水晶少女
会話が途切れた。
彼女はもう話すべきことはすべて語り尽くした、という感じで、僕の存在など我関さずと本を再び読み始めた。僕は言葉を探したが、結局何も思い浮かばなかった。
教室から離れるべきかと思ったが、しかしこの美しく不思議な空間から出ていくのは名残惜しかったので、彼女の席(正確には僕の席だが)から三つ前の席に腰を下ろした。
軽く背伸びして、僕は窓にもたれる。夕風が頬をかすめた。チラリと彼女の姿を横目に見たが、前と同じ姿勢で本を読んでいる。
一体どんな本を読んでいるのだろう。小説だろうか。それとも実用書か、参考書か。装丁は本屋のカバーが掛かっているから分からないが、サイズから察すると、文庫本だろう。
僕は本をまったく読まないわけではないが、進んで読もうというタイプではない。なぜなら、文字を追うスピードが遅く、なおかつ文字から言わんとしていることを解する、という行為が得意でなかったからだ。おかげで何度も同じ文章を読み返す羽目になり、完全に一冊読み終わるのに大層時間が掛かった。そのせいだろう、現国の成績も芳しくない。
だから、彼女が少し羨ましく思う。
この半月、彼女は片時も忘れず本を読んでいた。間違いなく読書が趣味なのだろうから。
一人黙々と本を読み続ける彼女を見ながら、ふと思った。今の彼女は集団に紛れているときの、人を威圧する空気を纏っている感覚がない。とても自然体に思えるのだ。僕は威圧されるどころか、むしろこの空気に対して優しさすら感じてしまう。
それは、ただこの広い教室に一人でいるからだろうか。
教室という場所、窓から射す橙の光、部活に励む人々の喧騒すら、彼女という人間の構成する一部分なのだと思える。
例えるなら彼女の家の、誰にも見せたことがない自室にお邪魔しているような気分。
居心地悪さも多少感じるが、彼女が自分の大切な部分を見せてくれている、という不思議な安心がある。もちろんこれは僕の勝手な想像なのかもれない。いつもの彼女を鑑みれば、別段何も思っていないと考える方が自然だ。だけど……それでも、僕は心に温かい気持ちが湧いた。
目をつむり、彼女の読書の邪魔しないよう、静かにこの優しい空間に身を委ねた。
カタン、という音が響いた。僕は慌てて覚醒した。
彼女が席を立っていた。通学鞄に本をしまっている。そして通学鞄を肩に掛け、扉の方へと向かった。
「帰るの?」
彼女の背中に慌てて僕は訊いた。彼女はピタリと留まって、
「そうよ」
横顔をこちらに少し見せつつ、そう言った。
「じゃあ、また、明日だね」
僕は意識して笑いかけ、そう言った。
少しの沈黙があった。僕はただ彼女の返答を待っていた。
「……うん」
そう呟き、彼女は扉をガラリと開け、去っていった。あっという間の出来事だった。
彼女がいなくなった教室は、途端に味気ないものに変わってしまった気がした。でも、彼女と二人きりで同じ空間を共有できたことは、何にも変えがたいほど僕には喜ばしかった。