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水晶少女

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 下駄箱まで来たところで、僕は今日古文の宿題が出された、と思い出した。鞄を開け、プリントを探す。しかしなかった。ロッカーか机の中にまた置き忘れたのだろう。
 最近の僕は、こういうミスが多い。余計なことを考えすぎて、些細なことを見落とす。教室に戻ろうと考えた……まるで、今の状況は彼女と初めて話したときの再現だ。
 僕は苦笑し、思い出す。放課後の喧騒と、窓から射す淡い夕日と、静謐な教室。前と同じように、多分今日も彼女はいるだろう。いつものように僕の席に座って、一人で小説を読んでいるのだろう。しかし、もう僕たちに繋がりはない。だから、気にするまでもないことなんだ。
 そう言い聞かせ、僕は階段を上っていった。

 自分の教室前の廊下に辿り着き、僕は呆然と立ち尽くした。
 廊下には、彼女が一人で立っていた。その前にはベコベコに破壊されたロッカー。ロッカーの下に敷かれるリノリウムには、散乱した紙片。
 僕が近づいていっても、彼女は反応を見せなかった。ただ、ビリビリに破かれた紙片を見つめていた。
 近づくと、よく分かった。紙片には文字が綴られていた。
 それは、どう見ても小説の断片だった。
 彼女のロッカーの中にあった小説達は、ほとんどが無残に破壊され尽くしていた。ハードカバーだけは破けなかったのだろう、乱雑に捨て置かれていた。
 中身を失った小説の表紙は、それは宿主を失った貝殻のように、物悲しさを醸し出していた。
 ロッカーには学校指定の錠が掛かっていたはず。そう思い、僕は錠を探し、そしてすぐに見つかった。工具か何かで無理やりこじ開けたのだろう、傷だらけの錠が、ぶらんとロッカーの取っ手にしがみついていた。学校指定の購買部で売っている錠は安価だが、アームの部分が細く専用の工具と力があり、その気があれば簡単に壊れてしまうものだと、前々から言われていた。
「何があった」
 僕は呆然としたまま、彼女にそう訊いた。自分の頭の中が、ひどく真っ赤に染まっているのが分かる。
「……」
 彼女は僕の声が届いていないのか、ただ散らばった紙片へと視線を注いでいた。
「何があったんだよ!」
 僕は彼女の肩を掴んだ。それにようやく反応したのか、
「知らないわ。ロッカーに、話したいことがあるから体育館の廊下まで来い、という紙が挟まっていたの。私はそこに行ったけど、誰もいなかった。戻ってきたら、私のロッカーが壊されていた」
 彼女は僕に視線を向けず、紙片を見下ろしながらそう呟いた。
 僕は考える……二年の教室から体育館の廊下まで行く時間は、長く見積もっても六分。往復で考えれば十二分。一人きりで、十二分で錠を壊し、ロッカーの中の小説を何冊も破けるか? きっと単独犯じゃない。力がある男手を加えた集団でやったに違いない……そこで僕は首を振り、考えを止める。推理の真似事をしても無意味だ。考えるべきは現状。
 彼女は僕の手を払うと、廊下に膝をつき、小説の紙片をかき集め始めた。一枚一枚、丁寧に手に取り、静かに集める。そして両手に余るほどかき集めると、そのままゆっくりと教室の中へと向かった。
 僕は彼女の後を追った。彼女は両手に集めた紙片達を、教室の後ろに設置されているゴミ箱へと捨てようとした。
「待てよ! 君は、それを捨てるのか?」
 彼女は横目で僕を見、
「捨てるに決まっているでしょう。もう読めないものを大事にとっていても、仕様がないわ」
 氷のように冷たい声色でそう言った。なんで彼女はこんな冷静なんだ? 僕は苛立った。
「君は言ったろ? 小説は自分の半身だと思えると。それを捨てるのかよ!」
「捨てるわ。これらは私の半身ではない。小汚いゴミ屑よ」
 冷厳にそう言い放った。そして躊躇なくゴミ箱へと捨てた。サラサラと彼女の手から零れ落ちる紙片は、あまりに悲しかった。彼女は再び廊下に戻った。同じように紙片を集め、教室に入りゴミ箱へと捨てていく。
 その一連の動作を、僕は馬鹿みたいに傍観していた。
 すべてを片付け終わると、彼女は僕の席に座り、鞄から取り出した小説を読み始めた。それはあまりに異常だった。まるで人間味がなく、精密にプログラミングされたロボットのようだった。
 僕は彼女の前に立ち、自分の机を叩いた。
「なあ。君は悔しくないのか? 悲しくないのかよ? 自分の半身を破かれたんだぞ。なんで……なんで、そんなに平然としていられる?」
 僕の詰問にも彼女は動じず、
「こんなことは、慣れているもの」
 そう簡潔に答えた。慣れている?
「私のような生き方をすれば、どうしたって他人の恨みを買う。昔から何度もこんな目に逢ってきたから」
 だから、半身を壊されても、何も感情が動かされないって?
 ……ふざけるな。
「ならなぜ、そんな生き方を改めようとしない? 自分が傷つくことになっても、孤独でいるのが幸福なのか」
 僕の言葉に、彼女は小さく目を見張った。それは初めてみた、彼女の感情の揺らぎだった。彼女は小説を閉じ、鋭く細めた瞳と、苛立たしげな声色で、
「あなた、何なの? 私に関わるなって、言ったはずよね。関係ない人間は、ほっといて欲しいのだけど」
 関係ない。そう、確かに彼女からしたら僕などもう『関係ない』だろう。
 でも、僕からしたら、それはまったく違う。僕にとっては、とても『関係ある』ことだ。
「ほっとけるわけ、ないだろ」
 僕は自分が本質的にはクールな人間だと思っていた。いつも冷めた目で人を見つめ、見下していた。何かに全身全霊で打ち込めるものもなかった。どうしてものめり込めないだろうと自分を決め付け、与えられた役割を演じてきた。
「俺は」
 だけど、今の僕は違った。心の奥底から、僕は熱が噴出しているのが分かった。今自分に全身全霊の感情が芽生えているのを自覚する。沸き立つような熱の滾りを自覚する。
 それは怒りの熱だった。彼女の宝物を破壊した奴にも、僕は少なからず怒りはあった。高校生にもなって、こんなガキじみた方法で彼女を攻撃する奴は、まったくもって許しがたかった。
 でも、僕が本当に怒っていたのは、彼女だった。彼女の存在だった。生き方だった。
「お前が好きなんだよ!」
 心の深奥からそう叫んだ。
「好きな人の、自分の半身と呼べるものを壊された姿を見て、何もせず呆けていられるわけないだろ!」
 彼女の驚く表情を見たのは、初めてだった。想像の範疇にないものを見たときのように、呆然としていた。しかし一拍の後、その感情は消え去った。代わりに、彼女はより一層鋭い視線で、僕を射抜いた。
「好き、ね。前にも言ったでしょう。その感情の理由は、同化だと。私には必要ないものだと」
 同化。なるほど、そうだろう。それは一切の反論の余地なく正解であり、どう取り繕おうとも僕には否定できない。
 だけど、
「確かにルーツは同化かもしれない。でも、今は違う」
 彼女の針に刺されて以来、僕は何度も彼女を忘れようとした。彼女の存在を自分の記憶から消し去ることにいつだって腐心していた。
作品名:水晶少女 作家名:がるざく