変わらず気が利かないな。ジュリーはあそこに座っているよ。そんなことより、この麗しのレディーを紹介してくれないか?」
永遠は男が気のなさ気に指差した方向を覗き込んだ。壁際に置かれた椅子に、ぽつりと一人きりで座っている女性がいた。
彼女はこの人の恋人なのかしら?
考えている途中で、男が身体を動かしたために彼女の姿が遮られた。
永遠にはクリスチャンがしぶしぶというように言うのがわかった。
「永遠だ」
そして彼はわざわざ付け加えた。
「わたしの婚約者だぞ」
男は一度もクリスチャンに目を向けなかった。
「レディー、お会いできて光栄です。僕はルーク・ファブリスタ、以後お見知りおきを」
永遠だけに優雅なお辞儀をする。
「素敵な首飾りですね」
ルークの言葉は真珠を指しているように思われたが、異様な光を帯びた瞳は首に透けた青い血管に向けられていた。
ルークが手を伸ばしてくると、永遠は本能的に一歩退いた。
同時にクリスチャンとブリスも永遠を背後に隠し、ルークの前に立ちはだかった。
ブリスは牙を剥き、唸り声を上げた。
クリスチャンは拳を軽く握り、いつでも戦えるように身構えると釘を刺した。
「永遠に手を出そうなんて考えない方がいいぞ。貴様がその汚い手で永遠に触れる前に殺してやる」
ルークはせせら笑い、ポケットに手を入れた。
「殺す? 殺せたためしがあるか?」
クリスチャンは無表情で言った。
「いや。だが気は晴れた。貴様の黒い血の滴る心臓を掴み出したときには」
ルークは口元をピクリとさせ、髪を撫で付けると二人の男が匿った女を見ながら言った。
「せいぜい大事にするんだな。今のところはほかの女性を慰めに行くとするが―いずれ僕のものになるんだから」
二人はルークがほかの女性のところへ行くのを用心深く見送った。
「いけ好かねー」
ブリスが牙を剥いたまま言った。
「永遠、奴には気をつけろ。あいつは女たらしだ。女を見れば手を出さずにはいられない性質なのだ」
永遠はクリスチャンをひたと見つめて言った。
「大丈夫よ。一目見たときから、あの人のこと嫌いだから」
しばらく三人で固まっていると、アダムに声をかけられた。
「クリスチャン、そろそろ始めようか」
「はい」
アダムは一息つくと、ホールによく響く声で告げた。
「皆さん、我が息子クリスチャン・ベルナールと麗しい未来の花嫁にご注目下さい」
アダムはさあと目顔で前に出るように知らせた。
何が始まるのかしら?
人事のように思考を巡らせていると、クリスチャンに手を引かれ招待客の中心に進み出た。
「音楽を!」
深みのある残響の中、ヴァンパイアの楽団によってゆったりとした音楽が奏でられる。
クリスチャンの右腕が腰にまわされた。
ぎょっとして永遠は目を見開いた。
まさか…。無理よ、出来っこないわ。
「クリスチャン、私に踊れなんて言わないわよね…?」
揺るぎない金の瞳に見下ろされる。
「言わない。わたしがリードするから、君はただ流れに身を任せていればいい」
嫌々というように永遠は頭を振ったが、無常にもクリスチャンが動き始めた。
クリスチャンの言ったとおり、彼の動きに合わせて永遠の身体も自然に動いた。
ダンス経験など皆無の永遠にも、クリスチャンがすばらしく優雅な踊り手であることはわかった。
クリスチャンにくるりと回され、永遠は楽しそうに笑いかけた。
クリスチャンに引き寄せられ、周りを見てごらんと言われた永遠は目を瞬いた。彼だけに意識を向けていて気が付かなかったが、ペアになった男女がホール中で身体を揺らしていた。
初めは戸惑っていた永遠も曲を変え、相手を変えて踊るうちにくつろぎ、心から楽しみながらホールを移動していた。
だが、一曲が終わってもまた次の一曲が始まり、ヴァンパイアのような無限の体力を持たない永遠は、疲れ知らずに踊り狂うものたちの間を縫って壁際に置かれた椅子へ向かった。
途中、一度も相手を変えず二人きりの世界に浸っているアダムとイヴを見つけた。
本当に仲のいい夫婦ね。いつか夫婦円満のコツを聞いてみたいものだわ。
「こんばんは」
永遠は、皆が会話を楽しみ、踊りに喜びを見出す間も一人ぽつねんと壁の花と化していた女性に声をかけ、隣に腰を下ろした。
「あなたは踊らないの?」
クルクルと回るものたちを見ながら言った。
「踊るのは好きじゃないの」
永遠はチラッと女性を見た。
「私、ダンスは初めてだったの。だけど楽しかったわ」
彼女もこちらを向いた。
「踊っているのを見たわ。あなたは素敵な人だもの。皆あなたと踊りたがるわ。だけどわたしは…」
彼女は肩をすくめた。
「こんなだから」
彼女の髪は後ろでひっつめにされていて、顔の造作もこれといった特徴はなく地味な感じだった。だが何といっても、ドレスに無駄なリボンやフリルがあしらわれているところが、彼女の雰囲気に合っていない。
「あなたが私のことを素敵だと思ってくれているなら、それはこのステキなドレスのおかげよ。なんならドレスを交換しましょうか?」
永遠は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
彼女は目を見開いた。
「いけないわ! 汚してしまったら大変だもの。そもそも私には小さすぎるわ」
彼女は永遠の表情を観察し、笑みを返した。
「ドレスのおかげなんかじゃないわ。あなたが素敵なのよ」
彼女はもっと笑ったほうがいい。笑うと特徴のない顔が華やいで見えた。
「クリスチャンがあなたのことをジュリーと呼んでいたんだけど、私もそう呼んでいいのかしら?」
「ええ、もちろんよ。わたしもあなたのことを永遠と呼ばせてもらうわね」
「じゃあ私たち、もう友達ね」
永遠は手袋に包まれた右手を差し出した。
ジュリーはその手を見つめ、ゆっくりと握った。
「人間の友達は初めてだわ。まぁ、友達はほとんどいないのだけど」
手を離すと永遠は椅子から立ち上がった。
「あなたさえよければ飲み物を取ってくるわ。私、実はのどがカラカラなの」
永遠は微笑んだ。
「私も行くわ」
二人で飲み物と軽食の置かれたテーブルまで来た。