水晶少女
日本史委員。響きからしていかにも人気なさそうで、地味な印象を受ける。
この前にあったクラス委員決め。
余り物には福がある、という教訓に習い、僕は最後まで他の委員に立候補することもなく、最終的に余った日本史委員になった。日本史委員になった当初は、別段大したこともなく、適当にこなせるだろうと高を括っていた。日本史の先生は中年の男性で、にこやかかつセンスのあるジョーク混じりに授業を進ませ、生徒からの人気もあった。だから、委員に対しても面倒な押し付けはなく、むしろ仕事など一つもないだろうと。
だがそれは大きな慢心であり誤算だったと、僕は深く後悔する。
放課後。いざ帰ろうと思っていたところ、いきなり校内放送で僕のクラス名並びに日本史委員に該当する人間は今すぐ講師室に来なさい、という勅命を受けた。何かと思い、慌てて講師室に駆けつけたところ、日本史の先生がニッコリした顔で、
『明日授業で使う資料を人数分コピーしてくれないか』
と僕に御命令なされた。
『あと、調べ物があるから図書室にも付き合ってもらうぞ』
そして最後に、
『もちろん来週以降もそのつもりだから、ちゃんと心得ておけよ』と付け加えた。
僕はそのとき知った。笑顔を普段弄する大人こそ、その本質は腹黒いものだと。
そして余り物には福がある、という教訓は、それはすべての情報が未開示の状態で、という前提でこそ意味がある、とも。
……今になって思い返すと、僕が日本史委員になったとき、周りの学友はどこかほくそ笑んでいなかったか。あるいはホッとしていなかったか。
自分の情報収集能力の未熟さを強く思い知りつつ、僕は言われたようにコピー機でガーガーとプリントアウトし、その後先生と共に図書室に赴き、先生はあれが欲しいこれが欲しいと江戸時代の古地図だの縄文時代の食文化の概要だのを要求し、僕は目を凝らしながら本棚の列を探し回り、ぐったりしつつも何とか最後まで付き合った。
開放されたのは一時間も経ってからだった。来週以降も付き合わないといけないなんて、僕の貴重な青春ライフがひどく無駄に消費されていく、と一人で嘆いた。
帰りがけ、下駄箱まで来たところで、そういえば四限の古文で宿題が出た、と思い出した。
一度気になると確認したくなる、という人の性か、僕は鞄をごそごそ探り宿題のプリントを探した。が、無かった。校内放送の呼び出しに気を取られて、自分の机の中に置き忘れてしまったのかもしれない。宿題なんて一度くらいはシカトしてもいいのだが、古文の岡崎先生は狡猾な毒蛇ばりに、粗相をした生徒を締め上げるのを生きがいとしている先生だった。僕は極力あの先生の粘着気質の視線は回避したい。
ので、僕はうんざりしつつプリントを回収するため自分の教室へと戻ることに決めた。二度階段をへいこらと昇って辿りつき、ため息を零し、後ろの扉を、力を込めてガラリと開け……そうして僕は、呆然と立ち尽くした。